08.10
#19 : バック・トゥ・ザ・フューチャー - Calvin Klein(2005年1月14日)
ある日、私のパンツがすべてCalvin Kleinになった。私がねだったのか、妻が自主的に買い揃えたのか、いまとなっては記憶にない。いずれにしても、私がビジネスの戦場におもむくにあたって日々身につけるパンツは、Calvin Klein一色に染まった。
こう書けば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をご覧になった方々には、ハハー、と想像していただけると信じる。何と軽薄な夫婦であることかと呆れる方がいらっしゃっても不思議ではない。そう、この映画の、あのシーンが引き金を引いたのだ。
偶然のいたずらで、1985年から1955年の世界に時間旅行をしてしまったマーティが、55年の世界で車にはねられる。はねたのは、後に彼のおじいちゃんになる男で、運び込まれたのがおじいちゃんの家。昏睡したマーティには、将来は彼を生むことになる、まだ高校生のロレインが付き添っていた。やっと覚めたマーティに、ロレインが呼びかける。
Lorraine : | Just relax now Calvin, you’ve got a big bruise on you’re head. (ゆっくりしてね、カルヴァン。額に大きな傷ができてるわ) |
Marty : | Ah, where’re my pants? (ああ、で、僕のパンツはどこに行った?) |
Lorraine : | Over there, on my hope chest. I’ve never seen purple underwear before, Calvin. (あそこにあるわ、私が結婚するときに持っていく道具を入れた箱の上よ。私、紫色の下着なんて、初めて見ちゃったわ、カルヴァン) |
Marty : | Calvin, why do you keep calling me Calvin? (カルヴァン? 何で僕のことをカルヴァン、って呼ぶの?) |
Lorraine : | Well that’s your name, isn’t it? Calvin Klein. It’s written all over your underwear. Oh, I guess they call you Cal, huh? (ああ、だってあなたの名前でしょ? カルヴァン・クライン、って。あなたの下着に書いてあったわ。ああ、そうね、みんなはあなたのこと、キャルって呼ぶのね?) |
(注)
ここでいう pants は、当然のことながら私の言うパンツではなく、ズボンのことである。念のため。
55年当時、アメリカでも、パンツはゴムひもで腰に固定されていたのだろう。そう、緩くなると母親が取り替えてくれた、時には自分でも取り替えた、あのゴムひもである。
ところが、いつからか、パンツは幅が2~3cmあるゴム入りの帯で腰に固定されるようになった。この空間を放っておく手はないと、ブランド名がここに記されることになる。 Calvin Klein もその1つである。
ゴムひも入りのパンツしかない時代の住人であるロレインが、こいつをマーティのネーム入りパンツだと誤解しても、不思議ではない。
こういう、思わずクスリとしてしまうやりとりで30年間という時間の隔たりを表現する。なるほど、と感心した。そのみごとな手際に心底嬉しくなった。私のリクエストで私のパンツがすべて Calvin Klein に変わったとしたら、そのためだ。
妻のリーダーシップで乗り換えが起きていたら? ふむ、我が妻は、このシーンに何を感じたのだろう? Calvin Klein のパンツ姿をさらした Michael J. Fox のセクシーさに胸がときめいたのか? ということは、私を Michael J. Fox風にしたかったのか?
にしては、紫色のパンツ(purple underwear)は1枚もなかったが。
いや、のっけから日常的に私の大切な股間を守っておるパンツの話になって申し訳ない。不快感をもたれた方もいらっしゃるかもしれない。その方々には平身低頭してお許しを請いたいと思う。
で、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」である。
まだご覧になっていない方は少ないと思うが、念のために粗筋を書いておく。
マーティ・マクフライは、1985年の世界に生きる高校生だ。彼は、世間からは恐らく、単なる変わり者としか見られていない天才科学者、ドクター・エメット・L・ブラウン、通称ドクの唯一の友人である。このドクさん、この年にとうとうタイムマシンを発明するのだが、エネルギー源に使うプルトニウムをリビアの過激派から横取りしたものだから、最初の実験のさなかに過激派に襲われてしまう。実験に立ち会っていたマーティも当然狙われるわけで、逃げまどったマーティはタイムマシンに改造されたデロリアンに飛び乗り、ついには偶然にも時間旅行をしてしまって1955年の世界に行ってしまう。しかも、帰りの時間旅行に必要なプルトニウムは積んでいなかった。
(注)
デロリアン = GMの副社長だったジョン・デロリアンが独立し、北アイルランドの工場で作り出した、ジョン・デロリアンの夢の車。彼とGMの確執、何故彼がGMを去ったのかについては、「晴れた日にはGMが見える(On a clear day, you can see General Motors)」に詳しい。
マーティが行った55年の世界では、マーティの父になるジョージ・マクフライと、母になるロレイン・ベインズはまだ知り合っていなかった。それどころかロレインは、交通事故で自宅に運び込まれたマーティに一目惚れし、ジョージには目もくれない。目をくれてくれないことには、ジョージとロレインが愛し合って結婚し、子供を作る行為を行うはずがない訳で、とするとマーティが生まれるはずがない。こいつは困ったことだ。というより、マーティの生存に関わる問題である。生まれなかった人間が生きているはずはないのだから。時間のパラドックスが生じるのである。
かくしてマーティは、タイムマシンの燃料なしで85年という未来に帰る方法を探しながら、ロレインとジョージを結びつけるという、とんでもなく高い2つの壁に同時に立ち向かわなければならなくなった。マーティはどんな手段で未来の父と母を結びつけるのか? 若き日のドクは、プルトニウムの入手が不可能な時代に、いかにしてマーティを85年に送り返すのか? 不可能への挑戦が始まった……。
というSFファンタジーである。まったくもって他愛もない話なのに、どうしてこの映画はこんなに面白いんだろう?
(余談)
この映画にすっかり魅せられた私は、あるときとてつもないプロジェクトに着手した。ペーパーバックの翻訳である。
この映画が公開されて、やがて「パート2」がやってくることになった。まだかまだかと待ちわびていたある日、書店で1冊のペーパーバックに出会った。「Back to the future Part 2」。無論、全部英語である。
早速買って読んだ。一段と映画が待ち遠しくなった。そんなある日、ひらめいたのだ。
「私がこれほど待ち遠しく思ってるのだ。妻も、子供たちも待ち遠しいと思っているに違いない。せめて、この本を読ませてやりたい!」
が、子供たちはもちろんのこと、妻でさえ、英語の本を読めというのは無理難題の押しつけである。手段は1つしかない。私が、我が手で、英語を日本語に移し替えるのである。
暇な時間はすべてつぎ込んだ。辞書を片手に、ワープロのキーボードをたたき続けた。
3分の1ほど訳したころ、ふらりと本屋に入った。日本語になった文庫本が並んでいた。
「こんな本、買うものか!」
とさらに翻訳に励んだ。映画がやってきた。翻訳は、まだ半分に達していなかった。妻も子供も、私の翻訳を読まないまま、映画館に向かった。
「Part 3」のとき、
「今度こそ」
と再びチャレンジした。今回も、妻も子供も、私の秀逸な翻訳文を読むことなく、映画館に向かった。
私の閃きは、どこかがずれている。
映画は無音で始まる。やがてコチコチコチコチという時計の音が徐々に高まって耳を占領し、「BACK TO THE FUTURE」というタイトルが登場する。すぐに続くのはおびただしい時計の群れだ。置き時計、壁掛け時計、デジタル時計、犬の時計、猫の時計、梟の時計、からくり時計、DVDで画面を止めて数えたら、確認できただけで32個あった。
これから始まるのは、面白くもおかしくも、壮大なる時間旅行のお話なのである。このシーンだけで、私は物語の中にすっぽりとはまり込んだ。実に巧みな導入部である。
画面に現れる時計は、すべて7時53分をさしている。と思っていたのだが、1つだけ違った時計に気がついた。こいつ、なんと文字盤の数字が反時計回りで、しかも一番上は「10」、一番下は「5」だ。つまり、この時計では1日は20時間しかない。短針は「7」と「8」の間、普通の時計の「3」あたりにあり、長針は「8」と「9」の間、普通の時計の「2」あたりにある。これが7時53分のさし方らしい。
我が地球上の人類は、1日を24時間に分割して時を表すという約束事の上で暮らしている。日本では1日は24時間だが、米国では17時間、イギリスでは15時間、中国に行くと29時間、なんてことになっては、国際化時代の今日、彼の国の時間を日本時間に換算するだけで人生の大半を消費してしまうに違いない。つまり、1日20時間の時計に実用性は全くない。
が、こいつも
「時間という概念をしっかり頭に入れておけよ」
というメッセージなのだろう。実に憎い遊び方である。
間もなく、ラジオのスイッチが自動的に入り、トヨタの販売店の決算セールを告げる。次にスイッチが入ったテレビは、原子力発電所でプルトニウムの紛失事件があったことを伝える。
トースターからは黒こげになったパンが飛び出し、何やら得体の知れない機械がドッグフードの缶詰の缶をあけ、逆さまにして床にあるボウルに中身をあける。犬はしばらく留守らしく、ボウルにはすでに山のようなフードが入っており、新しいフードはこぼれ落ちるだけだ。中身がなくなった缶は、自動的にゴミ箱に捨てられる。
ははぁ、この家の主はどうやら発明家らしい。しかも、ラジオとテレビの電源を入れたタイマーはいいとして、ほかの発明品にはろくなものがない。完成品と呼べるものが1つもないではないか。
ということは、彼が作るものはどれもこれも完成一歩手前のもの、中途半端なもの、大人のおもちゃに限りなく近いものではないのか?
壁には新聞の切抜きが貼ってある。見出しは、
“BROWN MANSION DESTROYED”
”BROWN ESTATE SOLD TO DEVELOPERS”
とある。この新聞を壁に貼っているところから見て、この家の主はブラウンさんで、家屋敷を売り払ったらしい。先祖代々の不動産を売り払って発明に狂っているのか……。
しかも、こうした材料の1つ1つが、あとあとの展開につながっている。なかでも、プルトニウムの盗難と中途半端な発明品の1つであったタイムマシンが、マーティを大変な事態に追い込むのである。
こんな巧みな話の流し方だけでも充分に楽しめる映画なのだが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を類まれな作品にしているのは、30年という時間のずれを作り出したことにある。なぜか?
10年では、今の暮らしをちょっと前に戻すだけだ。まだ記憶に新しい過去で、ノスタルジーには浸れるかもしれないが、それだけのことだ。200年では全く違う世界への探検旅行にしかならない。
30年前とは、親の世代が自分と同じ年代を生きている時代なのである。そして、1955年から1985年の30年は、きわめて変化の大きい30年でもあった。ここに、この作品をほかのタイムトラベル物とはひと味違った魅力的な作品に仕上げた秘密がある。
製作の総指揮をとったスピルバーグと監督のゼメキスは、マーティを30年前に戻すというアイデアを思いついた瞬間、この映画のすべてが頭の中で完成し、すべてのシーンが上映される気がしたに違いないとさえ思う。
マーティは現代の高校生らしく、音楽、それもロックに魅了された若者だ。
(余談)
1985年が現代、か……。
自分でロックバンドを持つ。できればロックンローラーとして世に出たい。が、校内のダンスパーティのバンドオーディションで見事に落選、帰りに恋人のジェニファーから、テープに録音した演奏をレコード会社に送ってみたら、と励まされるのだが、
”What if I send in the tape and they don’t like it. I mean, what if they say I’m no good. What if they say ‘Get out of here, kid, you got no future.’ I mean, I just don’t think I can’t take that rejection.”
(テープを送って、俺の音楽が嫌われたら? 俺に才能がないって言われたら? 「出て行けよ、ガキ。お前に未来はないよ」って言われたら? おれ、立ち直れないよ)
と尻込みしてしまう、自分に自信が持てない軟弱者である。
彼の家族も似たようなものだ。マーティが家に帰ると、父親の知り合いビフが来ていた。父の車を借り出して事故を起こしておきながら、
「こんな欠陥車をどうして俺に貸すんだ?」
と、逆に父を責めている。言いがかりにも父は抗えない。おまけに、ビフが会社に出すレポートの代筆もやらされている。まだやってないというと、
”Think, McFly, think. I’ve gotta have time to get them retyped. Do you realize what would happen if I hand my reports in your handwriting?I’ll get fired.”
(いいか、マクフライ。俺にはタイプし直す時間が必要なんだ。お前の文字のまま提出したら、俺が首なるだろ!)
と怒鳴りつけられ、今夜中に仕上げると約束する。これも、絵に描いたような軟弱者である。
母親も褒められたものではない。どうやらキッチンドリンカーらしく、マーティが帰宅した時間にはもう飲酒中だ。なのに古い道徳観の持ち主で、マーティがいない間にガールフレンドのジェニファーから電話があったと聞くと、
”I don’t like her, Marty. Any girl who calls a boy is just asking for trouble. I think it’s terrible. Girls chasing a boy. When I was your age I never chased a boy, or called a boy, or sat in a parked car with a boy.”
(私、あの娘嫌いよ、マーティ。男の子に電話する女の子って疫病神よ。とんでもないことだわ。女の娘が男の子を追いかけるなんて。あんたのころの私は、男の子を追いかけたり、電話をしたり、車を止めて男の子と一緒にいたりしたことなんかなかったわ)
では、どうすれば男の子と知り合うにはどうするのか?
”Well, it will just happen. Like the way I met your father. It was meant to be. Anyway, If Grandpa hadn’t hit him, then non of you would have been born. Grandpa hit him with the car and brought him into the house. He seemed so helpless, like a little puppy, my heart went out for him.”
(知り合っちゃうのよ、私がお父さんと知り合ったときのように。そうなってるの。もしおじいちゃんが車でお父さんをはねたりしなかったら、あなた達、誰も生まれなかったんだから。おじいちゃんが車ではねて家に担ぎ込んできたの。あのときのお父さん、子犬みたいに弱々しくて、グッと来ちゃったのよ)
このようにして2人は知り合い、高校で開かれた深海のダンスパーティ(The Enchantment Under The Sea Dance)で初めてデートをし、キスをした。雷雨の日だった、と自慢げに語る。
こんな親と子である。その子が30年前に行って、高校生時代の父と母を目撃するのだ。
父はどんな高校生だったのか?
ロレインに憧れながら、声をかけることもできない。でもロレインへの想いは断ちがたく、行動に出る。覗きだ。ロレインの家の前にある木に登り、下着姿になって着替えをするロレインを双眼鏡で覗く。この good point の選定から見て、常習である。
30年前に旅をし、その現場を目撃したマーティは思わずつぶやく。
“He’s a peeping Tom, Dad.”
覗き中のジョージが木から落ちた。そこへやってきたのがおじいちゃんの車だった。父と母の馴れ初めは、なんと覗きだったのだ! ジョージを助けようと道路に飛び出したマーティが、ジョージに代わって車にはねられたことで、歴史は思わぬ方向に進み出すのだが。
でも、父親の覗きの現場を目撃してしまった息子って……、立ち直れるか?
では、女性は貞淑であるべしと説く母は?
車にはねられたマーティが家に運び込まれて起きたことは、冒頭のパンツ話で書いた。ロレインがマーティに迫ったのである。ロレインの爆走は続く。
マーティは、ロレインの気持ちを何とかジョージに向けようと様々に仕掛ける。高校に出かけてジョージを紹介するが、ジョージは見向きもされない。
そうだ、2人を結びつけたのは、深海のダンスパーティだ。ジョージがダンスパーティに誘わねば何も始まらないのだ。
そこで、口説き文句まで教えて、ジョージにロレインをパーティに誘わせようとした。ところが、ロレインに目をつけている宿敵ビフが現れ、マーティは勢いでビフと戦う羽目に陥る。うまくビフはやっつけたが、これをみたロレインはますますマーティにのぼせ上がり、ドクの研究所まで追ってきて、パーティに一緒に行ってくれとマーティを口説くのだ。
ジョージはどう? と水を向けても、
”George McFly? Oh, he’s kind a cute and all, but, well, I think a man should be strong, so he could stand up for himself, and protect the woman he loves. Don’t you?”
(ジョージ。マクフライ? キュートだけど、でもそれだけで、やっぱり男って強くなくちゃいけないの。すっくと立ち上がって愛する女の子を守ってくれなくちゃ)
まあ、とりつく島もない、というのはこのようなことを言う。
このままでは、僕も兄も姉も生まれない! 窮したマーティは、一計を案じた。ロレインの言葉をそのまま実行すればいいではないか!?
パーティの日。ジョージと打ち合わせをした上、マーティはロレインを誘った。車を学校の駐車場に止め、マーティは車中でロレインに襲いかかる。そこをジョージが救い出す、というシナリオである。
駐車場に車を止めた。さてこれから、と思っていた矢先、ロレインはウイスキーを取り出して飲み始める。たばこを吸い始める。肩まる出しのドレス姿になる。
おいおい、かあちゃん、あんた、なんばしよっとね? まだ高校生やろが! 酒もたばこも20歳まではでけんとよ! 色気で迫っとは御法度ばい!
と言うゆとりもあらばこそ、ロレインはマーティに襲いかかるのである。
何これ、85年にあんたが話していたことと全く逆じゃない! とマーティは叫びたかったはずだ。
(余談)
ふむ、私がジョージの立場で、我が子がタイムスリップして17歳の私の前に現れたとしたら……。そりゃあ困るよなあ。だって、あのぅ………。
おっと、この日記、妻のみならず、我が子供たちも見ているようなので,迂闊なことは書けないのであります。ごめんなさい。
それどころか、マーティは自分に流れる McFly家の血も見てしまう。
ある日、学校の食堂にいたジョージは、小説を書いていた。SFだという。なんだ、風采のあがらないダメ親父も、若い頃は作家を目指していたのか。どんな小説? ちょっと見せてよ。でもジョージは体で覆い隠して見せてくれない。誰にも見せたことがないという。
”Well, what if they don’t like them, what if they told me I was no good. I guess that would be pretty hard for somebody to understand.”
(だって、見た奴がこいつを嫌いだったら? 見た奴がお前には才能がないといったら? 僕は立ち直れないよ)
これって、85年にバンドコンテストに落ちたマーティがジェニファーに言った言葉と瓜二つなのだ。自分とちっとも変わらない親父、いや親父とちっとも変わっていない自分……。
これって、落ち込むわなあ。
子供は普通、というか、今のところ絶対に、自分と同じ年代の自分の父母には会わない。だから親は、安心して子供を教育できる。自分がしなかったこと、できなかったことを、平気で「やれ」といえる。自分がしたこと、楽しんだことを「するな」といえる。たまには、他人の本で学んだことでも、さも自分がやったことであるかのように教訓話をすることができる。それもこれも、この子が、私の過去を知らないからだ。
でも、いま私に怒鳴りつけられて神妙にかしこまっているこの子が、ひょっとしたらウン10年前の世界に行ったことがあって、この子と同じ年だった私を見ていたとしたら? こいつはもう、親の権威は凋落する。親が子を教育するなんて、夢物語になってしまう。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、タイムマシンというファンタジーを使って、親と子の間に横たわって一方的に親が利用している情報ギャップを消してみせた。親としては、ゾッとする世界を見せてくれた。いやはや、想像力とは恐ろしいものである。
いや、ちょいと堅い話になりすぎたかな?
そんなに固くならなくても、30年の時間のずれを使った仕掛けには事欠かないのがこの映画だ。
例えば市長選。85年の世界では、黒人のゴールディ・ウイルソンが再選を狙って立候補している。55年に行くと、再選に挑んでいるのは白人レッド・トマスで、未来の市長ウイルソンは、向上心にあふれた喫茶店の店員だ。
“I’m gonna make something out of myself. I’m going to night school and one day I’m gonna be somebody.”
(俺はひとかどの人物になる。夜学に通ってるんだ。いつか偉い人間になってやる)
というウイルソンに、マーティは思わずつぶやいてしまう。
“That’s right. He’s gonna be mayor.”
(そうだとも。ヤツは市長になるよ)
あるいは、85年のジョージは、ビフが上司に提出するレポートを代筆する。55年では、宿題の肩代わりだ。違うのは、ビフが自分の字で書き直さないと85年では会社を首になり、55年だと学校を追い出されることだ。
85年に保釈の申請が却下されてオリの中にいるジョーイおじさんは、55年にはまだ赤ん坊だ。Playpen(ベビーサークル)に入っている。マーティが、
“So you are my Uncle Joey. Better get used to these bars, kid.”
(あんたがジョーイおじさんか。格子には慣れておいた方がいいぜ)
とつぶやくと、おばあちゃんが言う。
“Yes. Joey loves being in his playpen.”
(そうなのよ。ジョーイはベビーサークルが大好きで)
55年から85年という30年間が、非常に変化の大きい時間だったことも、さりげなく挿入されている。
再選を目指す市長が、55年は白人、85年は黒人というのもその一例だ。
85年のマーティが住む住宅地 Lyon Estate は、55年にはまだ野原で、住宅開発が始まる直前だ。
55年では、後に大統領になるレーガンが出演した映画、「Cattle Queen of Montana(バファロウ平原)」が上映中だ。だから、85年からやってきたというマーティに、ドクは大統領が誰なのかを聞く。レーガンと答えても、ドクは信じない。
“Ronald Reagon, the actor? Then who is vice president, Jerry Lewis? I suppose Jane Wymann is the first lady.”
(ロナルド・レーガン? 役者の? へん、だったら、副大統領はジェリー・ルイスで、大統領夫人はジェーン・ワイマンだってのか)
(注)
ジェリー・ルイス、ジェーン・ワイマン = 俳優。ジェーン・ワイマンはレーガン元大統領のもとの妻。
と言ってのけるのである。
おまけに、マーティが85年の世界から持ち込んだビデオカメラを再生しながらドクはいう。
”This is truly amazing, a portable television studio. No wonder your president has to be an actor, he’s gotta look good on television.”
(こいつは驚きだ。携帯型のテレビスタジオじゃないか。君の時代の大統領が俳優だってのも頷ける。奴はテレビ写りがいいのに違いない)
もう、30年の時間差を利用した、現代の選挙制度批判である。
言葉も30年間で変わってしまったものがある。
55年の喫茶店に入ったマーティは、まず「Tab」を注文する。すると、帰ってきた返事は、
“I can’t give you a tab unless you order something.”
(Tabは何か注文してもらえるまであげられないよ)
遺憾なことに、マーティが注文した「Tab」というのがいかなるものなのか、手元の辞書や、米国にいた経験のなる仲間に聞いてみたのだが不明のままである。後で出てくる「tab」は勘定書のことである。
では、とマーティが頼んだのは、「Pepsi free」、糖分抜きのペプシである。ところが55年にはそのようなものは存在しない。店主は言う。
“You wanna a Pepsi, pall, you’re gonnna pay for it.”
(ただでやれるかい、ちゃんと金を払えよ)
“free”という言葉は30年前、「無料」という意味しかなかったのだ。
Heavy にも、85年には新しい意味が付け加わっていた。そいつは大変だ、困ったという意味でマーティは、
“This sounds pretty heavy.”
というのだが、ドクの反応は、
“Weight has nothing to do with it.”
(重量は関係ない)
この言語ギャップには、もう頭を抱えるしかない。
いやはや、腹を抱えて笑ってしまいそうになるのが、ダンスパーティでのマーティの演奏だ。プロのバンドを従えて演奏するのは「ジョニー・B・グッド」。ロックンロールの王様といわれたりするチャック・ベリーの曲である。バンドの1人がチャック・ベリーのいとこで、チャック・ベリーに電話をし、
“Chuck, Chuck, it’s Marvin, your cousin Marvin Barry. You know that new sound you’re looking for, well listen to this.”
(チャック、チャック、俺だよ、従兄弟のマーヴィン・ベリーだよ。新しいサウンドを探してたな。こいつを聞けや)
と電話で聞かせてしまう。
マーティは暴走する。ギターを頭の上で弾いたり、寝そべって弾いたり、飛び上がって弾いたり、もう大暴れ。出てくる音は楽譜を離れて勝手に走り始め、いまやハードロックだ。伴奏をしているプロのプレーヤーたちも会場の学生たちも、呆然として動かなくなった。そこで一言。
“I guess you guys aren’t ready for that. But your kids are gonna love it.”
(君たちには早すぎたようだ。でも、君たちの子供はきっと大好きになるよ)
そりゃあ、1962年にデビューした The Beatles にしてからが、最初は騒音だって言われたんだから、1955年の人たちが一足飛びにハードロックを聴かされたら固まるわな。
でも、えっ、ちょっと待てよ。マーティはチャック・ベリーの曲を聴いてこの演奏ができるようになったのだし、チャック・ベリーはそのマーティの演奏を聴いてこの曲を作ったことになるのだが、だとするとこの曲、いったい誰のオリジナルなわけ?
そんな疑問なんて蹴散らしながら、映画は快調に走る。もう、メチャメチャになってしまった時間の流れが引き起こす騒動を楽しむしかない。
また、充分に楽しめる映画なのである。
夢物語としか思えない時間旅行を、まじめに研究している科学者が世界に何人もいることを私に教えてくれたのは、「タイムマシンをつくろう!」(ポール・デイヴィス著、林一訳、草思社刊)という本である。
それによると、タイムマシンは物理学の法則に則って作れる可能性がある。何でもそれにはワームホールというものを利用するのだが、金を出して買った本なのに、読んでもまったく理解出来なかった。まあいい、テレビが映る原理を知らなくても、テレビを見て楽しむことはできる。難しい理論を使って誰かがタイムマシンを完成させたら、それに乗ればいいだけのことである。
でも、いまタイムマシンの開発に従事していらっしゃる方々に私はお願いしたい。特に、完成間近に迫っている方には、懇願したい。
あなた方のタイムマシンから、1つだけ機能を削減していただきたい。多感な10代から20代前半の人たちが、親が同じ世代だった時代に行けなくしていただきたいのである。
タイムマシンには、乗員全員の年齢認識装置を取り付ける。同時に、初期設定で家族全員の生年月日を登録させる程度で可能になる機能制限である。
人間、30歳になれば、人間の弱さ、くだらなさが自分の中にもあることに気がついているはずである。自分の父が覗きの常習犯であっても、母が色情狂の過去を持っていても、何とか自分の中で消化できるものである。
だから30歳になったら、親のどんな姿を見せてもいい。それまで待たせていただきたいのだ。
私がお願いする機能制限は、タイムマシンが日常的に使われる時代、親子がバラバラにならないための人類の知恵である、と信じるものである。
【メモ】
バック・トゥ・ザ・フューチャー (BACK TO THE FUTURE )
1985年12月公開、上映時間116 分
監督:ロバート・ゼメキス Robert Zemeckis
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ Steven Spielberg
出演:マイケル・J・フォックス Michael J. Fox
= マーティ・マクフライ
クリストファー・ロイド Christopher Lloyd
= ドク(ドクター・エメット・L・ブラウン)
リー・トンプソン Lea Thompson
= ロレイン・マクフライ(ロレイン・ベインズ)
クリスピン・グローヴァー Crispin Glover
= ジョージ・ダグラス・マクフライ
クローディア・ウェルズ Claudia Wells
= ジェニファー・ジェーン・パーカー
トーマス・F・ウィルソン Thomas F. Wilson
= ビフ・タネン
アイキャッチ画像の版権はユニバーサルスタジオにあります。お借りしました。