07.10
2018年7月10日 悶々
毎度のことだが、暑い。パイプたばこを楽しむために駐車場に出ると、屋根で日光は遮られているにもかかわらず、汗が噴き出る。持ってきたタオルでぬぐいながら煙を吐き出すが、吐き出しながら
「ああ、早くたばこの葉っぱが燃え尽きないかな」
と願う。そんなことならはじめからパイプたばこなどやめておけばいいのに、というのは正論である。だが、概して正論というのは面白くもおかしくもない。と思い決めて朝食後、昼食後、そして夕方と1日3回、誰に促されるわけでもないのにパイプをくゆらせに外に出る。そして出てくる言葉が
「暑い!」
他人がみれば、単なる馬鹿である。本人が考えても単なる馬鹿である。ま、趣味嗜好というのはそのようなものかも知れない。
で、その暑い日に何をしているかというと、今日は朝から算数を1題解き、終わって、これから書かねばならない原稿に呻吟している。
私が地元桐生の会社に頼まれ、そのホームページで原稿を書いていることは、一度ご報告したような記憶がある。そのコーナーは
「きりゅう自慢」
という。桐生ではよそ者である私が、
「桐生にはこんなすごいものがある!」
と紹介するのがコーナーの趣旨である。よそ者を強調するのは、決して仲間褒めではないぞ、というスタンスを知っていただきたいからである。桐生だから褒めるのではなく、褒めるべきものがたまたま桐生にあった、というコーナーにすることが、私と、私に原稿を依頼した方とで合意したことなのだ。
いま「きりゅう自慢」でググってみたら一番上に出てきた。ご関心をお持ちの向きはググってお読みいただきたい。シリーズ1回目は鍛冶職人の小黒定一さんを取り上げた。シリーズ2回目は超撥水加工に秀でた技術を持ち、「ながれ」という超撥水風呂敷がヒットしている朝倉染布を紹介した。現在は、第3シリーズとして大澤紀代美さんという刺繍作家にお付き合い願っている。刺繍を美術品の域にまで高めた方である。
呻吟しているのは、第4シリーズの原稿である。マタニティカフェ・ラルゴである。妊娠中、子育て中のパパ・ママに客層を絞り込み、
「子供と一緒に楽しめるカフェ」
を掲げるユニークなお店である。30代の夫婦が立ち上げた。
ずいぶん前、その奥方の方と取材で知り合った。数年ぶりでバッタリあったら、
「マタニティカフェを夫婦でやります」
という。マタニティカフェ? 聞いたこともない経営形態である。どう話を聞いても具体的なイメージが浮かばず、でも、これも何かの縁だ。
「店が出来たら記事にするから知らせてよ」
といってその場は分かれた。数ヶ月のうちに
「いま開店準備の最終段階です」
という連絡が入り、取材に行って記事にまとめた。その後、ラルゴについては2回記事にしたから、他の人に比べたらこの店についてははるかに詳しいのが私である。
それなのに、なかなか書けない。真夏の陽気の中、エアコンをかけた部屋でパソコンの前に座り、呻吟し、悶々としているのはそのためである。
「嘘でしょ。あなたは仕事で原稿を書いていたのだから、そんな原稿なんて左手でチャッチャッと書けるでしょう」
多くの人がそういう。が、原稿とはそんなものではない。新聞記事の定型どおりの原稿なら、確かにチャッチャッと書くことも出来る。しかし、読む人に楽しんで貰おうと思う原稿は、そうはいかない。何度書いても、書くたびに
「どう書いたら私の思いが伝わるか」
と思い惑うのが原稿書きの常である。
いや、思い惑うのは私だけで、他の記者たちはどんな原稿でもチャッチャッと書いているのかな?
ま、そんなことは、例え知ったところで私には屁の突っ張りにもならない。知っても、私がそのような物書きになれるはずはなく、やっぱり、新しい対象が現れるたびに
「どう書けば……」
となかなか前に進まないのが私のスタイルなのだ。
中でも、一番難しいのは書き出しである。書き出しさえ決まれば、あとはすんなりと流れることが多い。書き出しを固めるのに3日、1週間,10日かかっても、書き出しが決まりさえすれば連載10回ぐらいなら数日で下書きは仕上がるものである。
その書き出しが、ラルゴについては決まらない。
そういえば、私が朝日新聞を受験する時、とある人の紹介でお目にかかった社会部長さんがおっしゃった。
「僕はね、入社試験の前に戦略を練った。問題は作文だ。何とか採点官に読んでもらわなくてはならない。採点官はひとりで100内外の作文を見るのだろうから、そんな人に目を止めさせるにはどうするか。あれこれ考えて、決め手は書き出しだと思った。それも、書き出しの最初の一文字、つまり作文の最初の字だよ。その字をみただけで『おや?』と思わせて関心を惹く。それでね、私はどんなテーマが出ても、最初の一文字は『血』で行くことにした。作文の最初の字が『血』だったら、あとを読んでみたいと思うだろ? 作文のテーマが何だったかは忘れたけど、最初の字を『血』にしたのは覚えてるんだなあ」
そしてみごとに試験に通ったから、彼は朝日新聞の社会部長になることが出来たわけだ。
彼の導きもあって同じように朝日新聞に入った私は、でも部長待遇にはなったが、部長職にはならなかった。人間の出来が違っていたのかも知れない。
ま、それはそれとして。
書き出しとはそれほどに大切なのである。
うーん、ラルゴの書き出しをどうしよう?
思いつつ、悩みつつ、頭の毛をむしりつつ、時にはパソコンでゲームの興じつつ、時間が来ればパイプを楽しむために駐車場まで足を運びつつ、私は考える。考えに考え、考えたすえに
「ああ、今日はダメ! まだ時間はあるわ。明日なら書けるかも知れない」
と綺麗さっぱり諦める私であった。
でも、本当に明日は書けるのかな?
え、この日誌?
これはあまり考えません。肩の力を抜き、
「今日はこれを書こう」
と思いつけば、頭に浮かんだどうでもいいことをキーボードから打ち込むだけであります。
え、そんなものを読まされる身になって見ろ、って?
あ、そうか。ごめんなさい。それは決して皆様を軽視しているというわけではなく、力を抜いたところで一緒に楽しんでいただければいいというわけで、肩の力は抜くが頭の力は抜いていないというか、ムニャムニャムニャ……。
では、また!