08.21
#45 : カルテット - となりのトトロ(2005年8月19日)
「大道さん、楽器は何をやられます?」
私の秀でた姿形、高い知性、巧まずして会話からにじみ出してしまうウイットが、高貴な文化の香りを漂わせるらしい。私は、よくそんな質問を受ける。知性をのぞけば、すべての面で私と対極にある同僚H氏は、どれほど望んでもそのような質問を受けることはないであろう。
生まれながらにして生じた差。かわいそうだが、いかんともしがたい。
私と楽器、か。ちょいと記憶をさかのぼってみよう。
初めて手にした楽器はカスタネットだったようだ。確か、幼稚園の授業で1個ずつ手渡され、カチ・カチ・カチとリズムを刻まされた。いまとなっては思いもよらぬことだが、何事にも真面目に取り組むいい子チャンであった私は、懸命に正確なリズムをたたき出していたような記憶がある。
(余談)
うむ、だんだん思い出してきた。すでに当時にして、私にはあこがれの女性がいた。確か、高野さんといった。
長じて彼女に会って、なーんだ、と思った。幼稚園でお漏らししてからかわれていた田中さんの方がよっぽど可愛らしかった。
幼き鑑識眼というのはその程度のものである。
小学校では、まず木琴だった。音色が何とも情けなかった。切りそろえられた木の棒をたたいて音を出すのだから、余韻はない。音の長さを調節できない。音程も微妙にずれる。半音階がない。従って、この楽器では、弾ける曲と弾けない曲がある。
次はハーモニカである。これにははまった。木琴に比べれば、はるかに立派な音がする。長い音も短い音も自由自在である。気分が乗ると自宅でもハーモニカを吹きまくった。当時我が家にいた雑種犬「ポチ」は、我がハーモニカの音色に合わせて遠吠えした。恐らく、私を伴奏者にして歌っているつもりだったのであろう。
我が得意曲は「軍艦マーチ」だった。
ギターなるものに初めて触れたのは、高校3年生の時だ。文化祭に出ようというので、クラスメートが持ち込んだ。初めて触った。が、弦をつま弾くだけでは和音は出ない。
「どげんすっと?」
CとDmとG7を教えてもらった。まず人差し指で押さえ、次いで中指、薬指と、場所を確かめながらフレットを押さえる。おもむろに弦をかき鳴らすと、見事に出るではないか、和音が!
問題は、1つのコードを押さえるのに、ずいぶん時間がかかることである。目で確かめ、指で確かめないと正確な場所が押さえられないのである。
練習した。クラスメートのギターで練習した。なにしろ、文化祭は目前なのである。このままでは間に合わないではないか!
間に合わなかった。私はコーラス隊の一員であった。
出し物は、左良直美の
「世界は二人のために」
世は、安保闘争の炎が燃え上がろうかという時代である。考えてみれば、脳天気な我々であった。
子供ができて、アップライトのピアノが我が家にやってきた。せっかくピアノがあるのなら、せめてコードだけでも弾けるようになりたい。意を決してピアノのコードブックを買い求め、鍵盤に挑んだ。弾きたかった曲は、John LennonのImagineである。コードブックを見ながら、指を1本1本鍵盤に置き、押し下げた。おお。出る出る! Johnが弾いているのと同じ音が出る!
20分ほど続けた。右腕の筋が痛み始めた。
翌週、再び挑んだ。20分で両腕の筋が痛み始めた。
さらに翌週。もうピアノの前には座らなかった。ピアノは私の体質に合わない。それが結論だった。
というわけで、最初の質問に戻る。
「大道さん、楽器は何をやられます?」
答はこうである。
「はい、ハーモニカを少々」
とある高貴な方からのご下問に答えたのであった。
といいながら考えた。あれっ、ハーモニカを吹かなくなってから何十年たつかなあ? いま、我が家にはハーモニカはない。ピアノが1台、ギターが2つあるだけである。
「カルテット」は、私などははるかに及ばない楽器演奏の腕を持つ、演奏家の卵たちの青春譚だ。
明夫は大学の特待生で、卒業と同時に盛岡交響楽団のコンサート・マスターに抜擢されたエリートだ。バイオリニストだった父に仕込まれたバイオリンの腕前は比類がなく、常に一目置かれる存在だ。そのためか、かなり傲慢な男である。
智子は小料理屋の娘。交響楽団に入れるほどの腕はないが、音楽、バイオリンは捨てきれない。やむなく、どさ周りしかできない演歌歌手のバンドでバイオリンを弾く。
愛は実業家の一人娘。母は既になく、父はロンドンに住む。日本ではばあやとの2人暮らしで、1億円を超すチェロが愛器である。育ちの良さからか、おっとりしていて気が弱く、音楽面でもいま一歩脱皮できない。コンテスト落選が続く。
大介はビオラを教える音楽教室の講師をしながら、同棲中である。ビオラ奏者としての腕前には限界を感じながらも、やはり音楽を離れた暮らしは考えられない。同棲中の相手はお腹が大きく、間もなく臨月だ。
4人には、共通の苦い思い出があった。大学4年の時、日本アンサンブルコンクールにカルテットとして出場し、優勝を目指しながら様々なアクシデントに見舞われ、志を遂げることができなかったのだ。
それから3年。
明夫の所属する盛岡交響楽団はご多分に漏れず経営難で、仙台交響楽団との合併話が持ち上がる。嫌気が差した明夫は、退団して失業者となる。
智子は、演歌歌手のセクハラに悩まされていた。そして、とうとうやめる。失業者になった。
同じ運命は大介にもやってくる。内縁の妻の出産も近いというのに、音楽教室でクビを言い渡される。失業者になった。
親が豊かな愛は、そもそも就職したことがない。大学卒業以来、ずっと失業者で、チェロのコンクールに出ては落選を繰り返している。そのまま暮らしていくつもりだったのに、父親が事業に失敗して倒産した。すぐに暮らしに困ることはなくても、ま、ホンモノの失業者になったようなものである。
そんな4人が、ふとしたきっかけで再び日本アンサンブルコンクールに出場することになる。もちろん、狙いは優勝だ。だが、3年前も4人のアンサンブルは決してしっくりいってはいなかった。天才肌の明夫は、他の3人の演奏力を認めない。優勝するためには自分のバイオリン・テクニックを見せつけるしかないといいはり、カルテットを強引に引きずり回した。あとの3人は、単なる引き立て役、裏方だった。
そんな4人が、3年の月日を経てどんな音楽を生み出すのか。果たしてトップに立てるのか……。
不覚にも、目頭が熱くなったシーンがある。
改めてアンサンブルコンクールに挑むことにした4人は、大学の指導教官の勧めで地方巡業の旅に出る。東海から東北まで、10カ所で演奏をするのだ。地方なので練習場所には事欠かない。4人が24時間一緒に暮らすから、自ずから調和もとれるだろう。それに、人前で演奏する機会が持てる。おまけに、ギャラも出る。
話は、いいことだらけだった。だが、4人を待っていたのは茶飲み話に夢中で4人の演奏など耳に入らない老人たち、4人を無視して会場内を走り回る子供たち、バーベキューとビールに夢中になっている男たち、挙げ句の果ては、悠然と餌をはむ牛たち……。
唖然としながらも演奏を続ける彼らには、諍いも起きる。
大介 : | この曲って、本来もっとゆったりしたものじゃないか? |
明夫 : | ついてこれないからゆっくりしろってか 。 |
大介 : | そうじゃない。これじゃ、お前のテクニックをみせるためだけにやってる気がする。 |
明夫 : | 優勝するにはそれしかないだろ! |
大介 : | それじゃ、アンサンブルの意味がないじゃないか。カルテットってのは4人で1つだろ! |
明夫 : | お前、指は回らないくせに口は良く回るな。 |
その4人が次の会場を目指して田舎道を歩いていると、音楽が聞こえてくる。金管楽器の5重奏である。近づくと、神社の石段に腰を下ろしたお年寄り5人が演奏中だった。普段はほとんど言葉を発しない愛が、ポツリという。
「楽しそうですね」
愛ちゃんは、大好きな音楽をやっているにもかかわらず、楽しくはなかったのだ。
その日の演奏は、熱海の花火会場だった。親子連れで集まった人たちは、会場の片隅で演奏する4人には目もくれない。一心に、真っ暗な大空に向けて次々に打ち上げられる華麗な花火に見とれている。
4人が新しい曲を演奏し始めた。主催者の要請だったのか、彼らが独自に考えたプログラムだったのかは分からない。4人のアンサンブルから流れ出したのは、
「となりのトトロ」
だった。
その時である。それまで父に手を引かれ、あるいは父に肩車をしてもらって花火に見とれていた子供たちが、次々に4人を振り向くのだ。
あれっ、この曲知ってる! 花火もいいけど、音楽も楽しいじゃん!
巡業に出て、彼らが初めて自分たちの音楽に聞き入る聴衆を得た瞬間である。それと同時に、私の涙腺がゆるむ時でもある。
音楽って何だろう?
ずいぶん昔、テレビ朝日の「題名のない音楽会」で、司会の黛敏郎さんが、
「音楽の3要素とは、メロディ、リズム、ハーモニーである」
という趣旨のことを話していた。ははー、なるほど、と納得はしたものの、でも、それは音楽の分析ではあっても、音楽とは何かという問い対する答にはなっていない。
(余談)
私、思想傾向は黛敏郎さんと対極にあると思うのですが、黛さんが出る「題名のない音楽会」は大好きな番組でした。独特のペダンチズムを臭わせながら、それこそ演歌からクラシックまで、分け隔てなく音楽を取り上げ、真面目にわかりやすく分析して視聴者に伝えようという姿勢が、実に好ましく思えました。ややもすると、クラシック好きの人は演歌やロックをバカにし、ポップス党の人は、クラシックを毛嫌いすることが多い中で、黛さんは貴重な存在でした。
黛さん亡き後の「題名のない音楽会」は……。
我が家では、あまり見られておりませんです、残念ながら。
国立音楽大学出身の久石譲監督が、この難しい問いに、自分なりの答を出そうとしたのが、この映画である。
音楽とは、聴く人を楽しくさせるものである。
たぶん、この映画で久石監督は、そんなメッセージを伝えたかったのだ。それが「となりのトトロ」なのである。
(余談)
長い間私は、国立音楽大学を「こくりつおんがくだいがく」と読んでおりました。ははー、我が国には、国立の音楽専門大学があるのか、と感心していた私は、とてつもない世間知らずであったことをここに報告します。
「となりのトトロ」のあと、明夫が変わり始める。自分の超絶テクニックだけを聴かせるのは、音楽ではない。弦楽四重奏は、第1バイオリン+第2バイオリン・ビオラ・チェロではない。4つの楽器のすべての弦が1つの楽器になって初めて、音楽になる。こうして調和が生まれたカルテットはさらに練習を重ね、演奏リズムもゆったりしたものに変えてコンテストに臨む。そして……。
音楽の楽しみ方は人それぞれであろう。1人でギターをつま弾く。昔の仲間とバンドを組んで、はるかに過ぎ去った青春時代を取り戻す。誰も褒めてくれなくてもいい。誰も聴いてくれなくてもいい。ただただ、自分で音の連なりを作りだし、自分で陶酔する。それも立派な音楽の楽しみ方である。
だが、他人に聴いて頂いて料金をいただくプロのミュージシャンは、自分で楽しんでいるだけではプロ失格である。自分のテクニックに酔っていてもダメだ。長年かけて磨き上げてきた演奏術は、聴いてくれる人のためのものである。聴衆を楽しくさせなければ金をもらう資格がない、と私も思う。
いや、「となりのトトロ」で涙腺が働きだしたのは、何も音楽論のためではない。耳になじんだ楽しい音楽がどこからか聞こえてきた。どこから? 誰が弾いてるの? それを探す子供たちの表情が、実に生き生きしているのだ。
そうだよねえ、音楽の原点って、そこなんだよねえ。何となくからだがムズムズしてきて、心が楽しくなってきて、目の前の花火も見たいけど、この音楽も聴きたいと思って、音の在処を探して思わずキョロキョロする。
音楽の演奏家と聴衆が一緒になって、流れ出した音楽を楽しんでいる! それが、この上なく大切なものを目の前に差し出されたような気がしたのである。
最近の音楽から失われつつある、音楽の一番大事なものがここにある!
粗筋は相当に荒っぽい。そもそも、花火大会の主催者が、わざわざ金を払って、花火会場でクラシック音楽の演奏をさせようと思うか?
最後のシーン。明夫は新東京管弦楽団のコンサートマスターに就任する。そのお披露目公演が、たまたまアンサンブルコンテストとぶつかってしまった。どちらかを選ばなければならない。悩みながら、仲間に黙ってお披露目公演の舞台に上った明夫が、演奏中に突然舞台を去ってアンサンブルコンテストの会場に駆けつける。
おいおい、そんなことしたら、業界全体の信用を失って、この世界では生きていけなくなるぜ!
といいたくなるのは私だけではないはずだ。
私見だが、いま音楽は、混迷の時代にあると思う。
バッハが集大成したバロック音楽からモーツアルト、ベートーベンを代表とする古典派の音楽が生まれ、ロマン派、印象派とつながってきたクラシックはいま、メロディもハーモニーも気にしない現代音楽の時代である。いやメロディやハーモニーから自由になったと言うべきなのか。でも、それって音楽か?
ジャズは下り坂に入ったように思う。デキシー、スイング、クール、モードと進化を続けてきたジャズは、その後電気楽器を多用してフュージョンの時代に入る。ところが、思ったように支持を広げることができず、80年代にはいると先祖返りを始めた。かつて一世を風靡したスタンダードナンバーが演奏されるようになる。
そして、ジャズの世界からスターが消えた。次のジャズの姿も見えない。
ロックは? これはThe Beatlesですべての形ができた、というのが私の見方である。新しいロック音楽が次々と生み出されてはいるが、The Beatlesのように音楽の歴史を書き換えそうなものは、私が知る限りない。
総じて、音楽はどん詰まりに来ているのではないか? 果たして、音楽に未来はあるのか?
いや、これはあくまでも私見である。お前は間違っているとお叱りを受けるかも知れない。あまり学術的裏付けもないことを書き連ねたのは、「カルテット」という映画に惹かれた私の中には、いまの音楽に対するそんな思いがあることをご理解頂きたかったのである。
久石監督は、混迷しているように見える今の音楽シーンに、明瞭なメッセージを投げてくれた。
やはり、音楽は聴いて楽しいものでなければならない。
私はそれに共感したのである。
音楽が好きな方には是非見て頂きたい。無論、私と見解を異にされても結構である。
【メモ】
Quartet カルテット
2001年10月公開、上映時間113分
監督:久石譲
演奏:BalanescuQuartet
新日本フィルハーモニー交響団
出演:袴田吉彦
相葉明夫
桜井幸子
坂口智子
藤村俊二
三浦友和
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