08.11
2016年8月11日 意気消沈
身体が思うように動かない。たった、とはいわないが、それだけのことで気分が沈み込むとは思ってもみなかった。
身体が思うように動かぬ、というのは初めてではない。あのラスベガスの体験ではもっと痛烈な形で味わっている。それに、ぎっくり腰で死ぬ思いをしたのはラスベガスだけではない。横浜でも、単身暮らしの名古屋でも身体がまったく動かせないほどの腰痛に苦しんでいる。
あれらに比べれば、今回の痛みなど比較になららぬ。初発の時も痛さを押して喫煙所まで身体を運べたし、医者には自分で車を運転して通うし、妻女殿を前橋日赤にお送りする役目もちゃんと果たしている。それなのに、こんなに気分が沈むのは初めてだ。何故なのか?
強烈な痛みであれば、傷んでいる間は痛みのことしか考えられないことがある。気分が沈むゆとりなどないのである。とにかく痛みに去ってほしいだけだ。
今回はそこまで痛くはない。だから考える余裕がたっぷりある。
期間が長いこともあろう。今回は原因を作ったのが7月12日。痛みが始まったのが翌13日である。かれこれ1ヶ月になる。ラスベガスでは、痛みにのたうち回った、いや身体を動かすことができなかったから痛みにフリーズした、といった方が適当だろうが、とにかく苦しんだのは実質半日でしかなかった。モルヒネの注射2本で翌日の飛行機に乗って日本に帰り、成田空港からは自分で車を運転して自宅に戻ったのである。
今回は、まだダメなのか。そんな気分が沸き起こる。
加齢も手伝っているはずだ。それでなくても、過去に比べれば身体の動きは鈍っている。回復力もそれなりに老化している。そこに長引く痛み、移動の不自由さ。
俺って、このまま動けなくなる? 鬱な気分にとらわれてもやむを得まい。
いや、のっけから暗い話で申し訳ない。
一昨日、整形外科に行ってきた。医者に容体を話すと
「はあ、引っ越しの下準備ですか。ソファと食器棚を解体した。それは……。もういちどリリカを処方しましょう」
といった。神経痛の再発が、これで確定した。それで落ち込んでいるのかも知れない。
とにかく、することがない。身体が動けば、あれもこれも、あの人に会って、この人を訪問して、とやりたいことはあるのだが、
「いや、薬より安静なのだな」
と自制する。自制しなくても、満足に歩き続けることが難しいから、家に引きこもる。
朝起きて夜寝るまで、避けられないのは3度の食事と入浴、それにトイレ程度である。さて、1日にこれだけしかやることがなければ、そのほかの時間をどう使う?
有り余る時間とは困ったものなのだ。そこに、気力の低下が加わると、読書が億劫になり、このように文章を書くことも億劫になる。かといって、テレビなんてろくな番組をやっていないから見る気にもならぬ。朝食事をして、
「昼飯までどうしよう?」
と思案しなければならないのは、それなりに辛いことだと始めて実感したのである。
では、何をしているのか?
今日は午前中、、気力を振り絞って座ったままできる会社の仕事をした。それに伴って数本の電話をした。それは午前中で終わり、午後は妻女殿の言いつけで隣の薬局に買い物に出た。歩いて5分もかからないところまで、いまは車で行く。陳列棚を歩き回って言いつけられた商品を探すのだが、腰がだんだん前屈してくるのがわかる。それも限度を超すとしゃがみ込む。
「はあ、他人はどう見てる? 腰の曲がったジジイか? あれ、あの腰曲がり、座り込んじゃったよ、なんていってるか?」
幸い、見ている人はいなかった。それでも、もう1人の私が私を見て
「腰の曲がったジジイだ。あれ、あの腰曲がり、座り込んじゃったよ」
といっているのである。客観的な視点を持ち続ける、といえば格好いい。だが、実態はほとんど自虐趣味に近い。
とはいえ、薬効があってか、薄紙を剥ぐ程度の回復は見せている。うーん、あと2週間ほどで引っ越しなんだが、乗り越えることができるのかね?
ここ数日、
「真説 毛沢東」(講談社+α文庫)
を読みふけっていた。文庫本とはいえ、上下で1500ページ近い大著である
ん? 読書する気にもならないヤツが? という疑問を持たれた方は、私の文章をよく読んで頭に残しておられる。感謝する。が、だ。とにかくやることがないのだ。本を読む以外に何をしたらいい?
ま、それはそれとして。
毛沢東は、我々の年代にとって、かつては憧れのヒーローであった。
私たちの学生運動を支えた言葉には、毛沢東節がたくさんあった。
「造反有理 革命無罪」
なんて格好いいフレーズをを、何度耳にし、口にしたことか。いまの体制に我慢がならず、反抗を志した者のには、自分たちを支えて導く毛沢東の影がどこかにあった。確かこのフレーズ、東大闘争で一躍有名になったのではなかったか。
日本のメディアだって、毛沢東語録を振りかざす紅衛兵どれほど持ち上げたことか。都会のインテリを田舎に定住させる下放政策を
「これぞ、新しい社会を築く決め手だ」
と無闇に誉めあげたインテリ、学者が何人いたことか。
それが、である。この本によると、すべては毛沢東の野心が創り出したとんでも政策だった、というのだ。
毛沢東とは、権力欲と上昇志向だけの人間であった。彼の革命は自分が頂点に立つための手段に過ぎず、あらゆることはそのためだけに使われた。紅衛兵も下放政策もそのうちの2つに過ぎなかった。自分の野心に役立つのであれば、毛沢東は平気で人を殺した。戦争で敵を殺すのならまだ仕方がない。しかし、毛沢東が自分の野心のために殺したのは自国民であり、同志であり、家族だった。
あんれまあ、である。中国の近代史は大きく書き換えられなければならない。
八路軍は共産主義の倫理を身につけた正義の軍隊ではなかった。行く先々で住民から食料を含む物資をぶんどる夜盗の群れに過ぎなかった。
毛沢東は中国国民を圧政から解放し貧困から救い出したヒーローではなかった。野望のために国民を抑えつけ、意図的にさらなる貧困に突き落とすことで頂点に立ったならず者だった。
まあ、細かな点は記憶にない。が、毛沢東への評価が180°変わる本であったことは確かだ。何だ、あれは共産主義革命ではなく、単に夜盗の群れが毛沢東王朝を作っただけだったのか。
分厚い本である。だから、是非に、とはお薦めしない。しかし、中国近代史に関心をお持ちの方なら読まずにはおられない本であると思う。
さて、これから入浴である。今日読み始めたのは
「信長私記」(花村萬月著、講談社)
だる。この本を持って湯船に浸かり、ゆっくり腰を温める。
一日も早く全快してくれ、我が腰よ。
でないと、9月からの起業も出足で躓くことになりかねないぞ!