2018
08.15

2018年8月15日 お盆

らかす日誌

というタイトルに、特に意味はない。無宗教をもって任じる私にとって、宗教行事に過ぎない盆は、落語「品川心中」を楽しむための基礎教養に過ぎないのである。
これだけの表現でクスリと笑える方は、かなりの落語ファンに違いない。

ところが、九州・大牟田に棲息する我が弟は、宗教心などないくせに宗教行事には従順である。そして今年は、年初に身罷った我が母の初盆であった。弟からは、家族と数人の親戚で食事会をするだけという連絡を受けていたので、私は何もしなかった。まあ、その程度の食事会ならそれほど費用もかかるまい、と判断した。

「あんた、今年は初盆ばい。なーんも送ってこんで、あんた長男やろが」

弟からお小言の電話をもらったのは13日の夜である。私は横浜の璃子に添い寝を命じられ、「いやいやえん」の読み聞かせを強いられているところであった。
いわれて困惑した。確かに、何も送ってはいない。しかし、家族とプラス数人の食事会である。何か送らねばならなかったのか?
が、ここはひとまず謝るに越したことはない。下手に弁解しようものなら、弟の怒りに油を注ぎかねない。

「あ、そうだった。ごめん。忘れていた。いま、璃子を寝かしつけているところで……」

ほうほうのていで電話を切り、読み聞かせの態勢に戻った。それからしばらくしてからである、

「そうだったのか」

と気がついたのは。

弟が不快を表明したのは、決して食事会の費用を私が分担しなかったことではない。おそらく、仏前に供えるものを何も送らなかったことを怒っていたのである。宗教行事の世界では、仏前に供え物をするのは、死者への敬意の表現なのだ。
と気がついても、宗教心が全くない私には、初盆だから仏壇の前に何かを供えなければならないという気が全くない。死者への思いは密かに持ち続ければいいではないか? 何も人目につくようなことをする必要はなかろう、と考える。仏壇とはどこかの職人が作り上げた木工細工に過ぎない。その前に菓子や果物、花を供えることに何の意味がある? それが無宗教者の合理的な考えである。
ということは、だ。私が合理的と考えることと、多分弟が代表する大多数の人が考える当たり前のこととは、かなりの違いがあるということである。世の大勢に背を向けて我が道を行けば、このような衝突は起きるべくして起きる。仕事ならばどちらがうまく行ったかでどちらの考え方を採用すれば良いかの判断ができるが、社会習慣となるとそうもいかない。

世の中とは、なるほど難しいものである。

土曜日から横浜に行き、昨日戻ってきた。日曜日は瑛汰の模擬試験の付き添いのはずだったが、申し込みが遅れて受験できなくなったとかで、日曜日も終日、家にいた。瑛汰に算数を指導している間はそれなりに仕事があるが、瑛汰が勉強すべきは算数だけではない。理科、社会の勉強が遅れているとかで、1日の半分ほどは暗記科目に取り組んでいた。そうなると、私のやることはない。
璃子も自分で遊んでいる時間、私は読書にふけった。横浜には私のパソコンもなく、ノートパソコンは四日市の啓樹に譲ったから、この日誌を書くわけにも行かないので、ほかにやることがなかったからである。

「お父さんが死んだらさ、祭壇に本を飾って、棺にも本をいっぱい詰め込んでやらなくちゃならないね」

横浜で私が読書にいそしむ姿を見て、次女と我が妻女殿が電話でそのような会話を交わしたと知ったのは昨日、桐生に戻ってからであった。

まあ、死んだあとのことはどうでもよろしい。祭壇を本で飾ろうと棺に本を詰め込もうと、それは残された者の勝手である。
しかし、だ。本はいつでも再利用できる。私が読んだ本は誰でも読める。家族で読む者がいなければ、古本として売却しても良いし(たいして値段がつくような本はないが)、誰かにあげてもいい。それが合理的な判断というものである。
我が妻女どもの次女も、そのような合理的な判断ができないのか。そのような家族にしてしまった我が落ち度を痛感した私であった。

横浜での3日間は、璃子と添い寝する3日間でもあった。横浜の家のエアコンが何故か2台故障し、熱帯夜を過ごすのに、私は瑛汰、璃子と1階の、エアコンが健全に働いている部屋を割り振られたからである。
9時半頃璃子と2人で1階に降り、璃子が寝付いたら2階の居間に戻って瑛汰の算数を見る。なかなかハードな労働を強いられる3日間であった。

今日は四日市の啓樹、嵩悟一家が訪れた。といっても、日帰りである。我が妻女殿の身体を考えれば、我が家での宿泊は避けた方が良かろうとの配慮によると思われる。一家は昨日、旦那の実家である高崎に一泊、今日は11時頃我が家に来て5時前に再び高崎に向かった。明日はディズニーランドに行き、1泊するそうだ。
この酷暑の中、ディズニーランド? という気がしないでもないが、彼らの行動に私の価値観を押しつけるわけにはいかない。

我が家で啓樹は、ずっと勉強をさせられていた。私は啓樹の勉強を指導する役を押しつけられた。数学の濃度の問題をやっていたが、問題を整理する力、複雑な計算をこなす力がやや弱い。

「啓樹、数学の勉強時間を2倍にして、分からない問題があったら電話をしてきなさい」

と指導した私であったが、後に考えた。
中学2年の時、俺はあんな問題を解けたか? 確かあの頃、数学の点数はおおむね88点程度ではなかったか。公立中学の88点はたいした点数ではない。しかも、今日啓樹が解いていたような複雑な問題は、中学校の試験ではあまりでなかった。
ということは、中2の私には解けなかったであろうと思われる問題に、啓樹は挑んでいたのではなかったか?
啓樹はまだまだ成長する余地が充分以上にある。今日できなくても、明日できるようになればいい。あの時解けなかったボスだって、いまは啓樹に教えるぐらい理解しているのだから、必ず成長できる。
と期待する私である。

嵩悟には将棋を挑まれた。まだ2年生の嵩悟は、パパとは勝ったり負けたりするほどの将棋の腕を持つ。まだ嵩悟が1年生の頃に挑まれて、

「こいつ、強い!」

と感心さ得られた記憶がある私は、

「今回は負けるかな?」

と思いながらの将棋だったが、何故か私が勝った。しかし、嵩悟の差し手は鋭い。次回は負けるのではないか?
負ければ、嬉しい負けとなる、と嵩悟との再会が楽しみな私であった。