2017
11.25

2017年11月25日 清宮君

らかす日誌

夕食を取りながらNHKの午後7時のニュースを見ていると、最後にスポーツニュースをやる。私、スポーツにはそれほど関心はなく、見るともなしに見ているだけなのだが、だんだん気になることが出てきた。

清宮君である。

相変わらずの人気者で、よくスポーツニュースに登場する。先日は日ハムのユニフォーム姿で登場していた。まあ、それほどの美男子ではない。が、ユニフォームはよく似合うのはさすがである。

マイクを突きつけられた清宮君は、

「日本を代表する打者になりたい」

と抱負を語っていた。は大きく持つ。一日も早く強打者清宮を見せてもらいたい、と、まず野球中継など見ない私ですら思うぐらいだから、期待しているファンはたくさんいるだろう。

それなのに、何かひっかかるのである。

主将を務めた高校3年生での甲子園出場はできなかったが、1年生のときからこれほど耳目を集めた野球選手も最近では珍しい。そして、その期待にみごとに応え、高校球児としては過去最高の本塁打を放つ活躍を見せたのは実力の証明だろう。

この子、実にすがすがしい。
結局、野球で身を立てるしかないのにプロ球団の誘いを断り、何故か大学に進んで「大学卒」のプロ野球選手になる中途半端ともいえる道を、彼は取らなかった。迷わず日ハムに入団した。
ねえ、野球は学歴で出世する世界ではない。バット1本で、グラブ一つでその実力を見せつける仕事である。大学卒の学歴など屁の突っ張りにもならない。
しかも、

「巨人以外の球団はいやだ」

など、かつて怪物と呼ばれた投手のような駄々をこねなかった。来いといわれたところならどこにでも喜んで行く。日ハムのユニフォームで、実に晴れやかな笑顔を見せていた。
詰まるところ、野球が好きなのである。世間の目を盗んで密約を結び、入団即トレードという奇々怪々な事件を引き起こした暗い過去がある日本のプロ野球の歴史に照らせば、彼のピュアな野球への思いがそのまま伝わってくる。これも良い。

取材記者との受け答えが、彼の誠実さをそのまま絵にしているのも好ましい。彼は、どんなつまらない質問に対しても、一生懸命考え、何とか相手の質問に答を返そうとする。そこまで誠実に対応されれば取材記者だってグッと来るだろう。彼の人柄に触れることができたと思った取材記者が機会あるたびに彼の勇姿を取り上げ、清宮伝説を作り上げた。これもヒーローになるための条件かも知れない。

いや、清宮君、いいことづくしである。だが、なのだ。だから

「おい、本当にプロでやっていけるのか?」

という心配が私の胸をよぎるのである。

プロとは実力だけでのし上がる世界である。上司にゴマさえすっておけば何とかなるサラリーマン世界とは違う。
逆に言えば、周りに気を遣う必要はない世界である。周りが何を考えているのか、どう発言したら、何をやったら好まれるかを考える必要は毛頭ない。どれほど毛嫌いされようと、チャンスに目の覚めるような本塁打を打てばよい。ピンチに胸のすくような快速球で三振が取れればよい。そうすればヒーローになれる。

だから、である。まず大事にすべきは自分である。常に自分にベストであることをすればよい。記者の質問など、気が向かねば放っておいても構わない。チームの中に敵をたくさんつくっても構わない。他を寄せ付けないプレーをした者が褒めそやされる世界なのだ。

にしては、だ。清宮君、真面目すぎる。優等生過ぎる。周りに気を遣いすぎているのではないか? 周りの人間の思いを忖度しすぎてはいないか? それは、君の人の良さ、もっといえば気の弱さの表れではないか?

これからプロとしてやっていく。いい時ばかりではない。スランプに陥ることだってあるだろう。その時、人の良さ、気の弱さは、君が立ち上がる上での障害にならないか? もっと、傍若無人な、憎々しげな、取っつきにくい男であった方がプロとして大成にいたる早道ではないか?

プロで大成する選手は、初っぱなからどこか憎々しげである。思い上がりを絵に描いたような表情をもっている。ヤンキースの田中は大成した。早稲田を出て日ハムに入った斎藤は鳴かず飛ばずである。甲子園では斎藤が投げ勝ったのだが。

優しい顔をしてプロの道に進んで大成した選手を、私は余り知らない。

清宮君、もっと恐い顔になったらどうだ? 傍若無人に振る舞ったら銅だ?

これが、私の心配しすぎであれば幸いである。