2015
11.03

2015年11月3日 戦い済んで

らかす日誌

さて、いまの私の状態を表現する言葉は

やったぞー

だろうか。それとも

終わったー

だろうか。いずれとも決めかねているいまの私である。

午前中、確率の参考書と取っ組み合ったあと、11時半前に自宅を出て、祭りの現場に赴いた。材料はすべて昨日の内にO氏宅に運び込んでいたため、持参したのは今日使うパエリア鍋(直径45㎝)、エプロン、バンダナ(抜け毛がパエリアに落ちるのを防ぐ)、今朝磨いだ包丁。これですべてである。

到着して、まず祭りの様子、人出をざっと見渡すため通りを歩く。出会った顔見知りとは挨拶を交わす。
そうして待機場所であるO氏の一部屋に戻ると、とりあえず持参のにぎりめしを食った。腹が減っては戦はできぬ。これから働くのだ。まず腹ごしらえをするのは、戦場に臨む兵士の常識である。

食べ終えて、仕込みにかかった。
まず玉ねぎの芯を取り、皮を剥いて薄切りにする。ピーマンにも同じ作業を加えた。
貝類の準備は昨日の内に終わっている。であれば、次は鳥肉。細切れを買ってきたが、本当に細切れになっているかを確認する。

さて、次の取り出したのはイカだ。内臓は魚屋で取り出してもらった。私の仕事はイカを開き、短冊状に切ることである。
開いたイカを縦半分に切る。使う包丁は今朝磨いだばかりだ。よく切れる。
包丁の先を使ってイカを短冊状に切り分ける。さっ、さっ、さっ、と包丁が走り、イカは見事に短冊になる。ん、短冊に幅の広いのと狭いのがある?
さような些事にこだわっていては大物にはなれない。

「痛てっ!」

イカの半身を抑えていた左手の人差し指に、チクッとした痛みが走った。見ると、人差し指の爪のそば、親指寄りに赤くにじむものがある。

「あらまあ、切っちゃった」

包丁を研ぎすぎたのか、ほんの少し触れただけなのに、ざっくり切れたらしい。水で洗っても血は止まらず、バンドエイドをしてもらうがそれでも血は流れる。
が、血が流れるからといって、ここで作業を中止したらパエリアはできない。

血を流す人差し指を使わず、中指から外側の指でイカを押さえながら作業を継続する。

「いかん、まだ血が止まらんわ」

バンドエイドを取り替え、人差し指の根っこをゴムで縛る。血止めである。

さて、イカが終わったら次はエビだ。40尾ある。が、今日は100人ほどに試食していただくことになっている。とすると、40尾ではすべての人にエビが行き渡らない。

「半分にしよう」

40尾のエビを半分にしたところで80にしかならない。だが、できるだけ多くの人にエビの一部でも食べてもらうのを優先した。
とはいえ、パエリアでのエビの役割は、ダシの材料である。食べるときのエビは、姿形は残っていても、エッセンスはすべてスープの中に吐き出したあとの抜け殻だ。だが、抜け殻であっても、

「エビが欲しい」

という人が多数いることは、私の経験上の事実である。

おお、忘れていた。トマトも切っておかねば間に合うまい。4つ切りにしてさらに半分ずつに。以上で準備完了だ、多分。


パエリアを配り始めるのは午後2時。であれば、1時には作り始めなければならない。私はパエリア鍋、サフラン、オリーブオイルをもって外に出た。O氏がパエリア店舗を作ってくれているはずだ。

おお、ここか。でも、これって、プロパンガスコンロがあるだけじゃない。ここで作れってか? まあ、劣悪な条件下でも立派な作品を作るのがプロではあるが……。

コンロに火を入れ、パエリア鍋を乗せる。そこにオリーブオイルをたっぷり入れて、こちらではニンニクをつぶして細切れにして……。
あれあれ、また血が出始めたよ。俺は平気だけど、食べる方は平気じゃないよな。

「おお、君、ちょうどいいところへ」

知り合いの料理人が通りかかった。

「悪いけど、俺、指を切っちゃってさ。まだ血が止まらないんだわ。ちょいと、このニンニクをつぶしてみじん切りにしてくれないかな」

作業を知り合いに押しつけ、さて……。
いかん、がない、がない!

彼の作業を横目に、あわててたまりどころに戻り、そこにたまっていた人に

「ゴメン、湯が大量にいるんだわ。やかんで沸かして」

と御願いし、塩をポケットにねじ込んで作業現場へ。出来上がっていたニンニクのみじん切りを鍋に放り込み、弱火で香りをつける。

さて、ここからの手順は何度も書いた。同じ事の繰り返しだからやめる。
ただ、やっぱり材料を用意しすぎた。玉ねぎもピーマンも控えめに入れたのに、鳥肉、アサリを入れると、もう鍋は満杯だ。そこにムール貝を放り込んだら、溢れそうになった。

「これはいかぬ」

できることはただ一つ。具を減らす。
ムール貝はすべて取りだして捨てた。なーに、ムール貝は単なる彩り。味には関係ない。
そこにエビを放り込んだら、再び溢れそうになった。うん、だったらアサリも取りだそう。炒めて色がついたエビも取り出して、こいつらは最後に一番上にトッピングすればいい。

エビを取り出して、トマト、イカを投入。何とか炒め作業が終わった。でも具の量が多いなあ。大丈夫か?

やかんを取りに行き、湯を入れ、サフランを散らし、最後に塩で味をつける。味見をして塩加減を確かめた。次は米を入れる番である。

「でも、どう見ても具が多い。米、どれくらい入るだろう?」

5kg袋で買った米袋から米を入れる。すぐに満杯になった。入ったの2kg前後か。せめて3kgは入れたかったが……。
水面が下がったのを見て、先ほど取り出したアサリとエビを上に乗せる。うん、これで見た目は豪華になった。あとはアルミホイルで蓋をして……。

あ、アルミホイルがない!

てな混乱を繰り返しながら、途中で味見をすると

「む、まだ生米。湯が少なかったか」

二度にわたって湯をつぎ足して完成した。


完成したのは2時20分頃。1時間も前からへばりついていた熱心なファン(この人、市議会の偉いさん)をはじめ、6、70人の列ができた。

「あ、配る皿がない。スプーンもない!」

果てしなく混乱が続く。乗り越えて、やっとスピーチだ。この鍋、多分30人前なんだよなあ。

「申し訳ありません。今回は試食ということで、ほんのちょっとずつです。御免なさい!」

並んでいただいた方々に礼を尽くすのは当然のことだ。

「レモンをかけてお召し上がりください」

食べ方の指導も大切なことだ。

「あら、美味しい!」

「大道さん、これ、美味い!」

今日も絶賛の嵐であった。作って差し上げてよかったと思う瞬間である。まあ、無料の試食会であったことを差し引いても、絶賛の五月雨程度の反応はあったと自負している。

が、異分子もいる。

「これ、ちょっと生煮えよ」

ああ、いたか、田舎者のおばちゃん2人組。パエリアは米をアルデンテに煮る料理であることを知らぬ可愛そうな奴ら目。
が、本当に上の方が生煮えになっていたこともありうる。おばちゃんが食べていたパエリアからほんの数粒、米を取って口に入れてみた。
何を言ってる。これ、いい出来ジャン。アルデンテの具合もちょうどいい。

「これは生煮えではなくて、こういう風に仕上げる料理なの。日本のご飯とは違うんだから」

これで引き下がるかと思った。しかし、おばちゃんは強い。

「何言ってるの。私たち、何度もスペインにいって、本場のパエリアを食べてるの。こんなのなかったわ。本場のパエリアはもっと美味しかった」

ありゃりゃ。こりゃあ、本物の田舎おばちゃんだ。
スペインの料理屋が出すパエリアが、すべて美味しいか? だったら、日本で食べる日本食はすべて美味しいはずだ。なのに、あの店は美味い。この店はまずいというのはなぜか? なかでも、日本食の代表である寿司は、店ごとの味の差が甚だしい。
故国では料理などほとんどしたことがないインド人が、日本に来て見よう見まねで作っているカレーは本場の味か? インドを含む各地で研鑽した日本人が作るカレーの方が遥かに美味いのはなぜか?

まあ、スペインまでの渡航費、費やした時間、体力。おばちゃんたちが現地で食べたというパエリアには、味以外の様々な要因が入って味を作り上げている。おばちゃんたちが財布と相談しながら、あるいは賄賂をもらった添乗員の案内に従って行った現地の三流店で味わったパエリアも、おばちゃんたちにとっては本物の味なのだ。

てなことを、おばちゃん二人を相手に論じても暖簾に腕押しであろう。ここは引き下がるに限る。

「あ、そう。ゴメンね。俺、この作り方が一番美味いと思うし、今日もよくできたと思ってるんだけど、舌にあわなかったとしたら許してね。これ、無料の試食だから」

ふむ、私も人間がかなりできてきた。できてなければ、おばちゃんを罵倒していたんだろうなあ。

というわけで、30分もしないうちに、パエリア鍋は空になり、食べた人の笑顔が残った。 
今日手伝ってくれた裕香ちゃん、綾子ちゃん、それに今日初めて会った足利市の足の悪い美人さん、ありがとう。おかげで、私のデビュー戦、うまく行きました!

うまくいったのはいいけど、でも、料理って疲れる! 俺の腰、大丈夫か?!