08.26
#57 : スクール・オブ・ロック - 頭は使うな! (2005年11月11日)
芸術は爆発だ
どこかの芸術家がいった。
爆発? 何が爆発するの? ゴッホの絵が爆発する? モーツアルトのピアノ協奏曲20番が爆発する? ミロのビーナスが粉みじんになる?
分かったようで分からない言葉ではある。
「スクール・オブ・ロック」はいう。
Rock is but a passion.
(ロックは情熱だ)
If you wanna Rock, you’ve got to break the rules. You’ve got to get mad at the man.
(ロックしたきゃ決まりを破んな。権力者に怒りをぶつけなよ)
ふむ、これも分かったようで分からんなあ。
脇目もふらずに日曜大工でウッドデッキを製作する(「年賀のご挨拶」をご参考に)のはロックか? スピード違反で白バイに追い掛けられるのはロックか? 区役所の窓口で、
「おまえら働く気があるのか!」
と啖呵を切るのはロックか?
だが、分からなくてもいいのである。「スクール・オブ・ロック」は、理解しようとすると、とてつもない重荷を背負い込むことになる。
えっ?!
何で?!
そんな!
ってな驚きと疑問を多数抱え込むことになる。
この映画を楽しむには、頭脳を休ませるに限る。この世の約束事を忘れるに限る。ただただ、心地よいビートと映画の流れに乗ってロックンロールすればよろしい。見ているうちに自分もロッカーとなる。高揚する。涙する。しゃれたエンディングに思わずニヤリと笑う。
「スクール・オブ・ロック」は、ビートのきいたノンストップ、学園コメディである。
(余談)
そのためであろうか。我妻はこの映画を評し、
「近年のめっけもの」
と語った。いつも頭が休んでいるのだなあ。
デューイ・フィンは、デビューを夢見る売れないロッカーである。自分のバンドを率い、ロック・バーでギンギンの演奏をしていると、客はノキアの携帯端末で、
These guys suck, Leave?
(こいつら、糞だ。出る?)
とメールを送りあっている。騒音で会話ができないためだ。ノリノリでそれが分からぬデューイは演奏が終わると、勇敢にも客席にダイブを試みる。ところが、白けきった客は誰も受け止めない。哀れ、我らがデューイ君は床に激突して気を失った。トンマを絵に描いたような男だ。
住まいは、元パンク・ロッカーの友人、シュニーブリーの家。賃貸契約を結び、その一角を占拠しているのだが、稼ぎのないデューイは家賃滞納の常習犯。すでに2200ドルまで積み上がり、追い立てを食っている。
なあに、近くバンド・バトルがある。優勝すれば賞金は2万ドルだ。耳を揃えて返してやるさ。
と言い残してバンドの練習場に出かけると、その場でクビを言い渡される。20分に及ぶソロ演奏、ステージ・ダイブ。あんたがいたんじゃ、このバンドは永遠に浮かび上がれないんだよ。
かくしてデューイは、自分が結成したバンドから追放の憂き目に遭う。2万ドルの賞金を手にするなど、夢の彼方に飛び去った。
こうなれば、愛器1968年製のギブソンSGを売却するしか、金を作る道はないか……。シュニーブリーの家に戻り、電話で売却交渉をしていたデューイは、シュニーブリーにかかってきた電話を取る。進学校として名高いホレス・グリーン学院のロザリー・マリンズ校長からだった。教師が1人怪我をした。代用教員を務めてくれないか。
“No. He’s not here.”
(いや、奴はいないよ)
とつれなかったデューイは、
“We pay our substitute 650 a week.”
(我が校では代用教員の週給は650ドルです)
と聞いて豹変した。何をやっても冴えない食い詰め男のデューイが閃いたのである。
“Hold on a sec. I think he’s coming in right now. Ned! …………. Hello, this is Schneebly.”
(ちょっと待って。帰ってきたようだ。ネッド! はい、シュニーブリーですが)
かくして、すっかりシュニーブリーになりすましたネッドは16人の生徒の前に立つ。むろん、教師の資格などあるはずがない。子供たちに教える知識もない。黒板に、シュニーブリーと「自分」の名前を書こうとして、途中で綴りが分からなくなる先生なのである。授業時間は、すべて休憩時間と化してしまった。
私立の進学校の生徒は、どこかこしゃまくれている。学級委員のサマーはその筆頭格だ。
“My parents don’t spend 15,000 dollars a year for recess.”
(私の両親は、休憩時間のために毎年15,000ドル払ってるんじゃないわ)
いわれたデューイは、むかっ腹を立てた。どう見てもサマーの方が正論なのだが、立っちゃったものは仕方がない。そこまでいうんなら、教えてやろうじゃあないか!
(余談)
他にもありますなあ、立っちゃったものは仕方がない、というヤツは。
えっ、何ですか? 立っちゃったものって何だとおっしゃるんですか? えっ? そんな淫らなことを書いていいのか、ですって?
いえ、私が申し上げているのは家ですよ。我が家の南隣の敷地に、境界線いっぱいに立った総2階建ての家。おかげで、我が家には日が差さなくなるし……。
いやですねえ。何だとお思いになりましたんですか?
”Give up. Just give up. Because in this life. you can’t win. Yeah, you can try. But in the end, you gonna lose. Because the world is run by the man.”
(諦めることだ。ただただ諦めなさい。なぜならば、この世において、君たちは決して勝者にはなれないからだ。もちろん、挑むことはできる。だが、最後には必ず負ける。なぜなら、この世界は権力者が仕切ってるんだ)
10歳の小学生に諦観を説く。もう、滅茶苦茶である。
そのデューイが変わった。音楽の授業を覗いてからである。子供たちがアランフェス協奏曲を演奏していた。それを見て、またまた閃くものがあったのだ。これこれ、これですよ。いけるじゃん!
脱兎のごとく駆けだしたデューイは、自分のおんぼろバンからエレキギターを、エレキベースを、ドラムを、キーボードを運び出し、教室に運んだ。
(余談)
このシーンでバックに流れるのは、Sunshine of your love。いわずと知れたエリック・クラプトンの持ち歌であります。ここでの曲は、Creamバージョン。ヴォーカルはクラプトンではなく、演奏も荒削りですが……、いい! いいものはやっぱりいい!
クラシックギターを弾いていたザックにエレキギターを持たせると、俺の通りにやってみろと、やおらロックン・ロールを教え始めたのだ。曲はDeep Purple のSmoke on the water。Em – G – A – Em – G – B♭ – A – Em – G – A – G – Em とコードが進むイントロである。
うまい、できる、こいつ。
ピアノを弾いていたローレンス、お前はキーボードだ。
チェロ弾きのケイティ、君はエレキベースだ。なあに、チェロを横に持ったと思えば弾けるはずだ。
パーカッションのフレディ、ドラムたたけるよな?
マルタ、アリシア、2人はバックコーラス。えっ、トシカ、お前も歌いたいのか? 歌ってみろ。よし、いける。お前もコーラスの一員とする
よーし、俺はリードギターとヴォーカルだ。行くぜ!
こうして、伝説のロックバンド、School of Rockが誕生する。目指すは、デューイが一度断念したバンド・バトル。賞金は2万ドルである。
あとはお約束通り、山あり谷ありの展開で、あろう事かデューイ君、明日がバンド・バトルの本番という日の夜、ニセ教師がばれちゃって、すごすごと自宅、ではなかったシュニーブリーの家の自分の一角に戻ってふて寝を決め込むはめになる。まあ、再び無職、無収入に戻ってしまったのだから、他にやること、できることは何もないのである。
ロックを目指す道の、何と厳しいことよ!
しかし、子供たちはニセ教師デューイを見捨てなかった。バトルの当日、スクールバスの運転手を騙し、デューイの元に駆けつけたのだ。子供にたたき起こされたデューイは、窓から外を見て驚嘆する。クラスの全員が、バスでデューイを待っているではないか!
“No way. That is so punk rock!”
(なんてこった。こいつこそパンク・ロックだぜ!)
(注)
パンク・ロック = 1970年代半ば、過激さを失ってきたロックミュージックに対して、「ロックは死んだ」と反旗を翻したムーブメント。テクニックを気にしない衝動と勢いの攻撃的な演奏、短くカットしたヘア・スタイルとそのファッション、権力や体制に反抗的な態度で、不満を抱えた労働者階級の若者たちの間で支持された。(「Wikipedia」を参考にしました)
かくして、我らがSchool of Rockは、バンド・バトルの舞台に立つ。歌うのは、天才ギタリスト・ザックが作詞・作曲した「School of Rock」。
Baby we wuz making straight ‘A’s | ベイビー 俺たちゃオールA |
But we wuz stuck in a dumb daze | 頭はぼんやり |
Don’t take much to memorize your lies | あんたの嘘は覚えない |
I feel like I been hypnotized | 催眠状態にいるみたい |
And then the magic man he came to town | 魔法使いが町に来た |
Woowee he done spun my head around | 俺の頭のねじを一巻きさ |
He said recess is in session | あいつは言ったぜ「時間をぶっ飛ばせ」 |
Two and two make five | 2+2は5だってさ |
Oh now baby I am alive | とたんに元気が湧きだして |
Oh yeah I am alive | 俺、生きてるぜ! |
*And if you wanna be the teacher’s pet | *教師のペットでいたけりゃなあ |
Well baby you just better forger it | 何でもかんでもあきらめな |
Rock got no reason | ロックは意味なし |
Rock got no rhyme | リズムなし |
You better get me to school on time | 俺を学校に連れてけや |
Oh you know I was on a honor roll | 決められた道を転がって |
Got good grades ain’t go no soul | 評価は満点 心は空転 |
Raise my hand before I can speak my mind | 手を挙げ本音を伝えたい |
I been bitin’ my tongue too many times | 封印された俺の歌 |
And then that magic man said to obey | 魔法使いが誘って来るぜ |
Do what magic man do not what magic man say | ノリなんだよ 言葉じゃない |
Now may I please have the attention of the class | 耳の穴をかっぽじれ |
Today’s assignment: Kick some ass | 行くぜ、今日は爆発だ! |
(* Repeat×2)
This is my final exam | これが最後のテストだぜ |
Now you all know who I am | 俺のことは分かったろ |
I might not be that perfect son | ろくな奴じゃなかったが |
But you’ll all be rockin’ when I’m done | 俺が消えてもロックしろ |
(注)
歌詞はサウンドトラックのCDから。翻訳を読んで思った。さすがにプロはうまい。 ちょっと変えちゃったけど。
ちなみに、この歌詞をここに書きたい、ただそれだけのために、このCDを買ってしまいました。
演奏を終えたデューイは懲りもせず、再びステージ・ダイブを試みる。宙を舞った太り気味の体は、今回は見事に観客に受け止められ、我らがデューイ君、今回は得意の絶頂に達する、なんてシーンは、お遊びとはいえ、こちらの気分も浮き浮きさせてくれる。
年間1万5000ドルの学費を払える親は、もちろん富裕階級に属する。富裕階級が愛する音楽はクラシックである。その子たちが学校で学ぶのは、当然クラシック音楽である。下品なロックンロールは、親によって禁じられる。親公認の楽器はピアノであり、チェロであり、クラリネットであり、クラシックギターなのだ。
ところがどうだ。しんねりむっつり、アランフェス協奏曲をお行儀よろしく演奏していたガキどもが、ハチャメチャなモグリ代用教員デューイにちょいと煽られると、たちまちにしてみんな立派なロッカーに変身する!
だって、ロックの方が楽しいんだもーん!
格好いいんだもーん!
という映画である。
そうか。ロックンロールは、親が、学校がしつらえた枠から飛び出すエネルギーを子供たちに与えるのか。ロックンロールは、子供たちを自立させるのか。ということは、ロックンロールは、立派に教育の役に立つ、並ぶものなき音楽なのか。
なんて、しかつめらしく考えたのでは、この映画のエッセンスを完全に誤読することになる。それだけならまだしも、あなたの子弟教育を誤ることになりかねない。
頭は使わないこと。ひたすら、押し寄せるロックの波に流されること。それ意外に正しい鑑賞法はない。
そういえば、私もかつて、ロックバンドに憧れたことがある。エレキギターを携えてステージに立ち、ギンギンの音で女どもの子宮をしびれ上がらせたいと野望を燃やした時期がある。高校生の時だ。
「でも、リードギターは難しいよな。あんな難しいフレーズ、何で間違えずに弾けるの? 俺がリードギターを弾いて、もし間違えちゃったらどうなる?ぶち壊しだよ。女どもも白けちゃうだろうし。ああ、格好悪い!」
「ベース? あれって、1人で練習できるの? 練習していて気持ちがよくなるメロディラインもなさそうだし。こいつもなあ」
「ドラム? ちょっと、ちょっと。右手と左手、それに右足と左足が別々に動くなんて、別々の時に音を出すなんて、俺、そんなに器用じゃないわ。ずいぶん大きな音が出るから、練習場所にも困るだろうし」
「そうか、サイドギターという手があった。あれならコードを弾くだけだから俺にも何となるんじゃないか? 決めた! 俺はサイドギターを弾く。サイドギターとヴォーカルだ。待ってろよ、女ども!」
結論を急ごう。この野望は実現しなかった。実現に着手するには、越えるべき高い山があったのである。
金だ。私には資金がなかった。親にも資金がなかった。ギターを買い、アンプを買うなど、夢のまた夢でしかなかった。山には一歩も足を踏み入れることなく、私は挫折した。
そんな私に、初めて自分のギターを手に入れる時が来た。大学生の時だ。知り合いに中古のギターを譲ってもらった。1万円、というのを8500円まで値切った。フォークギターだった。
練習した。ある程度はコードが弾けるようになった。この原稿に書いたSmoke on the waterのコード進行も、手元のギターで確かめた。その程度のことはできる。
残念なのは、私の腕がその程度にとどまり続けていることだ。ステージに乗るための最低基準の遙か下にある。人に指摘される前に、自分で自覚せざるを得ないところが、悔しさを倍加する。
でも、この映画を見て思った。
「今度こそ、エレキギターを買おうかな……」
「新たに中年ロックバンドを結成しようかな……」
でも……。
ステージで息切れしないか?
めまいを起こして倒れないか?
そもそも、当初の狙いである
「女どもの子宮をしびれ上がらせたい」
なんてことが、いま、できるか?
しびれ上がらせたとして、そのあとの面倒を見てやれるか?
体にぴったりフィットしたレザーパンツで、上半身は裸になったりすると、腹部だけが妙に盛り上がらないか? それがギター演奏の邪魔になったりして……。
かくして、夢は、遺憾ながら、夢であり続ける。実現しない間はずっと夢なのだ。
だが、夢を見たことは確かである、中年男に、夢と希望を見させてくれる。「スクール・オブ・ロック」は、並みの映画ではない。
当初の意図は違った。「スクール・オブ・ロック」をもって、現代の荒廃した不毛な教育を語り、文化の不可思議さ、クラシック音楽の保守性を論じ、と意気込んでいた。だが、出来上がった文章は、どう見ても親父の懐古趣味と嘆き節でしかない。
ああ、そんな年になっちゃった。
いつものようにお付き合いくださった読者諸兄には、筆者の寄る年波に免じて懐古趣味と嘆き節をご寛恕いただきたいと切に願うものである。
【メモ】
スクール・オブ・ロック (THE SCHOOL OF ROCK)
2004年4月公開、上映時間110分
監督:リチャード・リンクレイター Richard Linklater
音楽:クレイグ・ウェドレン Craig Wedren
コンサルタント:ジム・オルーク Jim O’Rourke
出演:ジャック・ブラック Jack Black = デューイ・フィン
ジョーン・キューザック Joan Cusack = ロザリー・マリンズ
マイク・ホワイト Mike White = ネッド・シュニーブリー
サラ・シルヴァーマン Sarah Silverman = パティ
ジョーイ・ゲイドス・Jr. Joey Gaydos Jr. = ザック
ミランダ・コスグローヴ Miranda Cosgrove = サマー
ケヴィン・クラーク Kevin Clark = フレディ
レベッカ・ブラウン Rebecca Brown = ケイティ
ロバート・ツァイ Robert Tsai = ローレンス
マリアム・ハッサン Maryam Hassan = トミカ
ケイトリン・ヘイル Caitlin Hale = マルタ
アレイシャ・アレン Aleisha Allen = アリシア
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