2017
09.01

#69 カンバセーション…盗聴… ― 想像力の枯渇(2006年9月24日)

シネマらかす

時折、不愉快な電話がくる。自宅、職場を問わずにである。極めつけはこんな具合だ。

「大道シェンパイですか? 私、○○といいます。実はシェンパイと同じ大学ば出てから、この春東京に就職ばしまして、それでですね、近くに来たもんですけん、ちょっとご挨拶ばしとかなと思ち、電話ばしたとです」

(注)
シェンパイ=九州ではさしすせそが、しゃししゅしぇしょになまる人がいるとは、どこかで書いた。先輩、のことである。

 私は何回も転勤した。だが、どこに行っても、大学の先輩に挨拶などしたことはない。いや、そもそもどんなヤツらが私の先輩なのか知らない。知りたいと思ったことすらない。電話の男、変なヤツである。

「私は君を知らないが、何の用かね?」

 「いや、実は私が就職した会社というとがですね……」

このあとに出てくるのは、投資用マンションを売りつけようという、聞いたこともない不動産会社、それに少額の資金で巨額の利益を生むという先物取引の会社である。それ以外の職種の後輩からは、まだ挨拶の電話をもらったことはない。この種の業界はよほど礼儀正しい男しか採用しないらしい。

「それで、この目茶有利な商品ばですね、是非シェンパイに紹介したいと思てですね」

 「失礼なヤツだな。私は、そのような金融商品に関心を持つほど下賤な人間ではない。話を聞くのも汚らわしい。切るぞ」

 「あ、シェン……」

ブチッ、ツー、ツー、ツー。

いや、私も最初からこのように突然電話を切ったりしてはいなかった。それほど有利な商品なら私なんぞに売りつけずに自分で買ったらどうかと親切にもアドバイスしたことすらある。敵はさるものだった。

「はい、3つ買いましたとばってん、社内規定でこれ以上は買えんとです」

なるほど、販売マニュアルも相当高度になっているらしい。
それに気づいて手を変えた。

それにしても、私の個人情報をどこで手に入れたのかね。話を聞いていると、私の名前だけでなく、自宅の電話番号、出身大学、勤務先まで、これでは私の個人情報がダダ漏れ状態ではないか。けしからん。個人情報を保護するのが世の流れなのに、私の個人情報はどこから手に入れた? 正直に言わないと訴えるぞ!

この手でしばらくは遊んでいた。だが、だんだん時間がもったいなくなった。最近は、その手の電話と分かった瞬間、私は宣言する。

「切るぞ!」

もっぱら人様の貪欲さにつけ込もうという詐欺まがいの電話商法が異様に増えた。今の社会に巣くうダニである。おいおい、お前ら、大学まで出てそんな仕事しかしないの? 誰も喜ばせることはできないって。ちっとも世の中の役に立ってないって。逆に世の中を悪くするだけだって。それで金を稼ぐ? さもしいね。
それにしても、我が出身大学、情けないことになった……。

仕事は本来、誰かの役に立つことで成立する。自分の作ったものが誰かに使われ、暮らしを便利にする。自分が作ったサービスが、どこかの家庭に幸せを運ぶ。笑顔を生む。その対価として幾ばくかのお金をいただく。
だが、かつて仕事に内在したそんな手触りが、どんどん希薄化している。作ればいい。売れればいい。安く作れて見栄えがよければ充分じゃないか。それを誰が使って、どんな暮らしをしようと俺には関係ない。迷惑をかける? 知ったこっちゃない。
生産機構も流通機構も幾何級数的に複雑になる現代社会である。使う人の顔が見えないのは仕がないが、それを補い、商品やサービスの先にいる人の笑顔を思い浮かべる想像力が枯渇した。進歩の副産物である。

カンバセーション…盗聴…」を見た時、よくできたサイコスリラーだと思った。だが2度目に見た時、反省した。この映画のテーマが見えてきた。あらゆるものが商品になり、人間の顔が見えなくなる現代社会の告発である。
ん? だとすると、電話をかけてきた自称後輩の仕事と私の仕事の間に、本質的な違いはあるか?

ハリー・コールは盗聴屋である。腕利きで、評価は業界No.1。自分でもそう思う。あらゆる障害を乗り越えて、客のリクエストに応えてきた。
今回の依頼も困難を極めた。四面をビルに囲まれた広場。いつも多くの人が集い、行き交う。そこで男女の2人連れが話すことを盗聴しろ。読唇術で書きだしたものではダメだ。あくまで、2人の会話をテープに録れ。
ある企業の専務からの依頼だった。

3人使って挑んだ。1人はショッピングバッグにテープレコーダーを仕込み、2人をつけた。2人目はビルの窓からパラボラアンテナのような集音器具を2人に向けた。3人目はビルの屋上に陣取り、ハリーが考案した録音器具を使った。指向性が極めて高いマイクと照準器を組み合わせ、遠く離れた音でも録音できるようにしたものだ。
こうしてできた3本のテープをつなぎ合わせ、ちゃんと聞こえる1本のテープを作る。今回もうまく行った。聞き取りにくい箇所もあるが、仕事の難度を考えれば仕方あるまい。あとは、できたテープを依頼客に渡し、代金1万5000ドルを受け取れば一丁上がり、だ。

公衆電話から依頼主に連絡した。自宅や事務所の電話を使わないのは自分の情報を相手に渡さないためだ。人の秘密は探り出せる世の中だ。極力、自分の秘密は保護しなければ。一種の商業病といえないこともない。
翌日の2時にアポイントが取れた。

専務室を訪れると、秘書だと名乗る男、マーティン・ステットがいた。専務は海外出張中だ。テープを受け取っておくよう命令された。ここに1万5000ドルある。
専務本人に渡す約束だ! ハリーはテープを奪い返し、金を置いてその場を離れた。約束は破れない。
ハリーの歩く道は裏街道だ。依頼主との約束厳守は鉄則である。それが信頼を作り、自分の評価を高め、トラブルを防ぐ。
部屋を出た。同じビルの中で、会話を盗聴した男と女にあった。彼らは依頼主と同じ会社にいるのか?
いずれにしても、俺には関係ない。なのに、ハリーの中で何かが動き始めた。

ハリーは、人の会話を盗み聴きして報告する。会話の内容は知ったことではない。いや、会話の内容は知らないことにする。それが、ハリーが自分に課し続けた職業倫理だった。盗聴屋は道具だ。道具は理解したり考えたりしない。
テープを渡すまでに時間ができた。実はは気になるところが1箇所だけあった。周りの音にマスキングされて聞き取れない所である。今日の引き渡し予定だったから、そこまで手が回らなかったのだ。
手を入れてみるか? Very Bsstにとどまり続けるには、常に最高の品質を保つに越したことはない。それに、あの秘書の態度と、そこで出会ったあの2人が引っかかった。奴らは何を話してたんだ?
自分で設計した電子デバイスを取り付けて、周囲の騒音を少しずつ消す。マスキングされていた声が、徐々に明瞭になった。そして――。

“He would kill us if he had a chance.”
(機会さえあれば、奴は僕たちを殺す)

聞かなきゃよかった。聞いてしまったハリーの人生が狂い始めた。

ハリーには消したい過去があった。政府機関に頼まれて労働組合幹部を盗聴した。そのテープを引き渡しから数日後、関係者の家族が惨殺された。自分の仕事のせいだとは思いたくない。だが……。
迷いは振り切らねばならない。俺の仕事と、仕事がもたらすものは別なのだ。俺は人の話を盗み聞く道具なのだ。注文されたことをやるだけ。後のことは知ったことではない。いや、知りたくない。
なのに、道具が会話の中身を理解してしまった。また人が殺される? 俺は道具だ。道具にすぎないのだ。だが……。

迷いながら出かけた盗聴グッズ見本市で、女と知り合った。自分の事務所で女と寝た。朝目覚めると、女とテープが消えていた。いったい何のために? 誰の指図で? 専務? 1万5000ドルが惜しくなったのか?
訳の分からない世界に引きずり込まれ始めたハリーの自宅の電話が鳴った。番号は誰にも教えたことがないのだが。

“We have the tapes.”
(テープはいただいた)

秘書のステットだった。盗聴時に撮った写真を持って専務室に来てくれ。金はその時払う。
なぜ、この電話番号を知ってる? 聞く間もなく、ステットは専務が会いたがっているといって電話を切った。

いわれるままにするしかなかった。専務室に出向くと、テープの再生中だった。壁には、ハリーが盗聴した女の写真が飾ってあった。専務のデスク上の写真立てには、専務とその女がレストランで撮った写真が収まっている。どういう関係なんだ?
1万5000ドルを受け取ったハリーは、自分の掟を再び破る。

“What would you do to her ?”
(彼女をどうするつもりだ?)

エレベーターまで送ってきたステットにもいった。

“What would you do to them ?”
(2人をどうするつもりだ?)

答えはなかった。だが、何かが起きる。ハリーの頭で、テープから流れてきた2人の会話が何度もこだました。

男: Later in the week. Sunday, maybe.
(週末に。たぶん日曜日だ)
女: Sunday, definitely.
(じゃあ、日曜日で決まりね)
男:  Jackter Hotel, 3 o’clock. Room 773.
(ジャクターホテルで3時に。773号室だ)

この時間、この場所で何かが起きる。
憑かれたようにハリーはホテルに出かけ、隣に部屋を取った。773号室で何が起きる? バスルームの壁に穴を開け、盗聴器を仕掛けた。ヘッドホンが作動した。聞こえた、悲鳴が。

俺の仕事のせいで、また人が殺された。いや、今回は、前にも増して悪い。俺は、人が殺されることを知っていた。なのに、何もしなかった。できなかった。どうすればよかったんだ?
混乱するハリーに、電話がかかってくる。

“We know what you know, Mr. Caul. For your own sake, don’t care about it. We’ll be listening to you.”
(あんたが知ってることは我々には筒抜けだ。悪いことはいわない。気にしないことだ。我々はあんたに聞き耳を立てている)

俺が、このハリー様が盗聴されている? 口封じのための脅しか? いや、俺の電話番号を探り出した連中だ。ひょっとすると……。
すでに精神がズタズタになりかかっていたハリーは冷静さを欠いていた。壁を、カーテンを、シャンデリアを、電話のコネクタを、受話機を、自分が盗聴器を仕掛けるならここと思うところすべてを、ハリーは綿密に点検した。何もない。やっぱり脅しか? いや……。
壁を崩した。床をはがした。部屋は建築現場になった。それでも、盗聴器は出てこない。だが、本当に、どこにもないのか? 俺が気がつかないところにあるんじゃないか? ハリーの精神は、少しずつ歯車がずれ始めた……。

だから言わんこっちゃない。まともな職に就けばいいのに、あんたは裏街道を選んだ。日が差さない世界だ。やってくる依頼なんておおっぴらにできないものばかりだろ? あんたは人間の汚物が混じり合ったような世界で真摯に生きようとしすぎたんだ。そもそも裏街道にはふさわしくない男なのさ。なのに、馬鹿だね。まともな世界に生きる俺たちとは縁のないことだけど。

私たちは、そう思ってハリーの発狂をながめていられるか?

2004年8月、熊本県菊池市でトヨタ自動車製のハイラックスサーフが対向車線に飛び出し、走ってきた車と正面衝突した。調べると、ハンドルと前輪をつなぐリレーロッドと呼ばれる部品が折れていた。そのため操縦ができなくなった。2ヶ月後、トヨタ自動車は、この部品のリコールを届け出た。
熊本県警は今年7月、トヨタ自動車の品質保証部長ら3人を業務上過失傷害の疑いで送検した。重大な事故につながる欠陥を見過ごしたためリコール時期が遅れた。それが事故の原因だと判断した。

トヨタ自動車はいまや、世界を代表する自動車会社である。そこで働く人々は、まともな世界の頂点にいる。はずである。
走る、曲がる、止まる、は車の3要素である。走らない車は単なる鉄の塊だ。ものの役には立たないが、危険ではない。だが、走るが曲がれない、止まれない車は凶器と化す。ハンドル周りとブレーキ周りには、絶対に不具合があってはならない。 車作りのイロハのイであるはずだ。
それなのに、まともな世界の頂点にいる会社とそこで働く人々が、凶器と化す商品を世に送り出した。

トヨタ自動車の原価管理は厳しい。乾いたタオルをまた絞るコスト削減は至上命題だ。無駄だから削る、の間はいい。やがて、ここまでなら大丈夫、これでも何とかなる、と事態は進む。その延長上に、走行中に破損してしまうリレーロッドが生まれたのではなかったか。

「ここまでヤワにしちゃうと、やばいっすよ」

ヤワな部品を使えば、人が傷つく。悪くすれば死ぬ。そんな健康な想像力が、何故か働かなかったと考えるしかない。

ハリーは、自分の仕事がもたらすものを意識的に見なかった。この車の製造、品質管理に携わる人々は、無意識に、あるいはコスト削減に気を取られすぎて、自分の仕事がもたらすものを見なかった。
仕事がもたらすものが見えたハリーは、何とかできないかと考えた。この車の関係者は何を考えたのか?
人が殺されてハリーは狂気にとらわれた。トヨタ自動車の人々は?

2002年1月、横浜市で走行中のトラクターからタイヤがはずれ、母子3人が死傷した。車軸の破損が原因だった。製造した三菱ふそうの元会長らが道路運送車両法違反と業務上過失致死傷の疑いで逮捕された。それまでも三菱ふそうの大型車には車軸破損によるタイヤ脱落が起きていた。なのに、リコールせずに放置ためにこの事故が起きた、として責任を問われている。

三菱ふそう側は不満らしい。それは裁判での主張に現れている。

これらのことは長時間にわたって極端な整備不良が続いていたことや、過酷に使用されていたことを裏付けており、これらの要素がフロントホイールハブの強度に重大な影響を与えていたものと思われる。 したがって本件事故が左フロントホイールハブの破断によって発生したことは認められるが、その破断がハブの強度不足によるものと断定することはできない。(「ウィキペディア」より。だけど、2006年9月24日現在、この部分は消去されているようです)。

わかりやすく言うとこうなる。
事故の原因はメーカーにはありません。車をちゃんと整備せず、勝手に改造し、過積載など手荒い使い方をしたユーザーこそ責任を取るべきです。

おいおい、ちょっと待ってくれ。そもそも大型車って、過酷な条件下で使われることが多いよな。特に中小企業や個人事業主が使う大型車両は、制限重量以上の荷物を積むことや整備に手間と金をあまりかけてもらえないないことは、半ば当然のこととして行われている。むろん、褒められたことではない。だが、そうしなければ、経営が成立しないのが現実である。
町に出さえすればそんな車はいくらでも目につく。なのに、三菱ふそうの人たちは気がつかなかったわけ? 自分たちが市場に出す商品がどんな使われ方をしているかを知ることは、安全な商品を作るための大前提ではないのかい?
社内の基準さえ守っていればいい。それ以上は、見ようと思えば見えるものを、あえて見ない。ハリーと同じである。
ただ、裏街道を歩くハリーには見ないことが必要だったのだ。表の世界で生きる人間は、見えるものはすべて見なければならないのだが。

と、自動車メーカーのことばかり書いてしまったが、自分の仕事の意味を考えずに仕事をしている輩は自動車メーカーの専売特許ではない。

バブル崩壊時、闇雲に債権回収に走り、貸し渋りを続けた金融機関は日本経済を根底で支える中小企業を苦しめた。末端の行員は、上の決めた方針をただただ忠実に実行することしか頭になかった。自分たちの仕事が融資先に、日本経済にどんな影響を与えるかという想像力が上から下まで欠けていた。

7月19日の「らかす日誌」で触れたパロマ工業にも同じ構造がある。事故を知っていた担当部署の振る舞いである。オーナーの不快をかうまいという思惑があったと報じられたが、だとすれば、人命を奪うという重大な結果への想像力、ばれたら会社を窮地に陥らせるという想像力がなかった。あったのは、目先の自己保身だけである。

耐震偽装の姉歯建築士、

保険金を払わなかった損害保険会社、

労働コストさえ下がれば何をやってもいいといわんばかりの偽装請負はトヨタグループ、松下グループ、シャープなど、名だたる企業が名を連ねる。

どれもこれも、目先の利益にとらわれてそれがもたらす結果への想像力を欠いたために起きた。

我々は、何という想像力欠落集団の中で暮らしていることか。社会の仕組みが複雑になればなるほど、豊かな想像力が必要なのに……。
自分の仕事の結果を知って狂気に陥るハリーの爪の垢をたくさん集め、煎じ薬にして売り出せば大儲けできるんじゃないかな? まともな経営者なら、先を争って買い、従業員に服用させるだろうから。

さて、あなたの想像力はどこまで届いていますか?

ん? 私の想像力はどこまで届いているんだろう………?

【メモ】
カンバセーション…盗聴… (THE CONVERSATION)
1974年11月公開、114分

監督:フランシス・フォード・コッポラ Francis Ford Coppola
出演:ジーン・ハックマン Gene Hackman=ハリー・コール
ジョン・カザール John Cazale=スタン
アレン・ガーフィールド Allen Garfield=バーニー
フレデリック・フォレスト Frederic Forrest=マーク
シンディ・ウィリアムズ Cindy Williams=アン
アイキャッチ画像の版権はパラマウント映画にあります。お借りしました。