2017
08.24

#51 : ブラディ・サンデー - テロルの土壌(2005年9月30日)

シネマらかす

1987年秋の週末、アイルランドの首都ダブリンまで足を伸ばした。ロンドンに行ったついでだった。

ロンドンのホテルからヒースロー空港まではロンドン・キャブである。日本のタクシーと違い、乗客の空間が極めて広い。耳にうるさいエンジンのうなり音と車の速度に相関関係が薄いことを除けば、快適だ。
快適さに負けた。うっとりして車内にカメラを置き忘れた。カメラなしでは、記録媒体が我が頭脳だけとなる。記憶装置としての我が頭脳に自信が持てない私にとって、これは不安だ。空港ビルに入ってすぐに気がつき、タクシー降り場にとって返したが後の祭り。仕方なく、空港の売店で新しいカメラを買った。もともと軽かった財布が、またまた軽くなった。

土曜日のうちに人に会い、日曜日は1人でダブリンの市中を散策する、と予定をたてた。ところが、土曜日のスケジュールが早めに終わり、午後、ダブリンの中心街を歩いた。たった1人で、この地で日曜日1日を過ごすのは至難の業であることに気がついた。どこに行ったらいいのか。何をしたらいいのか。街を散策しながら途方に暮れた。ダブリンは観光都市ではないことを知らされたのだ。

下準備をしなかったこともある。英語によるコミュニケーションが不得意ということも否定できない。日曜日は商店が開かないのもつまらない。原因は様々に分析できる。だが、結果は変わらない。素敵な女性を同伴しているのならほかにやることもあろう。だが、たった1人、日曜日をダブリンで過ごしたのでは、退屈で死にそうになる。

その日はトリニティ・カレッジ近くの学生相手の食堂で夕食をとり、近くのパブでプラック・ブッシュミルのオン・ザ・ロックを3杯飲み、ホテルまで歩いて帰り、寝た。 独りで。
翌日、一番早い便でロンドンに戻った。大英博物館で時間をつぶした。ロンドンも、日曜日には商店は閉まる。日曜日を過ごせる場所としてほかに思いつくところがなかった。
おびただしい量のミイラに度肝を抜かれた。そばに座り込んでミイラをスケッチする女子学生には、もっと度肝を抜かれた。いずれにしても、我がアイルランド体験は、たった丸1日で終わった。

その程度の旅行者でしかなかった当時の私が、アイルランドの歴史に詳しいはずがない。私がダブリンを訪れた日からわずか16年ほど前の1月31日、そこから北北西へ200kmほど離れた北アイルランドのデリー市で、血の日曜日事件と呼ばれる惨劇が起きていたなど、お恥ずかしいことに知るよしもなかった。

ブラディ・サンデー」は、その血の日曜日事件をできるだけ忠実に再現したと思われる作品である。

アイルランドの歴史は悲惨だ。それでも、自分たちだけで悲惨な歴史を積み重ねてきたのなら、自業自得じゃないかともいえる。だが、この国の悲惨さは、常に海を越えて、暴力を伴ってやってきた。

この1000年ほどの間、侵略者は、バイキング、ローマ教皇の許可を得たイギリス国王ノルマン人と、時代とともに変わった。だが、もっとも長い侵略の歴史を持ち、アイルランドの現代史にその影響をとどめているのは、すぐ隣の島国、イギリスである。

15世紀、イギリスの敵は、当時の強国スペインだった。スペインがアイルランドと手を組むようなことはないか? そうなれば、挟み撃ちにされるぞ! 何とかしろ! いっそアイルランドを支配しちゃえ!
アイルランドとしては迷惑な話だ。が、結局、強いものには巻かれるしかなかった。長く続いたイギリス支配で、様々な対立の根が国内に植え付けられた。いまだに残る宗教対立もその1つとして今に残る。

アイルランドは1922年、やっとアイルランド自由国として独立を達成する。しかし、経済、宗教、人種など様々な面でイギリスとの関係が深まってしまっていた北アイルランドは加わらず、北アイルランド連合王国としてイギリスの一部にとどまった。そして、イギリスの影響でプロテスタントが多い北アイルランド内部には、カトリック信者に対する就職差別住宅割り当て差別選挙差別などが残った。負の遺産である。
そのうえ1971年、インターンメントが制定され、逮捕状なしに容疑者を逮捕できるようになった。これが血の日曜日事件の直接の引き金である。

とは、インターネットで安直に調べた、血の日曜日事件に至る北アイルランド紛争の流れである。「ブラディ・サンデー」を見る際には、まあこの程度の知識は備えておいた方がわかりやすい。

(余談)
と偉そうに書きながら、実は私もこの原稿を書くために調べたのではありますが……。

 1972年1月31日日曜日、デリーでは、デリー公民権協会(Derry Civil Rights Association)がデモ行進を計画していた。英国政府は改革を約束してきたが、何の変化もない。挙げ句がインターンメントとは!
差別され続けるカトリック信者による抗議のデモンストレーションである。

指導するのは、非暴力主義を唱える地元選出の下院議員(映画では明示されないが、おそらく英国の下院なのだと思う)のアイバン・クーパー。彼は下院議員になるほどだから、カトリックではない。カトリックへの差別に義憤を感じ、ガンジーやキング牧師にならって、非暴力の抗議行動で政治を変えようというのだ。

一方、IRA(アイルランド共和軍)に手を焼く英国政府はこのデモ行進に危機感を募らせていた。デモ隊にIRAが紛れ込んで反乱を起こしたら……。一般市民を盾に武力行使に出てきたら……。一切のデモ行進を禁止した。それだけでは安心できなかったのだろう、空挺部隊を派遣し、不測の事態に備えた。

だが、デリー公民権協会は、デモ行進を中止する気は全くなかった。差別撤廃を求めて平和的に行進することに何の問題があろうか。よろしい、そこまで言うのなら、市役所前を最終目的地にするのはやめる。代わりに、フリー・デリーの広場に向かう。でも、我々は何度でもデモをする。自由と平等が認められるまで、デモ行進を継続する。そして、
We shall overcome……。

そのフリー・デリー広場が、流血の舞台となる。デモに参加した13人の市民が英軍の銃弾の犠牲になって命を落とした。これが血の日曜日事件である。

「ブラディ・サンデー」は、その30日土曜日から31日日曜日までの英軍とデモ参加者に密着する。

あらゆるデモ行進を非合法化する英軍の記者会見、我々は断固として歩くと宣言する公民権協会の記者会見、警戒中の英軍、ひと暴れしてやると意気込むカトリックの若者たち、英軍司令部と前線部隊との交信、デモルートの変更を巡る公民権協会内部の対立……。短いショットが、目まぐるしいほどに積み重ねられる。

そして、山場。英軍によるデモ隊への発砲シーンだ。英軍に追われた若者たちが逃げまどい、フリー・デリー広場のデモ隊の中に逃げ込む。これを追ってきた英軍の銃が、デモの参加者に向く。カメラは、逃げまどう民衆と一緒に走る。画像が揺れる。
タン、タンと聞こえる銃の渇いた発射音がする。標的になった市民が、血を流しながらあっけなく崩れ落ち、地面に横たわる。思わず駆け寄るデモ参加者にも、銃弾が容赦なく降り注ぐ。リアルである。ニュース映像を編集したドキュメンタリーではないか、と錯覚するほどの緊迫感が画面からあふれ出す。
緊迫した2日間を描く巧みな映画作りである。

原作は、この現場にいたというドン・マランさん。映画の生々しさは、その現場体験があってのことだろう。
マランさんが見た血の日曜日は、若者たちの投石から始まった。それに向かって、英軍はまず、放水車で制圧しようとする。それでも収まらないと、次はゴム弾の発砲を始める。それでも事態が沈静化しないと、催涙ガスだ。だが、若者たちはひるまない。手に手に石を持ち、英軍に向かって投げながら、市役所前を目指す。デモ行進のそもそもの目的地である。
デモ行進は我々の権利だ! 英軍に屈するな!

(余談)
かつて日本でも、投石による権力への挑戦がありました。鎮圧部隊は機動隊。アイルランドと同じく、放水車も催涙ガスも登場しました。ゴム弾なるものは日本では登場しませんでした。だから私は、いかなるものかは知りませんが、弾に当たっても死ぬことがないように配慮されたものなのでしょう。日本でゴム弾の代わりになったのは、催涙弾の水平撃ちでした。東大安田講堂の攻防戦で使われたと記憶します。催涙ガスを敵陣地に送り込むために弾を撃つのではなく、催涙ガスの入った弾で直接人を撃つのです。当然、けが人が出ました。
民衆による反乱への対応手法は、洋の東西を問わないようです。

 発砲はこの混乱の中で起きた。
兵士の1人が発砲すると、他の兵士も歯止めがはずれた。我も我もと引き金を引く。1発の銃声が戒めを解いてしまったのだ。英軍の発砲を見たIRAのメンバーが拳銃を取り出すが、周囲に取り押さえられる。軍隊に拳銃1丁で立ち向かうのは無謀である。
かくして、英軍兵士による、一方的な狙い撃ちが始まった。

それにしても、と思う。歴史とは、政治とは、このようなものでしかあり得ないのか……。

きっかけを作ったのは、デモに参加した若者たちだ。彼らの投石がなければ、彼らが無理に市役所前広場へ行こうとしなければ、英軍による発砲はなかったかも知れない。
そもそも、他に有効な武器がなかった太古の時代ならいざ知らず、近代兵器を身にまとった正規兵を相手に、投石で抵抗するのは無意味である。石を何十個、何百個投げようと、敵に損害を与えることはない。得られるのは無意味な自己満足でしかない。

(余談)
 他国のことはいえません。わずか60年ほど前、我が日本でも、ほとんどの国民が
「米軍が上陸してきたら、竹槍で差し違える!」 
と悲壮な決意で、竹槍の訓練に励んでいたわけであります。しかもそれは、政府の最高レベルからの指示だったのであります。 我々日本人が持つが持つ、トホホの歴史であります。

 市役所前広場。これも無意味な行動である。市役所前にたどり着いたところで、何が変わるわけでもない。冷静に考えれば、こいつも、得られるのは自己満足だけだ。

だが、いつの時代でも若者は直情径行だ。
俺たちはいつまで差別を許す? 抑圧を許す? 自由と平等を、いつになったら手にできる? 今だ!
チンタラ歩いて何になる? 少しでも敵にダメージを与えなくては意味がないじゃないか! 勝利できないじゃないか!
そんな若者は、いつでも、どこにでも存在する。そして、その日の彼らの戦いのシンボルが市役所前広場だった。
生まれてこの方、政治的、経済的に差別されることしか知らない若者の暴走に対して、君たちは愚かだ、とはいえる。だが、非難できるか?

では、最初に発砲した英軍の兵士が責めを負うべきか?

やや話がそれるが、日本も外国の軍隊に占領された歴史がある。太平洋戦争終結時である。その時の話だ。

 「アメリカ兵たちは、当初、内心かなり警戒していたという。彼らが聞いていた日本人は”野蛮”であり、”好戦的”であるはずであったから。しかも、つい2週間ほど前までは戦地で戦っていた相手である。いくら戦勝国だからといって、その敵に乗り込んでいくのだ。どんな突発事態が起きるかもわからない……」
(「あの戦争は何だったのか」=保坂正康著、新潮選書)

結果的に、日本では何も起きなかった。不思議な民族だと思う。だが、当時の日本人がチューインガムやチョコレートを米兵にねだる代わりに、大規模な反米デモを起こしていたらどうだったろう? 日本に、米軍を武力で撃退しようという勢力があり、何度も駐留米軍に武力抵抗していたら、平和的なデモに不測の事態が起きなかったと言い切れるか? 怯える者の行動はコントロールできないのである。

1972年1月31日、アイルランドに派遣されていた英国兵たちも、内心は戦後の日本にやってきた米兵たちと同じであったに違いない。彼らの心にあるのは、恐怖心である。周りはすべて敵ばかり。自分を守るのは、握りしめた銃だけ。 抑圧する者は、その代償として恐怖心に耐えねばならない。抑圧者の手先たちではあったが、その恐怖心を一身に引き受けなければならなかったのである。

このような状況に置かれた兵士は、物干し竿で揺れる白い敷布を幽霊と誤認するほどにびくついている。猫の足音にも飛び上がるほど驚き、引き金にかけた指に力を込める。
「ブラディ・サンデー」に登場する戦線の兵士たちの顔は、どれも内心の恐怖感が滲み出している。そして、フリー・デリー広場では、恐怖心が引き金を引かせた。そんな前線の兵士を非難できるか?

どうやら、歴史とは、このようにしか進まないらしいのだ。

13人の死亡が確認された。デモの指導者、アイバン・クーパー上院議員は、記者団を相手に沈痛な表情で声明を発表する。近くでは電話の呼び出し音が絶えない。

This afternoon, 27 people were shot in this city. 13 of them might die tonight. They were innocent. We were there. This is our ???? . This is our army’s massacre. A moment of truth, a moment of shame. And I just wanna say this to English Government. You know you just ???? , you’ve destroyed the civilized movement and given the IRA the biggest victory it will ever have. All over the city tonight, the young men, boys will be joining the IRA. And you will rip a ????. Thank you.
(本日、この町で、27人が撃たれた。うち13人は今夜のうちに亡くなった。何の罪もない人々だ。我々は現場にいた。これは英軍による虐殺である。恥ずべきことだが、これが真実だ。私は英国政府に言いたい。あなた方は公民権運動をつぶした。あなた方はIRAに空前絶後の勝利をプレゼントした。今夜はこの町のあちらこちらで、多くの若者が、少年が、IRAに入るはずだ。そしてあなた方はしっぺ返しを食う。ご静聴に感謝する)

 クーパー上院議員は、非暴力主義の信者である。そのクーパー議員までが、暴力による抵抗を続けるIRAに若者が入るのは当然であると言明する。そしてその日、IRAの事務所の前には、若者たちの列ができていた。

憎しみと恐怖がお互いに刺激しあってエスカレートする。そのエスカレーションを止める術は、現場にはない。恐らく、それが世界各地の紛争地帯の現実である。
この現実を変える力を持つはずの政治家たちよ。あなた方はこの現状を認めるのか? 果てしない流血の惨事を、放置するのか? あなた方は、何のために政治に携わり、権力をふるうのか?
この映画は痛烈に問いかける。 まだ、答えはない。

以下は余談である。
ここまで書いてきて、ずっと前に血の日曜日事件を告発した歌い手がいたことを思い出した。我が敬愛するJohn Lennonである。彼のアルバム“Sometime in New York City”に“Sunday bloody Sunday”という曲があった。
このアルバムが制作されたのは1972年3月。事件からわずか2ヶ月後である。おそらく、このアルバムが発売されたのとほぼ同時に購入して聞いていたはずなのに、私は血の日曜日事件を全く知らずに今日まで過ごしてしまった。情けない。
反省を込めて、事件の直後にJohn Lennonが書いた歌詞を紹介してこの稿を終える。

 Sunday bloody Sunday 血まみれの日曜日

Well it was Sunday bloody Sunday 血にまみれた日曜日
When they shot the people there 奴らが銃をブッ放し
The crys of thirteen marty martyrs 13人の殉教者の叫びが
Filled the free derry air. フリー・デリーに響き渡った
Is there any one among you ねえ、君、
Dare to blame it on the kids? 若者たちが悪かったというのか?
Not a soldier boy was bleeding 兵隊はみんな無事で
When they nailed the coffin lidds!  棺桶を釘付けしてたんだぜ!

 

Sunday bloody Sunday 血まみれの日曜日
Bloody sunday’s the day!  血にまみれた日曜日

 

You claim to be majority あんたたちが多数派?
Well you know that it’s a lie 嘘だとわかってるくせに
You’re really a minority あんたたちは少数派さ
Oh this sweet emerald isle.  エメラルドのように綺麗なこの島ではな
When Stormont bans our marchers ストーモント政府がデモを禁じたんだぜ
They’ve got a lot to learn あいつらはもっと勉強しなきゃ
Internment is no answer 留置で解決するか?
It’s those mother’s turn to burn!  お袋たちが火をつけるぜ!

 

Sunday bloody Sunday 血まみれの日曜日
Bloody sunday’s the day! 血にまみれた日曜日

 

You anglo pigs and Scotties アングロの豚め、スコットランド人め
Sent to colonize the north 北部を植民地にしに来たんだな
You wave your bloody Union Jacks 打ち振る英国旗は血みどろさ
And you know what it’s worth! やってることが分かってるのか!
How dare you hold on to ransom 保釈金を払えただと?
A people proud and free 誇りと自由の民を収監しておいて!
Keep Ireland for the Irish アイルランドをアイルランド人の手に!
Put the English back to sea!  イギリス人を海へ追い落とせ!

 

Sunday bloody Sunday 血まみれの日曜日
Bloody sunday’s the day! 血まみれの日曜日

 

Yes it’s always bloody Sunday 毎日が血まみれの日曜日さ
In the concentration camps 強制収容所だからな
Keep Falls Roads free forever フォールス・ロードを守りぬけ
From the bloody English hands 血にまみれたイギリス人から
Repatriate to Britain イギリスに送り返せ
All of you who call it home イギリスを母国と呼ぶ奴らを
Leave Ireland to the Irish アイルランドをアイルランド人の手に
Not for London or for Rome!  ロンドンやローマに渡しちゃいけないぜ!

 

Sunday bloody Sunday 血まみれの日曜日
Bloody sunday’s the day! 血まみれの日曜日

【メモ】
ブラディ・サンデー (BLOODY SUNDAY)
劇場未公開、上映時間110分
監督:ポール・グリーングラス Paul Greengrass
原作:ドン・マラン Don Mullan
出演:ジェームズ・ネスビット James Nesbitt = アイバン・クーパー下院議員
ティム・ピゴット=スミス Tim Pigott-Smith = フォード少将
ニコラス・ファレル Nicholas Farrell = マクレラン准将
ジェラルド・マクソーリー Gerard McSorley = ラガン警視正
キャシー・キエラ・クラーク Kathy Kiera Clarke = フランシス
アイキャッチ画像の版権はパラマウントにあります。お借りしました。