2017
08.23

#49 : スモーク - 無駄こそ人生!(2005年9月16日)

シネマらかす

普通の方々にはあまりおなじみではないかも知れないが、Sir Walter Raleigh(ウォルター・ローリー卿)は、私には既知の人である。エリザベス1世の御代、彼がたばこをイギリスにもたらした。彼なかりせば、先進国はたばこを知らないまま今日を迎えていた。かも知れない。
何故既知か? 簡単なことである。こよなく愛するThe Beatlesが、彼を歌っておる。その曲を“I‘m so tired”という。John Lennonがけだるく歌う。

I’m so tired, I’m feeling so upset.
Although I’m so tired I’ll have another cigarette.
And curse Sir Walter Raleigh.
He was such a stupid get.

 聞いて、

 「Sir Walter Raleighって何者だ?」

と調べた。それだけである。

スモーク」は、このSir Walter Raleighに関する蘊蓄話で幕を開ける。

Sir Walter Raleighはエリザベス女王と親しかった。ある日、彼女の挑戦を受ける。たばこの煙の重さが分かるか?

So Walter was a clever guy. First, he took an unsmoked cigar and he put it on a balance and weighed it. Then he lit it up and smoked the cigar carefully tapping the ashes into the balance pan. When he finished he put the bat into the pan along with the ashes and weighed what was there. And he subtracted that number from the original weight of the unsmoked cigar. The difference was the weight of the smoke.
(ウォルターは頭脳明晰だった。まず彼は吸っていない葉巻をはかりに乗せ、重さを量った。次いでその葉巻に火をつけて吸い、注意深く灰をはかりの受け皿に落とした。吸い終わると、吸い残しの葉巻と灰を一緒に受け皿に乗せて重さを量った。そして吸っていない葉巻の重さからその数字を引いた。その差が煙の重さというわけだ)

なるほど、なかなかに知恵の回る人物である。
だけど、
こんな知識、いったい何の役に立つ?
知らなきゃ知らないで、どうということはないんじゃないの?
そんなこと覚えるぐらいだったら、英単語の1つでも2つでも頭にたたき込んだ方が役に立つんじゃないの?
たばこなんてのも、有害無益。あんなはた迷惑なものを愛好する人非人の気が知れない!

と、Sir Walter Raleighにいちゃもんをつけるなるほど、それが現代社会の常識かも知れない。

(反省)
考えてみれば、英国の貴族にあらせられるウォルターさんが、いまさら英単語を頭にたたき込む必要はないはずですなぁ……。

おいおい、ちょっと待ってくれ。
無駄ってそんなにいけないものなの?
無駄があって初めて、人生の潤いってヤツが生まれるんじゃないの?
そもそも無駄のない人生なんて、それこそが無駄なんじゃないの? だって、どっちみち死んじまうんだから、はなっから生きる努力なんてしない方が合理的だろ?

「スモーク」は、「無駄」についての、心温まる秀作である。心に深い傷を持ちながら生きている人々が、無駄の効用で少しずつ癒されていく。無論、全編に無駄の最たるものであるたばこの煙が漂う。
The Beatlesの、John Lennonの、そしてたばこの愛好家であることでは人後に落ちないこの私が、だから、こよなく愛する映画の1本である。

時は1990年夏。ニューヨーク・ブルックリンの街角にあるたばこ屋と、そこに出入りする人々が登場人物だ。といったって、Sir Walter Raleighって知ってる? と聞かれて、

「水たまりにマントを敷いた男だよ」

「うん、ローリーは吸ってた。クーポン付きなんだよ、あのたばこ」

と答えて頑として恥じない、まあ我々と同程度の、無知蒙昧なのに向こうっ気だけは強い人々である。そして彼らは、深い心の傷を抱えつつ生きている。こいつも、我々とそう違っているわけではない。
取り立ててストーリーらしきものがあるわけではない。角のたばこ屋を中心に、彼らの人生が絡み合い、過去とない交ぜになりながら流れていく。

たばこ屋の主人オージーは、もう14年も前から、自分の店の写真を撮り続けている。雨の日も風の日も雪の日も、店のはす向かいの交差点の角から店に向かってカメラを構える。シャッターを押すのは毎朝8時。1枚1枚、日付をつけてアルバムに整理する。
何のために? 目的はない。なんとなく始め、いまだに続けているだけだ。「健全」な人々から見れば、全くの無駄である。でも、無駄こそが人生だ。どうして、1つ1つの行動に意味を見つける必要がある?

ある日、店を閉めて帰ろうとしているところへ、作家のポールがたばこを買いに来た。ポールは、カウンターに置かれたカメラに気がつく。それがきっかけで、ポールはオージーのアルバムを見ることになる。

Paul  They are all the same
(みんな同じだ)
Auggie   That’ right. Over the 4000 pictures, at the same place, corner of the 3 rd street ????, 8 o’clock in the morning. 4000 street days, all kind of weather.
(そうだよ。4000枚以上ある。3番街の角で、午前8時に撮った写真ばかりだ。通りの4000日、天気もいろいろさ)

アルバムをめくり続けていたポールが、1枚の写真を目にとめて凍り付いた。

Paul   Oh Jesus! Look! It’s Helen! Look at her. Look at my sweet darlin’!
(なんてことだ! ほら、これはヘレンだ! 見てみろよ、俺の宝だ!)

2年ほど前、ポールは愛妻ヘレンを亡くした。銀行強盗に巻き込まれて命を落としたのだ。彼女はポールの初めての子を身ごもっていた。
その彼女が、日傘を差し, 薄いコートをまとってカメラの前を横切っている。生命に満ちあふれたヘレンである。見ながらポールはため息をつき、やがて両手で顔を覆うと嗚咽し始めた。思わぬ時に、思わぬところで、一番大切な、愛おしい、でも2度と取り返すことができない人に遭遇する。胸の奥底から、突き上げるものがあった。
そういえばあの日以来、ポールは小説が書けないでいる。

一方のオージーにとっても、ヘレンは心の傷だ。あの日彼女は俺の店にやってきた。店を出たところで殺された。

Auggie   Sometimes I think that if she hadn’t given me the exact change that day or the store had been a little more crowded to, maybe, what’d taken a few more seconds to get out here.
(時々考えるんだ。もしあの日、釣り銭が必要だったら、もう少し店が混んでて彼女が店から出るのが少し遅れていたら、って)

既に亡き人をいつまでも思い続けるのも無駄。起きてしまったことを、もしも、もしも、と思い煩うのも無駄。でも、人間っていうのは、無駄と分かりつつ、どうしようもなく引きずられてしまうものがある。それが、ときとしてホッカイロの世界をもたらす。
そんな話が、角のたばこ屋を中心にオムニバス形式で語り継がれる。

12年前に失踪した父を捜す黒人少年ラシード、17歳。家出して父親を探すついでに、小切手両替商に強盗に入った知り合いから6000ドルを奪った。いまは追われる身でもある。
その知り合いに見つかれば殺されるかも知れない。でも、6000ドルを返す気はない。この金で大学に行く。いまの暮らしを抜け出す。そのための大事な軍資金である。
だが、命を賭けて守ろうとした6000ドルも、思わぬことから手元を離れてしまう。無駄に終わった逃亡劇。でも、おかげでラシーンはポールやオージーと知り合い、それが父親を取り返すきっかけとなる。

ラシードの父、サイラスは、12年前、交通事故で妻を殺したと自分を責め続けていた。いまは再婚して自動車修理工場を経営する。左手は事故で失い、鈎のついた義手を取り付けている。
ある日、黒人の少年が店の前を離れない。こいつ、売り上げを狙ってるのか? なに、雇ってくれ? ダメだ。お前が見ている間に客が何人来た? ゼロだろ? うちの店は従業員を雇えるような状態じゃないんだ。とっとと帰れ!
でも、あまりに熱心な様子に、時給5ドルで雇うことにする。無駄な支出。それが、12年前に別れたっきりになっていた息子を取り戻すきっかけになる。

粗筋とは関係が薄いが、ラシーンに

「左手はどうした?」

と聞かれて答えるサイラスの話は印象的だ。

 12 years ago, God looked down on me, said,”Cyrus, you are a bad, stupid, selfish man. First, I’m gonna full your body with spirits, ???? put you behind the wheel of the car. Then I’m gonna have you crash the car, kill the woman who loves you. But you, Cyrus, I’ll let you live. Because living is a lot worse than dying to you. But just to make sure that you won’t forget what you did to the poor girl, I will get your arm and replace with a hook.” Now, he could rip off both my arms, both my legs, but……. God is merciful just to rip off my left arm. Every time I look at this hook, I remember what a bad, stupid, selfish man I am.
(12年前のことだ。神様がやってきてこういった。「サイラス、お前はワルで、愚かで、自分勝手だ。私はまず、お前に酒をたらふく飲ませる。その上で車を運転させる。そして事故を起こさせ、お前を愛している女を殺させる。だが、サイラス、お前は生き続けるのだ。お前にとっては死ぬより生きることの方がつらいからだ。だが、お前が自分でしでかしたことを忘れないように、お前の腕を1本もらう。代わりに鈎のついた義手を与えよう」。いいか、神様は、俺の両手をもぎ取ることもできた。両足も、だ。なのに……。神様は慈悲深い。左手をもぎ取っただけだ。左手を見るたびに、俺ってなんとワルで、愚かで、自分勝手なんだ、と思い出すんだ)

聞いているのが他人だと思うからあけすけに語る話。ラシーンは、12年憎みながら探し続けてきた父親に、初めて愛と尊敬を感じた。

突然オージーを訪ねてきたルビー。1人娘のフェリシティが家を出てヤクザ者と付き合い、妊娠した。フェリシティは、ルビーが1人で勝手に産んだ子だ。1人で育てられると思っていた。でも、もう自分の手に負えない。あの子を泥沼から救い出さなくちゃ。お願い、助けて。
ルビーは20年前、オージーの恋人だった。なのに、オージーが軍隊にいたわずか1年の間に別の男を作って結婚した。すぐに離婚。一度はオージーと復縁したが、同時に他の男がいた。蓮っ葉な女だった。
別れて、もう18年。その間、会ったこともない。フェリシティがオージーの子なのかどうかも、ルビーには確信がない。でも、せっぱ詰まって思い出したのはオージーだった。とはいえ、18年前に別れた男が、娘の父親かどうかも分からない男が、果たして助けてくれるかどうか……。無駄に終わるかも知れない。えーい、ダメ元だ。お願い、助けて。
オージーは最初、にべもなく援助を断るが……。

そして、極めつけがオージーの昔語りである。
ポールが、クリスマスの日のニューヨーク・タイムズに、クリスマス・ストーリーの執筆を依頼された。が、アイデアがわかない。困り果てて相談に来たポールに、

 Christmas story? Sure. I know a lot of. I’ll tell you what. Buy me lunch, my friend, and I’ll tell you the best Christmas story you’ve ever heard. How’s that? And I’ll guarantee every word is true.
(クリスマスの話だって? いいとも。たくさん知ってるぜ。昼飯をおごれよ。そしたら、あんたが聞いたこともないような最高のクリスマス話をしてやるよ。この条件でどうだ? すべて実際にあった話さ)

と請け合い、安っぽいコーヒーショップで話し始めるのである。

話は、オージーが写真を撮り始めるきっかけともなったものだった。最初のカメラを手に入れたときのことである。

1976年のことだった。オージーはまだたばこ屋の店員で、店番をしていた。黒人の少年がポルノ雑誌を盗んで逃げた。泥棒! オージーは追いかける。だが、少年の逃げ足は早かった。途中で諦めたオージーだったが、少年が財布を落としたのに気がつき、拾って戻る。調べると、金は入っていなかったが、運転免許証と3枚の写真が入っていた。母親と2人の写真、賞状を抱えている少年、街角に立つ少年。免許証があったから、警察に通報することもできた。だが、哀れになった。奴はブルックリンに住む貧しい子供なのだ。ポルノ雑誌の2冊や3冊……。
その年のクリスマス。暇で自宅にいたオージーは、その財布を目にしてふと思い立った。今日はクリスマスか。1つぐらいいいことをしてもいいよなあ。免許証の住所を頼りに、持ち主ロジャー・グッドウィンの家に出かけた。
老婦人が出てきた。ロジャーを捜していると伝えたが、耳が悪いのか、老婦人はいった。

“Is that you, Roger?”
(ロジャー、お前なの?)

おまけに彼女は、盲目だった。オージーを孫のロジャーと思いこんでいた。とっさにオージーは答えていた。

“That’s right, granny. I came back to see you, ‘caus it’s Christmas.”
(そうだよ、おばあちゃん。会いに戻ったんだ。だってクリスマスじゃないか)

2人は抱き合った。だから、老婦人は人違いに気がついていたはずだ。でもオージーはロジャーになったまま、クリスマスの1日を一緒に過ごした。冷蔵庫には何もなかったので、オージーがローストチキンや野菜スープ、ポテトサラダなどを買ってきた。老婦人は秘蔵のワインを持ち出した。ロジャーが彼女に話したことはすべて作り話だった。でも老婦人は楽しそうだった。
トイレに行った。新品のカメラが6、7台、シャワーの隣の壁に沿って積み上げてあった。
それまでオージーは写真など撮ったことがなかった。カメラなんて趣味じゃない。ましてや盗みをしたこともない。なのに、何故だろう。どうしても1台欲しくなった。盗みたくなった。箱に入ったままの1台を居間に持ち帰ると、老婦人は眠り込んでいた。ロジャーの財布をテーブルに置き、汚れた皿を洗い、カメラを抱えて老婦人の部屋を出た。
3、4ヶ月して、オージーはまた老婦人を訪ねた。それまでカメラは箱も開けなかった。だから返そうと思ったのだ。ところが、部屋には見知らぬ家族が住んでいた。老婦人がどこへ行ったかは知らないという。恐らく死んだのだろう。カメラは返せなくなった。
カメラが手元に残った。どう使う? こうして、4000枚を超す写真が生まれた。

暇なクリスマス、なぜ、わざわざ財布を返しに行こうと思ったのか? 見も知らぬ老婦人と、どうして1日を過ごそうと思ったのか?
行き当たりばったりの、全く無駄な時間の過ごし方でしかない。でも、おかげでロージーは老婦人に最後の幸せなクリスマスをプレゼントした。写真を撮り始めた。こんな素敵な思い出話が持てた……。

It was a good deed, Auggie, it was a nice thing you did for her.”
(いいことしたじゃないか、オージー。君が彼女にしてあげたのは素晴らしいことだ)

というポールに、オージーはいう。

「嘘をついて物を盗んだ。それがいいことか?」

ポールが答える。

“You made her happy.”
(君は彼女を幸せにしたんだ)

無理・ムラ・無駄は、我々の暮らしから追放すべき3つの「ム」といわれるものである。

無理。速やかに追放した方がよい。無理をし続けていては、体が壊れる。心が壊れる。明日できることは今日しない。これは我が人生のモットーである。

ムラ。それほど嫌わなくてもいい。人間、何事にもムラがある。体調がいい日もある。最悪の日もある。いくらでも酒が飲める日がある。わずかの酒で酔う日もある。スラスラと原稿が書ける日も、全く原稿を書く気にならない日もある。それが自然である。ムラの追放は、天然自然の理に反する。

無駄。暮らしになくてはならないものである。表現を変えれば、無駄の集積を文化という。映画も、音楽も、文学も、絵画も、演劇も、考えてみればすべて無駄だ。なくても人は生きていける。旅行をしなくても、テレビを見なくても、ましてやインターネットにアクセスしなくても、暮らしは成り立つ。
でも、そんな暮らしをしたいか? 太陽とともに起き、日中は寸暇を惜しんで労働にいそしみ、日暮れととともに布団に入る。子供を作るためだけに夜の労働に励み、終われば熟睡する。無駄のない暮らしとは、そのような暮らしである。
渡辺淳一氏が日経新聞で書き継いでいるような不倫小説も、そこで描かれる不倫そのものも、無駄の典型である。無駄の追放がなった世になれば、いの一番に発禁の処置を受けることは免れないであろう。

(余談)
といいながら、現在連載中の「愛の流刑地」なる小説は、まあ、その、このような私にいわせても、無駄な活字の羅列ですな。同じ作家のポルノ小説でも、「化身」には、ある種のすごみを感じました。確か、女が男を食い殺して成り上がっていく話でしたよね。続く「失楽園」には、失望しました。今回は……、とうとうナニの最中に女を絞め殺したりして……。表現する語彙がありませんです、はい。

 私にとって、「らかす」の執筆は全くの無駄である。仕事ではない。映画のチェックと執筆で休日はほとんどつぶれる。報酬は一銭もない。
ムダの極みに、喜々として、黙々と従事する。私は、近来まれに見る、私心のない、崇高な文化貢献者である……、のかな?

【メモ】
スモーク (SMOKE)
1995年10月公開、上映時間113分
監督:ウェイン・ワン Wayne Wang
出演:ハーヴェイ・カイテル Harvey Keitel=Augustus(Auggie)Wren
ウィリアム・ハート William Hurt=Paul Benjamin
ハロルド・ペリノー・ジュニア Harold Perrineau Jr. =
Thomas Jefferson Cole(Rashid)
ストッカード・チャニング Stockard Channing=Ruby Mcnutt
フォレスト・ウィテカー Forest Whitaker=Cyrus Cole
アシュレー・ジャド Ashley Judd=Felicity
メアリー・ウォード Mary Ward=April Lee
ジャレッド・ハリス Jared Harris=Jimmy Rose
ヴィクター・アルゴ Victor Argo=Vinnie
アイキャッチ画像の版権はヘラルドにあります。お借りしました。