08.16
#37 : ザ・ハリケーン - 信頼、奉仕、そして矜持(2005年6月17日)
「大道君、なんということをしてくれたんだね!」
顔をあわせるなり、職場の上司が私を怒鳴りつけた。
「はあ?」
いや、怒鳴られても仕方がないことは沢山やっている。命じられても、これは無駄だと思えば適当に手抜きをし、
「いや、まだ話がなかなか煮詰まりませんので」
などと報告することは日常茶飯事である。なあに、煮詰まっていないのではない。煮詰めていないだけのことだ。そもそも煮詰める気がないのである。可愛くない部下だ。そのうち、どれかかがばれたかな?
いや、それとも仕事をすっぽかして女に会いに行ったことが露見したのか? そういえば、あの日の上司、なんだかせっぱ詰まったような顔をしていたから、俺がすっぽかしたが故に仕事がうまくいかず、上の奴に叱られたんだろうか? だとすれば、いい気味だ。日頃から俺を虐め過ぎるから、いざというときにそのようなことになる。思い知ったか!
などと考えていたら、
「君、僕が教えてやった人事、○○に話しただろう。あれほど秘密だと言ったじゃないか。君は秘密を守れないのか!」
おやおや、何かと思ったらそんな話か。
「いえ、誰にも話していませんが……」
「そんなはずはないだろう。あの人事は、僕が部長と2人だけで酒を飲んでやっと聞き出した情報だ。君にしか話していない。君が話さなければ○○が知っているはずがない!」
こいつ、バカである。酒を飲んだ程度で人事情報を部下に漏らす部長は、他の部下とも酒を飲んで同じ情報を漏らしているに決まっている。そんな想像力も持ち合わせていないなんて、それでよく私の上司が務まるもんだ。あ、これは年功序列だから仕方がないか。
それに、だ。そもそも私は、社内の人事情報なんてものには、全く関心がない。関心があるのは自分の人事だけだ。なのに、自分の人事情報は、一番最後に伝わってくることに決まっている。だとすれば、事前の人事情報なんて気にするだけ無駄ではないか。あんた、そんなことにばかり気を取られているから、ろくな仕事ができないんだぜ。
腹立ち紛れに思わずいってしまった。
「私はしゃべってはいません。そもそも、社内の人事情報には関心がありません。もし私を疑うのなら、次回からの人事情報は私には言わないでください。疑われるのは気分悪いですから」
私は、私にかけられた冤罪を、日頃の鬱憤晴らしも交えて見事に粉砕してやった。
(余談)
にしても、私、可愛くない部下である。だから今日の私がある。それは重々自覚している。それでいいと思う。
でもなあ、△△が俺より偉くなって、給料が高くなるなんて……。
サラリーマンとは、このようなアンビバレンスを抱えて生きる悲しき存在なのであります。
まあ、私の冤罪は、晴れても晴れなくても、いずれにしてもたいしたことはない。せいぜい、その上司から煙たがられる程度が落ちである。
だが、実在した元ミドル級ボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターの冤罪は、結果があまりにも大きすぎた。身に覚えのない殺人罪で逮捕、起訴されて有罪判決を受けてから、無実を証明して自由の身に戻るまで、実に19年以上の歳月がかかった。
「ザ・ハリケーン」は、カーターの冤罪事件を、丹念に辿った映画である。
カーターは1937年5月6日、ニュージャージー州パターソンで生まれた。黒人の少年には、生き残る術と力を身につけなければ成長できない町である。ほしいものは盗む。腹が減ったら盗む。危機に陥ったら、何としてでも、どんな手段を使ってでも脱出する。カーターはそんな町で、立派に生き抜くベビーギャングだった。
ある日、仲間と遊んでいるところへ白人の中年男が近づいてきた。金時計を見せながら、仲間の1人を誘う。男の子に性的関心を寄せる変態性欲者である。仲間の危機。カーターは仲間を逃がすが、自分が捕まってしまう。獲物を逃がした怒りに駆られた変態男はカーターを滝に投げ込もうとする。あわやというとき、カーターは持ち歩いているナイフを取り出し、男の腕を滅多刺しにして危地を逃れる。
そこまでは、相も変わらぬ日常だった。違ったのはその後の展開である。カーターは逮捕され、少年院に送られてしまったのだ。金時計を奪う目的で傷をおわせた罪である。期間は10年。11歳だったカーターには永遠の時間に思えただろう。担当した刑事は、黒人への差別感に凝り固まったデラ・ペスカ。生涯の敵との最初の邂逅である。無論、カーターはまだ気づいていない。
8年後、カーターは脱走した。そのまま空挺部隊に入隊、ボクシングを始めた。天分もあったのだろう。いや、パターソンと少年院で身につけた技術もあったのかも知れない。すぐに軍隊の欧州ウェルター級チャンピオンになる。そして、パターソンに帰郷した折、後に妻となるメイ・セルマと知り合った。カーター、最初の平穏な日々である。
ところが、運命は直ちに暗転する。セルマを自宅まで送って行ったその場にデラ・ペスカが来る。少年院脱走の罪、刑期は4年。
“From that moment, I decided to take control of may life. I made up my mind to turn my body into a weapon. I would be a warrior, scholar and I boxed. I went to school.”
(その時からだ。俺は決めた。俺の人生は誰にもさわらせない。俺のものにする。俺の体を武器に変えてやる。私は戦士となり学者となる。俺はボクシングをした。学校に通った)
(お断り)
毎度のことでおわかりですよね。そう、私の耳に聞こえたデンゼル・ワシントンの台詞であります。正しいかどうか……。
今回は、デンゼル・ワシントンのしゃべり方に苦労しました。時折、ささやくような小声になるのです。普通に話していても英語なのに、小声でささやかれると、ほとんどお手上げになります。
シャドーボクシング、腕立て伏せ、読書。刑務所はカーターにとってジムであり、学校だった。誰に頼ることもなく、世界に通用するボクサーに、黒人差別問題に深い見識を持つ知識人に、自分を鍛え上げた。そして、出所。
ボクサーとなったカーターの前に栄光の日々が訪れた。接近戦を得意とするカーターは、リングで快進撃を始める。出所から2ヶ月もたたない1961年10月、無敗の米国ミドル級チャンプ、ジョーイ・クーパーを2ラウンド、右フックでマットに沈め、2年後の1963年12月には、世界ウェルター級王者のエミール・グリフィスをロープに追いつめ、ボディー攻撃から強烈な右アッパーを見舞い、1ラウンド2分13秒で倒す。栄光の頂点に立った。
(注)
世界チャンピオンに勝ったのだからルービン・カーターがチャンピオンになったのだろうと思うが、映画では触れられない。ネットで検索しても出てこない。この試合、タイトルマッチではなかったのか?
1964年12月、フィラデルフィアで開かれたWBC・WBAミドル級世界タイトルマッチでジョーイ・ジオデロと闘ったカーターは15ラウンドを闘い、判定で負ける。結果が出るまで35分もかかる異例の判定だった。ほとんど相手のパンチを受けなかったカーターの顔は綺麗なまま。ジオデロの顔はボコボコだった。場内にはブーイングの嵐が沸き上がった。ジオデロは白人ボクサーだった。ボクシングの世界にも黒人差別は厳然としてあった。
(余談)
この試合のバックで流れるのが、Gil Scott-Heronの”The revolution will not be”というラップミュージック。
「テレビは革命を放送しない」
「革命は”ゼロックスの提供”で放送しない」
という、なかなかに格好いい曲で、黒人差別を象徴するファイトを盛り上げます。
1966年6月17日午前2時過ぎ、パターソンのバーで殺人事件が起きる。目撃者によると、犯人は白い車に乗った黒人2人組。事件直後、たまたま現場をファンの黒人青年と2人、自分の白い車で通りかかったカーターは警官に停車を命じられ、取り調べを受ける。そしてその年10月14日、黒人青年と2人で逮捕、起訴され、1967年5月27日、有罪判決が下る。陪審員は全員が白人だった。刑期はそれぞれの殺人について終身刑である。無論、担当刑事はデラ・ペスカだった。
カーターの新たな戦いが始まる。リングで相手をマットに沈めるのではない。人としての尊厳を取り戻す戦いである。
獄中のカーターは、本を書き始める。冤罪を晴らす武器は拳ではない。ペンである。
1974年9月、カーターの書いた本が書店に並んだ。
「THE SIXTEENTH ROUND FROM NUMBER 1 CONTENDER TO 45472」
リングで15ランドを戦い続けてきたカーターの、人としての尊厳を取り戻す戦いは、16ラウンドの戦いなのである。「45472」は、彼の囚人番号だ。
出版をきっかけに、カーター釈放運動が盛り上がった。Bob Dylanが「Hurricane」という曲を歌い始めたのが翌1975年。街頭にはデモ隊が繰り出し、モハメド・アリ、スティビー・ワンダー、ロバータ・フラックらが集会や街頭デモに参加した。その効果か、1976年3月、再審請求が認められる。が、その年12月、再審裁判でも有罪判決が下る。これをきっかけに、盛り上がっていた著名人らの運動は尻すぼまりになる。
カーターは再び、たった1人での戦いを強いられた。
(余談)
映画では何度もBob Dylanの「Hurricane」が流れる。が、著名人たちのカーター釈放運動が時をおかずして尻すぼまりになった歴史に照らせば、こいつは著名人に対する皮肉としか受け取れない。
確かにあんたたちは、俺の歌を作ってくれた。歌ってくれた。デモしてくれた。集会で演説してくれた。でも、俺はまだここにいる。なのに、あんたたちはどこへ行っちまったんだ?
そういえば、最近でこそ少なくなりましたが、我が国でもしばらくの間、何かというと寄り集まってアピールを出すのが好きな著名人たちが大勢おりましたなぁ……。
だが、運命はカーターを見捨てなかった。思わぬ援軍が現れる。
1980年夏、カナダ・トロントで開かれた古本市で、1人の黒人少年が1冊の本を手に取った。「THE SIXTEEN ROUND」である。価格は25セントだった。
少年の名はマーティン・レズラ。ニューヨーク・ブルックリンの貧困な家庭に育ち、満足に字も読めなかった。しかし、その利発さを認めた男女3人のカナダ人グループが引き取り、教育を受けさせていたのである。「THE SIXTEEN ROUND」は、字が読めるようになったレズラが初めて買った本だった。
レズラは早速読み始めた。
”Hurricane is a professional name that I acquired later on in life. Carter is the slave name that was given to my forefather working in a cotton field Albany in Georgia. That was passed on to me.”
(「ハリケーン」は、ずっと後になってつけた職業上の名前である。カーターは、ジョージア州アルバニーの綿花畑で働いていた先祖に与えられた奴隷名だ。それが私に受け継がれた。)
(注)
ここは概ね聞き取れたつもりになっているが、「Albany」は不確かである。耳にはアラバマと聞こえたのだが、アラバマは州の名前であり、ネットで調べた限りではジョージア州にはアラバマという町はなさそうだ。よって、ジョージア州にあるAlbanyを採用した。
そんな書き出しで始まるこの本にレズラは引き込まれた。目を離せなくなった。のめり込んだ。黒人仲間を襲った運命が他人事とは思えなかった。
たまたまレズラが手に取った本。このちょっとした偶然が、全く見も知らなかった2人の運命の糸を絡み合わせる。カナダ人3人も巻き込んだカーター救出運動の、これが端緒だった。
レズラの熱意で4人は刑務所のそばに引っ越し、カーター無罪の証拠集めを始める。既存の証拠の綿密な分析。証言を拒んだ証人の訪問、新たな証拠の発見。脅迫との闘い……。それまでの支援者の誰もがなしえなかったことに、4人は挑んだ。
1985年11月8日、カーターは連邦裁判所の判決で晴れて自由の身になった。レズラがカーターの本を手にしてから5年の歳月が流れていた。4人の努力とカーターの闘いが、勝利を収めた瞬間だった。
それにしても、である。29歳から48歳までの19年間である。
29歳の私は岐阜にいた。子供は2人。長男が最初に入った幼稚園が気に入らず、半年で他の幼稚園に変えた。やっと新しい幼稚園になじみ始めた半年後、名古屋に転勤、やがて30歳になった。31歳で次女が生まれ、33歳で東京へ、36歳で札幌に赴任し、39歳で東京に戻る。42歳、今度は単身で名古屋に行き、45歳にして東京に戻る。
この間、仕事をし、毎日酒を飲み、札幌では「スキー入門」を果たし、
「お父さんと行く」
といってきかない次女を毎朝幼稚園に送り、冬場は汗をかきながら雪かきをした。戻った東京では長男、長女と相次いで高校入試。名古屋に単身赴任した際には、飲酒の罪で停学処分になった長男を呼び寄せて酒を飲ませた(「グルメに行くばい! 第25回 :蒸しもやし」を参照してください)。単身赴任を終えて東京に戻ったら妻が半年間入院した。この間に家を建て、車を4台乗り換え、それから……。
19年とは、そんな長さの時間である。
無実の罪で獄につながれた19年とは、どんな長さの時間なのだろうか。
カーターは時に高揚し、時に絶望する。無実の罪で投獄さている人間なら、ごく普通の反応である。
ごく普通の反応を繰り返しながらカーターは、私のような凡人にはとても真似のできないことをした。誇りを忘れなかったのである。
収監された日、囚人服を着ろという刑務所長の命令を拒否する。報復は90日間の懲罰房入り。カーターは、スーツ、白いカッターシャツ、黄色のネクタイのまま懲罰房に入る。
90日後。カーターは、垢で真っ黒に変色したカッターシャツ姿で懲罰房を出る。手にはスーツとネクタイをしっかり握って。スーツに腕を通すカーターに、看守のジミーが呼びかける。
“Smell off, Mr. Carter. Why don’t you take a shower?”
(臭いますよ、カーターさん。シャワーを浴びたらどうですか?)
カーターに「Mr.」と呼びかけるジミーは、カーターに好意を寄せる唯一の看守である。
カーターが応じる。
「シャワーの代償は? シャワーのあと、どんな服を着せる?」
規則通り囚人服だ、と聞くと、カーターは垢じみたカッターシャツにネクタイを締め始める。そして、昂然と胸を張っていう。
「俺を懲罰房に戻せ」
俺は犯罪者ではない。囚人服は着ない。囚人服を着るぐらいなら死んだ方がましだ。誇りある男の矜持。ジンと来る。男はこうでありたい。
代案は診療所のパジャマだった。ストライブは入ってないか? 囚人番号は入ってないか? 色は?
カーターはこの提案を受け入れる。
”Thank you, Mr. Carter.”
”You’re welcome, Mr. Williams.”
監獄の中も敵ばかりではなかった。
カーターが自由を取り戻す連邦裁判所での裁判。ソロキン判事の前での演説も見事である。例によって聞き取れたところだけ書き出す。
”I was a prize fighter. My job was to take all the hatred and skill that I could master, and send a man to his destruction. And I did them. But Rubin Hurricane Carter was no murderer. 20 years I spent locked up in a gage, considered danger to society. Not treated like a human-being, not treated like a person. Counted 15 times a day. I serve my time and a house of justice yet is no justice for me. So I ask you to consider the evidence. Don’t turn away from the truce, don’t turn away from your conscience.”
(私は誇りを持ったボクサーだった。私の仕事は身につけた憎しみと技術で、対戦相手を破壊することだった。そう、私は対戦相手を破壊した。だが、ルービン・ハリケーン・カーターは殺人者だったのではない。20年の間、私は社会への脅威として獄につながれた。人として取り扱われることはなかった。1日に15回点呼を受けた。私は正義に仕えた。だが、私に対しては正義は行われていない。お願いする。証拠に拠って頂きたい。事実から目を背けないで頂きたい。あなたの良心に忠実であっていただきたい。)
格調高い演説である。カーターはこう締めくくる。
“Justice is all I ask, Your Honor. Justice.”
(正義こそ私の求めるものです、裁判長。正義なのです。)
州裁判所を無視して、直接連邦裁判所に再審を持ち込んだカーターたちは、ここで敗訴すれば、せっかく集めた新証拠は2度と使えなくなる。それでもカーターは、媚びたりしない。あくまで、求めるのは「正義」なのである。正義は我にある。それを実現するのはあなたの役割だ、と裁判長に迫るのである。
これが人間の格調というものである。
だが、地獄の責め苦の中で人が格調高くあるためには、支えがいる。それがレズラだった。
トロントで「THE SIXTEETH ROUND」を呼んで感動したレズラは、
“Dear, Mr. Rubin Carter I read your book.”
と始まる手紙を書く。有名人の支援活動も終息し、恐らく世の中全部が敵に見えていたカーターにとって、無心にカーターを思いやるレズラの手紙は、厚い雲の間から差す一条の光だった。カーターは丁寧な返事を書く。手紙のやりとりが続く。そしてレズラが面会に来た。
“Mr. Carter? Mr. Rubin Hurricane Carter? Is that you?”
いままでは手紙でしかつながっていなかったヒーローが目の前にいる。レズラは興奮で舞い上がった。カーターが眩しかった。
カーターにとって、一点の曇りもなく信頼を寄せてくるレズラは、天使だった。面会室の写真技師は、親子と勘違いして2人の写真を撮った。カナダの4人からプレゼントが届いた。リングコートだった。石のように固まっていた心が、グングン柔らかくなっていった。生きていることの喜びさえ、レズラを通じて感じ始めた。
だがある日、カーターは
“Dear Lesra, Terry, Sam, Lisa. This is the saddest letter I ever had to write.”
と始まる、絶交の手紙を送った。2度と手紙をよこすな。2度と会いに来るな。2度目の再審請求が却下された直後だった。
俺にはもう未来がない。自由がない。刑務所を出る日は永遠に来ない。だとすれば、人を愛することは、人を信じることは自分を苦しめるだけだ! 俺はこれ以上苦しみたくない!
カーターは、心を石にする過去に戻ったのである。
だが、レズラの無垢な心は離れなかった。
1年後、レズラから荷物が届く。手紙は書くなというから、変わりにこれを送る。そんな添え書きと一緒に入っていたのは、レズラとガールフレンドの写真、それにレズラの高校卒業証書だった。レズラは、カーターが孤独になることを許してくれなかった。
カーターの心が溶けた。だが、柔らかくなったカーターの心は、牢獄生活に悲鳴を上げる。ある日カナダに電話をし、叫んでしまったのだ。
「もう耐えられない!」
カナダの4人が、刑務所のそばに越してきたのはその直後だった。
連邦裁判所で判決を待つ間、カーターは格子の中に閉じこめられる。彼はいまだ囚人なのである。格子の中で座るカーターに、レズラは自販機のコーヒーを運ぶ。コーヒーで唇を湿らせたカーターは、レズラに語りかける。
“Hate puts me in prison. Love’s gonna bus me out.”
(憎しみが私を獄に入れ、愛が獄から解き放つ)
19年の獄中体験。レズラとの触れあい。それが、パターソンのベビーギャング、せいぜい強いボクサーでしかなかったカーターを、哲学者に変えた。レズラがカーターに寄せる深い信頼、4人の見返りを期待しない奉仕、そしてカーターが一貫して持ち続けた矜持が溶けあって発酵し、新しいカーターを作り上げたのである。
だが、まだ若いレズラはストレートだ。
「愛でもダメなら、僕が脱獄させる!」
こんなレズラを抱きしめたくなるのは、決してカーターと私だけではないはずだ。
実話の重さ、実在のカーター、レズラの魅力に打ち負かされて書き忘れるところだったが、この思いテーマを片時も目を離せない映画に仕立て上げたノーマン・ジュイソン監督にも拍手を送りたい。彼は、私のように時系列的に出来事を追わない。最初にカーターとエミール・グリフィスの試合シーンを置き、カットバックで収監中のカーターを見せ、殺人事件の現場に飛び、カナダ・トロントの古書市に移るといった具合に、時系列を無視してこの映画の構成要素を観客の頭にたたき込む。なのに少しも目まぐるしさは感じさせない。観客はグイグイとストーリーの中に引きずり込まれていく。おかげで、2時間25分にも及ぶ長い映画を、ちっとも長いとは感じない。実に巧みな手法である。
それに、カーター役のデンゼル・ワシントンの名演も、この映画を印象深いものにした。リングで賞賛を浴びて得意絶頂のカーター、獄中でもがき苦しむカーター、まるで悟りを開いたかのようなカーター。デンゼル・ワシントンが、これらをどう演じ分けているかも、この映画の楽しみの1つである。
どうでもいいことだが、デンゼル・ワシントンは、我が妻がこよなく愛する黒人俳優である。私は妻の命令で映画を録画していて彼を知った。
ついでながら、彼はこの作品で、ベルリン国際映画祭で主演男優賞を、ゴールデン・グローブで男優賞を受賞している。審査員に敬意を表したい。
【メモ】
ザ・ハリケーン (THE HURRICANE)
2000年6月公開、上映時間145分
監督:ノーマン・ジュイソン Norman Jewison
出演:デンゼル・ワシントン Denzel Washington = ルービン・ハリケーン・カーター
ヴィセラス・レオン・シャノン Vicellous Reon Shannon = レズラ・マーティン
デボラ・カーラ・アンガー Deborah Kara Unger = リサ
リーヴ・シュライバー Liev Schreiber = サム
ジョン・ハンナ John Hannah = テリー
ダン・ヘダヤ Dan Hedaya = デラ・ペスカ刑事
ロッド・スタイガー Rod Steiger = ソロキン裁判長
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