2018
07.02

2018年7月2日 夏

らかす日誌

暑い。
午後2時頃出かけた。暑いはずである。屋根なしの駐車場に置いている車のハンドルは直射日光に熱せられ、触れないほどになっていた。車に入れっぱなしで落語を聞くのに使っているiPodは温度が上がりすぎて動かなかった。車の外気温計が示していた気温は38.5度
暑い!

ふと思い出した。
これほど暑くなったのに、館林がニュースに登場しない。群馬県ではもっぱら伊勢崎市が

「日本で一番暑い町」

のお株を奪っている。それには原因がある。
確か昨年(今年だったかも知れない)、館林市の観測点が移された。現地に足を運んだことはないが、それまでは周りが舗装された場所にあったらしい。太陽からの熱に舗装された敷地からの照り返しが加わって、気温日本一を記録し続けた。
移された場所は芝生に囲まれているという。聞くところによると、全国の観測点はほとんどが芝生の中にある。地面からの照り返しの影響を避けるためである。なのに、館林だけが違った。館林の「日本一」は、タネも仕掛けもあった、ということになる。

メディアが、毎日のように全国の最高気温ベスト3などを報じるから、こんな不正行為が発生する。どこがどれだけ暑かろうと、何故それがニュースなのか? 新聞もテレビも、記者連中はよほど暇らしい。これまで人類が観測したことがない高気温でも出ればニュースだろうが、いまの記者にはそんな常識も期待できないか。そもそも、そんなことを知って何になる? メディアの価値基軸がフニャフニャになっている。嘆かわしい。

それに、だ。最高気温日本一が、お国自慢になると考えた館林の連中もおかしい。そんなことが日本一だからといって町の価値が上がるか? 犯罪発生率日本一、交通事故発生件数日本一、クラス崩壊度日本一、離婚家庭日本一、暴力団数日本一、アホウの数日本一……。日本一は決して価値ではない。そんな町に行ってみたいと思うか? 
最高気温日本一も同列である。珍しければ価値があるのではない。それは単に珍しいだけであって、他の町は

「あの町のようでなくてよかった」

と胸をなで下ろしている。
というまともな常識は、館林の一部の皆さんにはなかったのか?

それはそれとして。
この酷暑のさなかに、居間のエアコンが故障した。気がついたのは昨夜である。

夕食を終えたら映画鑑賞というのが私の日常だ。50インチのテレビは居間にあるから、ダイニングからその居間に移って4時間ほど映画に浸ることになる。この季節、その4時間にエアコンの助けが欠かせないことは、大方のご賛同をいただけると思う。

おかしいな、と思い始めたのは3日ほど前の夜だった。いつものように居間に入り、エアコンのスイッチを入れる。テレビとプレーヤーの電源を入れて映画を見始める。いつのの手順である。

いつもと同じ手順で映画を見始めたのに、いつもとは違うことがあった。汗が止まらないのである。
私はいつも、夕食前に入浴する。このところ暑い日が続くから、入浴後はなかなか汗がひかない。エアコンを効かせたダイニングで食事を終える頃、やっと汗がひく。やっとひいた汗が、居間で再び出始めた。

「そうか、今日はこれまでにも増して暑かったから、居間でエアコンをかけてもなかなか汗がひかないのか」

はじめの日はそう思った。午後10時を過ぎた頃には汗も収まり、

「ああ、やっと冷え始めたか」

と思った。
私は結構鈍いらしい。

翌日、また同じことが起きた。タオルで汗を拭きながらエアコンを振り返ると、ランプが明滅している。多分、正常運転されていない、ということなのだろう。エアコンの調子がおかしい。こんな時は再起動するに限る。
と思って一度電源を落とし、再び電源を入れた。正常に動き始めたようだったので映画に集中し、エアコンを振り返ることはなかった。
やっぱり私は鈍いらしい。

昨夜も汗が止まらなかった。振り返ると、エアコンのランプは相変わらず明滅している。

「またかよ」

と思いながら再起動して再び映画の世界に戻ったが、30〜40分するとエアコンの音が変わった。音が変わったのに気がついたのは、ここ数日、エアコンの不調が続いて、映画を見ながらも気にしていたためだと思われる。
振り向くと、またもやランプの明滅。再び再起動したが、30〜40分するとまた音が変わる。汗は相変わらずひかない。
ここまで来れば、映画を一端中断するしかない。プレーヤーの一時停止ボタンを押し、エアコンに歩み寄って冷気の具合を確かめた。

「あれ? 風が出ていない!」

そうなのである。ランプの明滅を始めたエアコンは、冷気どころか単なる風さえ送ってこなくなっていた。

「これ、壊れてるわ」

昨夜は、居間に続く私の寝室兼事務室のエアコンをかけ、その部屋から映画を見た。そうでもしなければ、汗が流れ落ちて映画鑑賞どころではなかったのだ。


「エアコンが故障してるんだけど」

と不動産屋に電話をしたのは今朝のことだ。借家住まいの私はエアコンが故障しても自分で修理を依頼することは出来ない。この家の管理は不動産屋の仕事である。だから先日、このエアコンが全く動かなくなった時も不動産屋に電話をした。

「今回は見に来てくれなくてもいいよ。壊れているのは間違いない。症状は冷気が出ないこと、スイッチを入れても30〜40分で動かなくなることの2点。そういって修理屋さんをよこしてくれればいいから」

そう、私は修理を望んだ。
気温が急に上がったこの季節である。こんな時期は修理を頼んでもなかなか来てくれない。修理屋さんのかき入れ時である。その程度の知識は私にもあり、だから

「この先、1週間ほどは暑さと闘いながら映画を見るんだろうな」

と覚悟を固めていた。
ところが。

「大道さん、今回はエアコンをすっかり取り替えましょう」

という電話が、10分もしないうちにかかってきた。

「えっ、いや、修理して動くようにしてくれればいいのであって、君、取り替えるなんていったらもったいないじゃないか」

私はまっとうな反応をしたつもりである。
ところが。

「いえ、この時期に修理を頼んでいたら、来てくれるのはいつになるか分かりません。だから新品と取り替えましょう」

多分、この電話の主である、不動産屋の担当者の方がまともではないのである。

「だって、かかるコストは全く違うぜ。それ、家主さんは納得するのかな」

という私の抵抗を無視して、彼はいった。

「いや、もう発注しまして。明日の朝取り付けにいってくれるそうです」

確かにこの季節である。一日も早く冷気が我が家に訪れてくれることは涙が出るほど嬉しい。でも、たったこれだけの故障で新品と取り替える?
これが私の持ち家であったら、私は修理屋さんが来てくれるまで待つ。修理屋さんが

「旦那さん、これ、すっかりダメになってるんで、修理するより取り替えた方が早くて安いと思うんだけど」

というまで取り替えない。修理が出来るまで1週間でも10日でも待つ。
と考えると、借家に住むのもまんざら悪くないか、とも思えてくる……。

でも、屋内配線の不具合で同じエアコンが動かなくなったのは1ヶ月と少し前である。その後はまともに動いていた(時折、室内機からカラカラという音が出てはいたが)のに、どうして急に故障したんだろう?

あの、一部が燃えた屋内配線の不具合で、エアコン本体に何らかの影響があったのか。それとも、エアコンのどこかの部品が寿命を迎えたのか。

いずれにしても、明日の夜は汗をかかずに映画を見ることができる。ということは、今日も事務所兼寝室から映画を見るのかなあ?