2017
08.23

#50 : 小説家を見つけたら - BMWが開く世界(2005年9月22日)

シネマらかす

人にはそれぞれのGスポットが存在する。俗に言う、琴線である。ここを上手く刺激されると、身も心もメロメロになる。
ある人のGスポットは、身を焦がすような悲恋物語かも知れない。
別の人のGスポットは、憎い敵をばっさばっさと切りまくる勧善懲悪の英雄物語かも知れない。
ぎりぎりまで、人として耐えうる限界をはるか超えたところまで我慢に我慢を重ねてついに切れ、

「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たいこの世界」

と見得を切ってドスを持ち、単身敵に殴り込む高倉健さんの雄姿に酔いしれたのは、団塊の世代である。健さんが、彼らのGスポットを上手くくすぐった。

でも、Gスポットの場所って、どうして人によって違うのかな? 生まれつき? 育った環境? いずれにしても、みな同じ場所だったら、何かと便利がいいのになぁ……。

私のGスポットを紹介する。
並み優れた知力、能力、人間性を持った若者が、置かれた環境の故にその可能性の芽を出せずにいる。だが、天は見捨てない。彼を見抜き、可能性に火をつける慧眼の師を彼に与える。この慧眼の師は挫折した過去を持ち、鬱屈した暮らしをしている。2人の魂が激しくぶつかり、若者の才能は全開し、慧眼の師も生きる意味を再発見する。

小説家を見つけたら」は、このようなパターンを正確に辿る。過去に書いた映画では、「シネマらかす18 : セント・オブ・ウーマン 夢の香り - 人としての高潔さ」、まだ書いていないがそのうち書くに決まっている映画では「グッド・ウイル・ハンティング 旅立ち」、まあ、ここいらあたりと同工異曲といえないこともない。
とは思うのだが、理性では完全に理解しているつもりなのだが、見るたびに我がGスポットは激しく刺激される。刺激された私は、激しく悶えてしまう。

ふむ、これは我が育ちと深い関わりがあるのではないか。とうとう見いだされることのなかった我が才能、見いだしてくれる酔眼慧眼の師に出会うことなかりし我が半生。それらへの無念さが重なっているのではないか。
我が才能とは何か? 何故に慧眼の師と出会う幸運に恵まれなかったのか? 人生半ばを越した今、万感の思いを込めて私は自分探しの旅に出る決心を……、してしまっては、この映画を書けなくなる。ここは我慢せざるをえまい。気を取り直して「小説家を見つけたら」に立ち戻る。

ニューヨークの下町、ブロンクスで生きるジャマールは16歳。地元の公立高校に通い、成績は人並みだ。バスケットボールだけがちょいとうまい、ごく普通の黒人少年である。
みなそう思っていた。ところが、ジャマールにはもう一つの顔があった。文学少年である。圧倒的な文才に恵まれた天才少年だったのだ。
ジャマールの慧眼の師はウィリアム・フォレスターという。20世紀最高の文学者の1人に数えられながら、本を1冊出しただけで世を捨てた。世捨て人の暮らしを自ら選び取ったインテリの常として、フォレスターは頑固な変わり者だった。だが、ジャマールには心を開き、才能を見いだし、ジャマールを、自分を継ぐ文学者に育てることに生き甲斐を見いだし始めた。

ある日ジャマールは、ニューヨーク一の進学校、Mailor Schoolにスカウトされる。普段の成績は並みなのに、学力テストの成績が異常に優れていたのだ。授業料は免除。将来の展望が持てない暮らしをしていたジャマールに、突然可能性が開けた。文章はウィリアムズに師事する。学歴はこの学校で得る。おまけにバスケットボールでは、Mailor Schoolのスーパースターとなり、彼にほのかな思いを寄せているらしいクレアというガールフレンドまでできた。我が世の春である。
だが、好事魔多し、だ。大きな落とし穴が待っていた。校内作文コンテストに出した作品が、盗作疑惑をかけられたのだ。指導教官クロフォードはいう。謝罪文を書いて全員の前で読み上げろ。そうしないと、放校だ。だが、ジャマールには盗作した覚えがない。だから断固として謝罪しないのだが……。

(雑談)
映画で描かれる天才的な頭脳の持ち主は、概ね貧しい家庭から出て、裕福な家庭から出ることはほとんどない。私の欣快とするところである。家貧しうして孝子出ず。ハリウッドの監督たちは中国の古典にも造詣が深いらしい。

 この映画、我が妻がこよなく愛するものの1本である。彼女が好きだというのは、次のシーンである。私が好きなシーンでもある。

部屋から1歩も出ないウィリアム・フォレスターは、近所では有名な変人さんである。彼の姿をまともに見た人間はまずいない。名前だって知らない。
彼の住むアパートの前はバスケットボールができる公園で、ジャマールたちの遊び場所だ。16歳の子供たちは大人以上に変人さんには関心を持つ。
ジャマールもその1人だった。バスケットボールをしながら気にしていると、フォレスターの日常の用は、若い男が足しているらしい。頼まれたらしい品を定期的に車で届けに来る。薄茶色のBMW3シリーズのセダンである。
その日も同じだった。BMWが公園とアパートの間に止まる。いったいどんなものを運び込んでいるのか? 何気なく車に近寄った。すると、接近するジャマールを見て、若い男が車の防犯システムを作動させるではないか! ここは、ジャマールでなくてもムッとする。

ジャマール : I’m not gonna do anything to your car, man.
(あんたの車には何もしないよ)
若い男 : I’m sorry?
(何だって?)
ジャマール : Because you look worried, like I’ll do something to your car.
(だって、心配そうじゃないか。俺が何かするんじゃないかって)
若い男 : No, I worry about this car everywhere, not just here. So don’t take it personally.
(そうじゃない。どこに行ってもこの車のことは気にかかるんだ。ここだけのことじゃない。お前のせいじゃないよ)
ジャマール : It’s just a car, man.
(たかが車だろ?)
若い男 : No. It’s not just a car. It’s BMW. Those who know anything about that company knows that it’s more than just a car.
(いや、こいつはたかが車じゃない。BMWだ。あの会社のことを少しでも知っていれば、たかが車じゃないってことが分かる)
ジャマール : Oh, anybody knows anything about that company. So I wouldn’t know anything like that, right?
(そうかい。みんなは知ってる。だけど俺は知るわけがないと?)
若い男 : No, that’s not what I meant.
(そういう意味じゃないが)
ジャマール : Last thing I know about BMW is, they made plane engines when they first started. A guy by the name of Franz Popp started it all. Franz Popp, I like that name, made this one engine before 1920. It flew six miles up. Well, Popp and his boys were just getting started, man, made this one engine, the 801, World War Ⅱ……, 14cylinders, 2300 horse power, seven miles up. If they’d have more time, they would have bombed the slit of England and maybe even won the War. That’s where this comes from. White propeller zipping around a blue sky. After the War, they couldn’t make engines anymore. Nothing BMW, gave some serious thought to making cars. Kind like this one. But you probably knew all that, since you lease one or own.
(俺の知ってるBMWは、最初は飛行機のエンジンを作ってた。フランツ・ポップってのが創始者だ。フランツ・ポップ、いい名前だ。ヤツが1920年以前にエンジンを作った。9600mまで上昇した。ヤツとヤツの仲間が、第2次対戦では801型を作った。14気筒で2300馬力、1万1200mまで上った。もっと時間があったら、イギリスを空襲して戦争に勝っていたかもな。それがこの車のご先祖だ。ほら、このマークは白いプロペラが青い空を背景に回っているのさ。戦争が終わると、奴らはエンジンが作れなくなった。BMWがなくなる。それで真剣に車を作ろうと考え始めた。こんな車さ。ああ、悪い、悪い。この車、リースなのかあんたのなのか分かんないけど、乗ってんだから、そんなことは先刻ご承知だったよね)
若い男 :  Thanks for the history lesson
(歴史の講義をどうも)

胸のすくような反撃ではないか。
野球で相手投手を崩すには、得意玉をたたく。スライダーが得意な投手なら、徹底的にスライダーを狙う。カーブ投手ならカーブだ。いつもはバットに空を切らせるか、凡打に討ち取るかしていた玉がはじき返される。あれっ? どうしたんだ? 得意玉、決め球を打ち込まれた投手は、投球の組み立てができなくなる。自滅する。

この原理は、あらゆるところで通用する。嫌なヤツを凹ませるには、相手の得意分野で相手を打ち砕くにしくはない。相手が設けた土俵の上にあえて乗り、そこで相手を投げ飛ばす。
ジャマールも、この原則を忠実に実行した。

何、BMW? 黒人の俺には縁のない世界、あんただけが、あるいは少数のあんたたちだけが特殊な世界にいて、この世の良きものを独り占めしていると思いこんでいるのか? ああ、そうかい、でも、あんたは単なるミーハーだろ? あんたの世界ってこんな世界なんだけど、知ってる? 知らないの? あんた、自分の持ち物に位負けしてるんじゃないの?
って、相手の馬鹿さ加減を嘲笑する。拍手喝采である。

この胸のすくようなエピソードが、ジャマールの知性を描き出し、後々の物語の伏線になる。いやあ、このシーンだけでも、この映画は見る価値があると思うのだ。
しかし、BMWなんて、ジャマールの暮らしには絶対に縁がない車なのに、この豊富で正確な知識には驚嘆するしかない。私も概略ぐらいは知っていたけど、ここまではなァ。BMWが何の略かだって、いまだに知らないものなァ。

(余談)
ちなみに、Webで調べたら、BMWとはBayerische Motoren Werkeの略だそうです。バイエルン地方のエンジン工場という意味だとか。
しかし、我が妻殿、何でこのシーンが好きなのでしょう? 彼女に見分けがつく車はベンツとBMWぐらいで、あまり車に関心がある方でもないし、ジャマールのような頭脳プレーができるタイプでもないし……。
ひょっとしたらあれか? いつも私に凹まされているので、一度ぐらいジャマールみたいに反撃してみたいってことか……?

 我が妻はそれほどでもないらしいが、私はもう一つ好きなシーンがある。ジャマールが、指導教官のクロフォードに反撃する場面だ。同じ戦略に則った殲滅戦である。

ジャマールはMailor Schoolで、類い希な文才にも恵まれていることを徐々に証明し始める。それがクロフォードの疑惑を招く。16歳が書く文章にしては巧すぎるというのだ。
クロフォードは作家になり損ねて教官になった3流の文学者だった。2流以下は1流に嫉妬する。クロフォードは嫉妬したのである。自分よりはるかに年下の、まだ1人前にもなっていないジャマールが、自分より優れた文章を書く! 嫉妬の炎が燃える。

(余談)
このあたりは、モーツアルトに嫉妬したサリエリとそっくりの設定です。何と俳優まで同じF・マーレイ・エイブラハム。この方、こういう役回りが似合いすぎますなあ。関心をお持ちの方は「シネマらかす3: アマデウス―プロモーション映画 」をご参照ください。

 授業で、クロフォードは詩の一節を聞かせて作者を答えさせた。ある生徒を指名する。彼は答えられない。ジャマールが彼に耳打ちし、答を教えた。すると、クロフォードが襲いかかった。

“Perhaps your skill do extend a bit farther than basketball. ”
(君はバスケットボール以外のことも少しは = a bit farther = 知っているらしいな)

ムカッときた。闘争本能ががムクムクと頭をもたげた。

 ”‘Further’. You said my skills extend ‘farther’ than basketball court. ‘Farther’ relates to distance. ‘Further’ is a definition of degree. You should have said ‘further’”.
(多少、です。先生は、バスケットボール以外のことも少々 = a bit farther = 知っているとおっしゃいました。fartherとは、距離についての表現です。furtherは程度を表します。あなたはfurtherを使うべきでした)

文学を講じる教官に、言葉の使い方の間違いを指摘する。相手の土俵に乗り、相手を投げ飛ばす。見事である。
生徒の面前で赤恥を掻かされたクロフォードは、失地回復を試みた。詩の一節、小説の一節を暗唱してみせて己の豊富な知識量を誇ろうとしたのだ。が、いったん戦端を開いたジャマールは、この試みを木っ端微塵に打ち砕く。つまらん。そんなこと、俺だって知ってるぞ!
クロフォードの暗唱が終わる前に、作家の名前を挙げた。挙げ句、クロフォードが暗唱した先を暗唱してみせた。

“Get out! ”
(出ていけ!)

自分の得意分野、専門分野、ジャマールなど生まれてもいなかったころから積み上げてきた研鑽の成果、それをもって専門を自認しているものが木っ端微塵になった。クロフォードは烈火のごとく怒る。
が、勝負事では、先に怒りを爆発させた方の負けだ。この勝負、ジャマールの完勝である。

いかがであろう。胸のつかえがスッと下りるのはもちろん、知的バトルにおける勝利の方程式が誰にでも分かるように優しく解き明かされた名場面である。と愚考するのであるが……。

ま、とはいえ、局地戦での勝利が戦争全体の勝利を保証することはない。ジャマールは仕返しを受けた。盗作疑惑である。こうして波乱は波乱を呼び、アル・パチーノ演じるフランク・スレイドの名演説(セント・オブ・ウーマン 夢の香り)の向こうをはるような、ショーン・コネリー演じるウィリアム・フォレスターの、こいつは知的プレーも取り混ぜた演説シーンにつながっていく。是非、ご自分の目と耳でお確かめいただきたい。

にしても、だ。今回は多少文句も言わせていただく。
冒頭、カメラは積み上げられた本を下から順に写していく。これが凄い本ばかりなのだ。順番通りに再現すると、

After the Banquet(宴のあと) Yukio Mishima
The Sound of Waves(潮騒) Yukio Mishima
The Temple of Dawn(暁の寺) Yukio Mishima
The Sailor who fell from Grace with the Sea(午後の曳航) Yukio Mishima
Chekhov(チェーホフ)
PHILOSOPHICAL FRAGMENTS KIERKEGAARD
The Sickness unto Death(死に至る病) KIERKEGAARD
FEAR AND TREMBLING(畏れとおののき) KIERKEGAARD
Marquis De Sade(マルキ・ド・サド)
A Portrait of the Artist as a Young Man(若い芸術家の肖像) James Joyce
Sometimes a Great Notion Ken Kesey
Finnegans Wake(フィネガンズ・ウェイク) James Joyce
The illustrated man(刺青の男) Ray Bradbury
Fool for Love Shepard
Discourse on Method and the Meditations Descartes

以上である。この直後、カメラが移動して眠っているジャマールの顔が登場するから、16歳のジャマールが読んだ本と解釈するしかない。
ご覧の通り、一応調べては見たものの、邦訳のタイトルが分からなかったものもある。従って、邦訳が存在するかどうかも不確かである。
そうか、三島由紀夫って英語訳がたくさん出ているのか。しかし、三島由紀夫だったら、ちょっとませた16歳なら読むだろう。レイ・ブラッドベリも、SFと考えれば読むこともあろう。でも、サド? キェルケゴール? ジェームス・ジョイス? 自慢じゃないが、私はこの歳になるまで読んだことがない……

まあ、そこまでは大目に見よう。でも、三島由紀夫があって、夏目漱石がないのはどういうことだ? 明治以降、最高の文学者は夏目漱石を置いて他にはないではないか! 「潮騒」って、吉永小百合が出た映画を見たけど、全く印象に残ってないぞ!

それも、横に置いてもいい。見ていて困っちゃったのは、まれに見る文才を持っているはずのジャマールの作文である。タイトルを

Losing Family(家族の喪失)

という。ここに中身を書き出してみよう。

 Losing family obliges us to find our family. Not always the family that is our blood, but the family that can become our blood. And should we have the wisdom to open our door to this new family, we will find that the wishes we once had for the father who once guided us, for the brother who once inspired us.
(中略)
 the only thing left to say will be : I wish I had seen this or I wish I had done that, or I wish…….
(家族なくすと、我々は家族を見いだす。血のつながりがある家族とは限らない。血のつながりに等しきものを作り上げていける家族で充分である。もし我々が、この新しい家族に門戸を開くほど賢明であれば、かつて持ったことがある願い、私たちを導いてくれた父、憧れていた兄、を再び見いだすのである。=中略=最後にこういうであろう。これを見ておきたかった、あれをやっておけばよかった、それに……)

これは、Mailor Schoolの作文コンテストに飛び入りしたフォレスターが読む作文だ。中略の部分は映画にも出てこないから、我々は知りようがない。クロフォードは、20世紀を代表する作家の突然の登場に興奮し、この作文を褒めちぎる(The quality of your word is something we should all aspire to reach.)。
だが、この作文の作者はフォレスターではない。このコンテストで自分の作文を読み上げることを禁止されたジャマールである。クロフォードがその事実を知らされるのは、この直後である。クロフォードは、自分が盗作疑惑をかけ、作文を読むことを禁止した生徒の作文に、最大級の賛辞を贈ってしまったのである。

こうして大逆転劇が生まれるのだが、賢明なる読者諸氏よ、この作文、いいかぁ?
類い希な文学的天才を持つ少年が書いた文章と思えるかぁ?
20世紀を代表する文学者が読み上げて、彼の作であると誤解されるほどいい文章かぁ?
否! 断じて否、なのである。持って回ったような表現が目立ち、具体性が何もない。かといって、論理で押すわけでもない。こういうのを、単なる駄文と呼ぶのではなかったか?
入社試験の作文の採点官を任された私の前にこの作文が出てきたとしたら、可もなく不可もない点数をつけざるを得ない、と思う。

このシーンは、大逆転劇が起きる、いってみればこの映画の山場なのだ。その大逆転劇を担わされるのがこの作文では……。
画竜点睛を欠く、と判断せざるを得ない。

惜しかったなあ。私の元に、この大道裕宣さんのところに、

「作文を1本書いてくれませんか?」

と依頼する眼力、判断力がある人間が、1人でもこの映画の制作スタッフに混じっていたら……。
誰にも後ろ指をさされることがない名作になっていたはずなのになぁ……。

【メモ】
小説家を見つけたら (FINDING FORRESTER)
2001年3月公開、上映時間136分
監督:ガス・ヴァン・サント Gus Van Sant
音楽:マイルス・デイヴィス Miles Davis
出演:ショーン・コネリー Sean Connery = ウィリアム・フォレスター
ロブ・ブラウン Rob Brown = ジャマール・ウォレス
F・マーレイ・エイブラハム F Murray Abraham = クローフォード教授
アンナ・パキン Anna Paquin = クレア・スペンス
アイキャッチ画像の版権はコロンビア映画にあります。お借りしました。