03.06
2018年3月6日 完成間近
WordPressを使い始めてから続けてきた、旧「らかす」からこの「らかす」への原稿移し替え作業が、やっと最終版になった。
移し終えた原稿は2016年6月まで。17年3月からはこちらで書き繋いできたので、残りは1年分を切った。本数でいうと100本足らずである。
作業が終われば、これまで移設作業に取られていた時間で新しい原稿が書ける——はずである。とはいえ、私のことだ。最近はネタ不足に陥っていることもある。あまり当てにせずに、期待だけは持ち続けていただきたい。
さて、我が家のブルーレイ・レコーダーである。
一騒ぎのあとは順調に動き始めた。が、困ったのは、もう一台のレコーダーである。そう、我が家には2台のレコーダーがあり、それぞれ大活躍していたのだ。
この2台目のレコーダーは、先日引退したものより新しい。ところが、これも引退間近のようである。
これまで、WOWOWから録画するのは、この相対的に新しいレコーダーでやってきた。ために、このレコーダーにもディスクにしていない番組が残っていた。当初はこれも、外付けのHDDを介して新品のレコーダーに移してしまおうと思っていた。ところが、前回お伝えした事故である。それは不可能ということになってしまった。
とすれば、とりあえずディスクにしておかねばならない。ところが、引退間近のレコーダーというヤツは、書き込み能力が衰えている。新しいディスクを入れてダビングしようとすると、頻繁に
「このディスクには傷があります」
という警告を発し、作業をサボタージュする。
当初はディスクを疑った。疑いの対称はSONYブランドのBD-Rであった。とにかく、2枚に1枚は傷物なのである。
「ああ、世界のSONYも落ちるところまで落ちた」
と嘆息し、使えるものをだけでダビング作業を続けてきた。
ところが、SONY製がなくなり、次はTDKのディスクを使う番になった。TDKのディスクはこれまで1枚も使えないディスクはなかったので
「もう安心。なにしろSONYじゃないんだから」
と安心しきってダビングしようとしたところ、
「このディスクには傷があります」
私は初めて、レコーダーのポンコツ化に気がついたのであった。
だが、このレコーダーにはまだ番組が残っている。何とかしなければならない。
ふと、
「傷物だという警告を出すのは、ディスクをフォーマットしている時である。何とかフォーマットできたディスクでは問題なくダビングが出来ていたよな」
と思いついた。であれば、我が家にはまっさらなレコーダーがやってきたのである。
「フォーマットだけ新しい方でやってみようか?」
と思い立ったのである。
そして今日、試みてみた。古いレコーダーが傷物だと決めつけたディスクも、新しいレコーダーでは何の問題もなくフォーマットが出来た。そしてこのフォーマット済みのディスクを古いレコーダーに入れてやると、あら不思議! ちゃんとダビングが出来てしまった。
ブルーレイレコーダーはブルーレイ専用のレンズで情報の書き込み、読み取りをする。多分、レンズが汚れたか、長時間光が通って化学変化を起こして透明度が落ちたか、どちらかが原因なのだろう。
それはいいのだが、フォーマット済みのディスクなら問題なく書き込みが出来る? ということは、レコーダーが最大の出力で臨まなければならないのはディスクのフォーマットらしい。つまり、市販のディスクに自分が使えるように最初に地図を書く作業である。それが終われば多少ぼやけた光でも書き込みが出来るのだろう。
私は単なるユーザーで、レコーダーを設計したり制作したりする立場にはいない。だから、そんなことを知っても仕方がないのだが、転んでもただでは起きないのが私の特質か。
またまた不要な知識を一つ増やしてしまったのである。
今日は朝から、
「カンジンスキーの芸術論」
という本を読んで過ごした。カンジンスキー(カンディンスキーと書きたいが、この本はそうはなっていない)とは、ロシア生まれの画家にして美術理論家である。抽象絵画の創始者としても知られる(って、私は知らなかったが……)。
「そのような分野にまで趣味の幅を広げたのか?」
などという無謀な推論はおよしいただきたい。自慢ではないが、私は小学生の頃、図画・工作で3(通信簿、5点法)以外の点数を取ったことがない。上級生になって多分先生にひいきされ、4担ったこともあったと思うが、それは私の実力外のことである。ゴッホを見てもダ・ビンチを見ても
「なんでこれがいいの?」
と口に出す。50億円、100億円の価格がつく絵画も私にとっては猫に小判でしかない。
いや、絵画に関心を持って読んだわけではない。仕事の必要上、読まざるを得なくなって読んだだけである。
大正13年の出版、定価は6円とある。漢字は旧字である。
「凡ての藝術品はその時代の子供である。然も亦屢屢我々の感情の慈母である」
と始まる。ついでにいえば、「情」の字は、パソコンではこれしか出てこないから使ったが、この本では「月」の部分が「円」になっている。いやはや、読みにくいこと、この上ない。
いや、これは、だからどうした、という話ではない。単純に
「ああ、大変だった!」
というご報告にすぎない。他にネタがなかったから書いたまでで、お読みになったあとはご放念いただくようお願いして、本日は筆を置く。