2017
08.27

#58 : 理由なき反抗 - 地震、雷、火事、親父(2005年11月18日)

シネマらかす

私が名古屋に単身赴任した時代があったことは、この日記を読み継いで頂いている方には既知の事項である。と思う。ひょっとしてまだご存じない方は、「グルメに行くばい! 第16回 :野菜の手巻き寿司」~「グルメに行くばい! 第34回 :鯛の塩釜」をお読み頂きたい。

私は天性のコメディアンではない。プロの料理人でもない。「グルメらかす」で描き出された私の像は、私の一面でしかない。人様に笑われることしかせず、グルメ道を極め尽くすことに血道を上げるアホな男、という負のイメージを払拭するため、名古屋における私の、もう一つの暮らしを紹介する。

1人、岡林信康のコンサートに行った。1人だったのは、誘ったのに、誰も同行してくれなかったからにすぎない。岡林さんが「サムサノリ」という韓国の伝統芸能のリズムに傾倒し始めた時代である。
私は、国産の歌い手の筆頭に岡林信康を置く。であるが故に、ひとりぼっちで出かけたコンサートではあったが、至福の2時間であった。

「えっ!?」

と思ったのは、最後の曲である。初めて聴く曲だった。

Em    Am    G
♪若い歌い手が死んだ
Am   Em
まだ26の若さ
Em   Am  G
彼は祭壇に置かれ
Am       Em
ジェームス・ディーンになった
Am    Em
俺が歌に疲れ果て
Am    Em
山の村に逃げたのも
Em   Am G
ちょうど同じ26
Am    Em
あれからもう20年

 アコースティック・ギターが、極めてシンプルなコード進行で曲を導く。その上に、岡林の澄みきった伸びやかな声が乗る。心に響く名曲である。

だが、最初に聞いたとき思った。

「えっ、尾崎豊の追悼歌? 何で岡林が尾崎を追悼するのよ?」

歌は続いた。

Am       Em
♪ジェームス・ディーンには
Am       Em
なれなかったけれど
Am     Em
生き続けることが
Am     B7
できて良かった
Em
あぁ

 杞憂だった。尾崎豊の追悼歌ではなかった。
岡林は歌う。
生き続けることができた喜び。
1人東京に出て大学に通う娘への想い。
高校生になり、初めての失恋に落ち込む息子への愛おしさ。
反発し、憎み続けた父親の姿を鏡に映った自分に見出した戸惑い、そして初めて感じた父への愛。
生きてきた。平凡に老いてきた。ジェームス・ディーンや尾崎豊のようなヒーローにはなれなかった。でも、生き続けてきたから、いまの自分に出会い、成長した子供と出会い、既に亡くなった父と再会した。
この曲は、しみじみとした生命賛歌だった。

(余談)
 ご記憶でしょうか、この日記に何度も登場した畏友「カルロス」を。 彼は我が家に来て酒を飲み、この曲を聴くと、必ず涙を流します。彼にとってこの曲は、私にとっての「ライムライト」と同じく、メトロノームなのであります。

 ジェームス・ディーンは「エデンの東」で彗星のようにスクリーンに登場し、交通事故で突然世を去った。残した映画はわずか3本。24歳の若さだった。ために、死んで彼は、若者のヒーローとなった。「理由なき反抗」は、彼の第2作。私が見た初めてのジェームス・ディーン映画である。

17歳の3人が出会ったのは、夜更けの警察署だった。
ジュディは家出をして保護された。
プラトーは、子犬を拳銃で撃って取り調べを受けていた。
引っ越してきたばかりのジムは酒に酔い、道路に寝そべっているところを集団暴行の容疑者として連行された。
皆、不良、である。

好きこのんで不良の世界に入り込む人間は、まずいない。暮らしに、心に、どうしても埋めることができない深くて暗いい穴があるから、行動が荒れる。穴があったら蓋をしておけばいいではないか、という大人の知恵、ずるさがない年頃だから、ストレートに行動に表れる。

3人は同じ穴を持っていた。父親である。

取調室でジュディは泣きじゃくりながらいう。

ジュディ : He must hate me. He hates me.
(父は私を嫌っているに決まっている。私が嫌いなのよ)
レイ刑事 : What makes you think he hates you, Judy?
(どうしてそう思うんだ、ジュディ?)
ジュディ : I don’t think. I know. He doesn’t like my friends. He doesn’t like anything about me.
(思ってるんじゃない。私、分かるのよ。父は私の友達を嫌う。私のことがすべて嫌いなのよ)
レイ刑事 : Do you think your father really means that?
(お父さんがほんとうに君を嫌っていると思うのかい?)
ジュディ :  Yes. No. I don’t know. I mean maybe he doesn’t mean it. But he acts like he does.
(そうよ。いや、よくわからない。たぶん、ほんとうはそうじゃないのかも知れないわ。でも、父を見ていると、嫌っているとしか思えないの)

父親に愛されてない。これがジュディの心の闇である。

プラトーの父は、家族を捨てた。母と2人で残されたのに、母はよく出かける。家にはほとんどいない。この日も、プラトーの誕生日なのに、シカゴの妹のところへ遊びに行った。プラトーは両親に捨てられた17歳である。 心の闇が、母のタンスで見つけた拳銃を彼の友にした。

ジムの家庭は序列が乱れていた。祖母の存在感が大きすぎた。父は、この祖母に頭が上がらない。だらしない夫に、妻である母は苛立つ。父は、祖母と妻の鼻息をうかがいながら生きるダメ男である。親父、あんた俺の親父だろ? 少しは親父らしくしろよ!? ジムの鬱屈は、いつも一触即発状態にあった。

一夜明けた朝。この日が運命の日となることに3人はまだ気付いていない。
3人は、ドーソン高校の同級生だった。この日が初登校のジムは、たまたま隣家に住んでいたジュディと出がけに顔を合わせ、プラトーとはプラネタリウム見学の時間にお互いを確認し合う。
事件は午後、プラネタリウム見学のあとに起きた。不良グループが新参者のジムに目をつけたのだ。リーダーはバズ。ジュディもグループのメンバーである。転校生にヤキを入れる。最初にガツンとやっておけ。そうすれば、そいつを支配できる。それは不良グループに限らず、組織を維持する鉄則ともいえる。
ジムは、トラブルを避けたかった。これまで転校を繰り返したのも、内心の鬱屈から暴力事件を起こしたためなのだ。同じことの繰り返しは避けたい。それに、今日は初日ではないか。
挑発に耐えていたジムが、思わず堪忍袋の緒を切ったのは、不良グループの1人が見せた嘲りのジェスチャーだった。鶏の真似である。

ジム : Is that meaning me? Chicken?
(俺のことを言ってるのか? チキンだと?)
バズ : Yes
(そうさ)
ジム :  You shouldn’t call me that!
(その呼び方は許さねえ!)

(余談)
知らなかった! ここにあったんですねえ、ルーツが。
いえ、「シネマらかす 19: バック・トゥ・ザ・フューチャー - Calvin Klein -」ですよ。マーティが何度も口にするじゃあないですか、
Don’t call me a chicken!
って。
あれって、この映画へのオマージュだったんですね!

 ジムはナイフによる決闘を引き受け、勝つ。治まらないのはバズだ。このままではリーダーの地位が危殆に瀕する。猿の群れだって、No.2は虎視眈々とリーダーの地位を狙う。リーダーの地位を保つには、常勝でなければならない。
ためにバズは、chicken-runにジムを誘う。切り立った崖っぷちめがけて全速力で車を走らせる。車が崖から転落する直前に飛び降りるのだが、先に飛び降りた方が根性なしとして蔑みの対象となる。いってみれば、肝試しである。賭けるのは命だ。

ひょっとしたら命を失うかもしれない。ジムはまだ17歳である。せっぱ詰まった彼は、父親に父親を求めた。

ジム :  Can I ask you something?  Can I ask you something? 
(聞いていいかな?)
父 : Sure. Shot, Jim.
(いいとも。言ってごらん、ジム)
ジム :  Suppose you had to do something, you had to go somewhere and do this thing that was, you know, very dangerous. But it was a matter of honor. And you had to prove it. What would you do?
(あることをやんなきゃいけなくなったとする。ある所に行って、あることをするんだ。とても危険なことさ。でも、名誉がかかったことなんだ。男であることを証明しなくちゃならない。そんなとき、どうする?)

父親は父親であって欲しい。子供が思案に余ったとき、頼りになる先達であって欲しい。これまでは頼りにならなかったけど、いま、あんたの一人息子が死ぬか生きるかの瀬戸際にいるんだぜ。あんたが大人の男であることを証明してくれよ!
訥々と語るジムは、すがるような思いで父の答を待った。だが……。

父 : Nobody can make a snap answer. We’ve got to consider all the pros and cons.
(即答は難しいなあ。プラスとマイナスを充分考えなくては)
ジム : I don’t have time
(時間がないんだ)
父 : Make time. I’ll get some paper and make a list. And if we’re still stuck, we will get some advice.
(時間は作ればいい。紙にリストを書いてみよう。それでも答えが出なかったら、誰かに聞いてみるよ)
ジム : What can you do when you have to be a man?
(男でなきゃいけないときに、何ができる?)
父 : Well, now……
(うーん、そうだな……)
ジム : No. You give me a direct answer. You gonna keep me form going?
(何迷ってんだよ。早く答えてよ。俺、行かないほうがいい?)
父 :  Jim, did I ever stop you from anything?
(ジム、私がお前の邪魔をしたことがあったかね?)

よく言えば慎重。普通に言えば優柔不断。いざというとき、父親が父親たりえていない。典型的なダメ親父であると断ぜざるを得ない。
ジムは切れた。ジムが一番求めているもの、ぶつかってもぶつかっても跳ね返される巌のような父親が、彼にはいない。

切れたジムは、chicken-runに臨むべく、自宅を飛び出した。他に選択肢はなかった。
形にならないモヤモヤ、憤懣、怒り、空虚さ、様々なものを抱えつつ、ジムはchicken-runに挑んだ。車に乗り込む前、バズはいう。

“I like you. You know that?”
(俺、お前のことが好きなんだ。分かるだろ?)

バズは、不良グループとはいえ、多くの人間を束ねる男である。男を見る目があった。どんな難題をふっかけようと屈しない、卑屈にならないジムに一目置いていたのである。心が触れあった瞬間だった。うまくすれば2人は親友になり、お互いを磨きながら魅力的な大人になれたかもしれない。
だが、その思いは瞬時に断ち切られる。chicken-runで、ジムはうまく車から飛び出したが、バズは車もろとも崖から転落してしまったのである。服が、ドアを開くハンドルに引っかかった。ほんのちょっとしたミスだった。些細なミスが重大な結果に結びつくのはこの世の習いである。バズは若き命を散らしてしまった。
些細な行きがかりで、度胸試しのつもりで、どちらがボスかを決めるつもりで挑んだことが、とんでもない悲劇を引き起こしてしまった。ジムも、ジュディもうちひしがれた。だが、バズの死は、さらに大きな悲劇への序章に過ぎなかったのだ……。

「理由なき反抗」は、見る年代で違った顔を見せる映画である。

ジムは魅力的な若者だ。ナイーブさと、鋭い感性をあわせ持っているだけではない。人としての矜持、優しさ、思いやり、愛。そんな人間の美質が、17歳の未完成のまま、溢れるほどに彼の中に詰まっている。
最初の警察での出会いで、プラトーはジムに、求めても得られなかった父を見いだした。シャツ一枚で震えていたプラトーに、酔っぱらったジムが

“Want my jacket? Wear my jacket. It’s warm.”
(俺の上着を貸そうか? 着なよ、暖かいぜ)

と、自分の着ていたジャケットを差し出してくれたのだ。そのジャケットに手は通さなかったが、プラトーの中で温かい炎が燃え上がったのである。

ジュディにとってジムは、父に代わって、父以上に自分を愛してくれる、寄り添ってくれる頼りになる男性だった。chicken-runの悲劇のあと、自宅前でジムは、初めてジュディにキスする。

ジュディ : Why did you do that?
(どうして?)
ジム : I felt like that
(ふと、そんな気になったんだ)
ジュディ :  Your lips are soft.
(あなたの唇って、柔らかいのね)

同年代の男としてジムを見る年頃にこの映画を見たら、自分の中にジムを見いだしていたに違いない。
何が自分の中で蠢いているのか、はっきりしない。でも、その蠢いているヤツは日々成長し、ちょっと隙を見せると外に飛び出しそうになる。飛び出して、周りと自分を破壊しそうになる。
大人は汚い。信念もない。知恵もない。正義もない。勇気も根性もない。あるのは、できるだけ角を立てずに、日々穏便に過ごすための身過ぎ世過ぎの薄汚い知恵だけではないか。
そんな世界の象徴が、親である。親の何が間違っているか、言葉や文章で表現するだけの力はない。自分がどうしてこんなに苛立つのか、分析するだけの蓄積もない。だが、苛立つのである。自分が置かれた世界が薄汚れて、許せないものに見える。
ぶっ壊してやる! 俺は、あんたたちと同じ生き方はしないからな!

私にも、そんな時代が確かにあったような気がする。そのころ見たら、「理由なき反抗」は、自分の中にある、形にならないモヤモヤしたものを表現してくれた映画として、大いに共感していたはずだ。

だが、私は既にその年代を通り越してしまった。妻があり、子供がいる。私は、ジムの、ジュディの、プラトーの親の立場になって初めて、「理由なき反抗」を見た。この立場になると、はっきり見える。彼らの反抗には、理由がある
父性の不存在である。

ジュディは、娘の自分をいつまでも抱きしめてくれる父を求めて、拒絶された。ジュディは、父に代わる、自分を愛してくれる存在を求めて不良グループの仲間に入った。彼らはちやほやしてくれる。
父親探しの旅だ。

息子にとって父親は、いつかは乗り越えるべき目標であり、ライバルである。ところがプラトーは、父に捨てられた。捨てられて、母も変わった。目標もライバルもなく、愛を注いでくれる親もいない。プラトーは何をモデルに自分を男にしたらいいのか? 誰の胸で甘えればいいのか?
それが、母親の拳銃を持ち出して子犬を狙い撃つという異常な行動にプラトーを駆り立てる。

ジムは強い男になりたかった。父にも強い男を求めた。その願望が満たされない。目の前の父は、歯ぎしりしたくなるほどだらしない。あんた、俺の親父だろ! もっと、シャキッとしろよ!
苛立ちがジムを追い立てる。

父親が父親として存在していない。それが、思春期のまっただ中にいる17歳を突き動かすのである。

地震、雷、火事、親父、という。この世で怖いものの右代表である。いや、そもそもは「親父」ではなく、○○だった、ともいうが、それはこの際、どうでもよろしい。語源がどうであれ、何となく、これで皆納得していたことも確かなのだ。
親父は、怖くあらねばならない。厳然として、巌の如く存在しなければならない。それが、家庭における秩序の原点である。親父は、一家の大黒柱なのだ。
という時代があったのだ。

いま、ほとんどの家から大黒柱がなくなった。軸組工法の和風建築が廃れ、2×4工法だとか、鉄筋コンクリートだとか、軽量鉄骨ユニット構造だとか、木質パネル工法だとか、大黒柱不要の住宅の建て方が主流になった。戦後のことである。
それと平行するように、親父も大黒柱の地位を滑り落ちた。いま、怖いお父さんは流行らない。お父さんは物わかりが良くなり、子供の友達に成り下がった。

怖い親父がいない。子供は気楽である。
だが、気楽なだけでは人は育たない。

家庭内で、すべての個人は平等?
冗談ではない。それは、戦後民主主義のはき違えによる妄言の類にすぎない。

父 :  Jim, did I ever stop you from anything?

になってしまっては、子供は滅茶苦茶な方向に走り出す。ストレスにさらされる。理非曲直をわきまえぬ子供は、ある年代までは、叱り、叩き、蹴飛ばし、諭して、人の世の約束事、身の処し方を身につけさせるしかない。
それが、親としての責任であり、である。

(余談)
目の前に老人がいるのに、平気でシルバーシートに座り続けるガキども、電車やバスで化粧するアホ女どもを見るたびに腹が立つのは、私だけではないと思います。そんなガキ、アホ女が論外であることは言うまでもありませんが、一面では、こいつらはバカ親の被害者であることも否定できない事実だと思うのであります。 ヤツらが、実に知性に欠けた顔をしているのも、遺伝によるものでしょうか。
日本語にはいい言葉があります。
親の顔を見てみたい!

 以下、どうでもいいことだが。

私に初めて子供ができたのは、25歳の時だった。とまどった。私にも余りまともな父親体験はない。ために、自分の子供にお初にお目にかかって、ハタと困った。
俺、父親になれるかな?

考えた。確かに、私の子供が生まれた。社会的には、父親といわれる立場になった。でも、父親になれるのか? 昨日と同じ私が、良き父であるはずがないではないか。気分はまだ子供なのである。
考えた。乏しい父親体験は参考にならない。自分で考えるしかない。考えに考えた。やがて、ぼんやり見えてきた。
俺、頑固になろう。
俺、俺の価値観を子供に押しつけよう

バスや電車では、ガラガラでない限り、立たせた。席が空いたら、子供は立たせたまま私が座る。年長者が楽をするのが当然なのである。
叩いた。言葉で言って理解しないときは遠慮なく叩いた。ただし、頭ではなく、尻を。息子も娘も、私に尻を叩かれながら育った。

(余談)
娘が言う。
「お父さんに叩かれたという友達は1人もいない。私はいっぱい叩かれたのに」
それでいいのか、世のお父さん!

 目の前に大きな壁がないと、子供は成長しない。壁が高ければ高いほど、子供はその壁を乗り越えるために、壁より大きく成長する。壁は動かぬ。動かぬ壁ほど子供を育てるものはない。
と考えての親父像であった。
さて、私の教育方針が正しかったのかどうか。子供は壁を乗り越えたのか、これから乗り越えるのか。それは神のみぞ知る世界である。
ただ、

「うちの親父は頑固者」

とは、私の子供が友人に告げる父親像である。とりあえず、当初の狙いは達成した。もって良しとすべきかも知れない。

「理由なき反抗」のラストシーン。頼りない軟弱者であったジムの父が、意を決したように妻と母を制して言う。

父 :  You can depend on me. Trust me. Whatever comes, we will face it together. I swear it. Stand up. I stand up with you. I’m trying to be a strongest, if you want me to. Come on!
(私を頼っていい。信じてくれ。何があろうと、2人で立ち向かおう。約束する。立ち上がれ。私もお前と一緒に立ち上がろう。お前がそうしてほしいなら、私は一番頼りになる父親になる。さあ!)

そんなに簡単に人間が変われるものかどうか、そのあたりはやや不確かだが、とにかく、ジムの父はジムによって目を覚まされた。父親にならねばならないと自覚したのである。ハッピーエンド

父はかくあらねばならない。
この映画が作られたのは1955年である。してみると、米国では日本より一足先に、父親の没落が始まっていたのかな?

【メモ】
理由なき反抗 (REBEL WITHOUT A CAUSE)
1956年4月公開、上映時間105分
監督:ニコラス・レイ Nicholas Ray
出演:ジェームズ・ディーン James Dean = ジム
ナタリー・ウッド Natalie Wood = ジュディ
サル・ミネオ Sal Mineo = プラトー
ジム・バッカス Jim Backus = ジムの父
アン・ドラン Ann Doran = ジムの母
コーリイ・アレン Corey Allen = バズ
アイキャッチ画像の版権はワーナー・ブラザースにあります。お借りしました。