12.19
2018年12月19日 追い込み
私が天の邪鬼であることは、これまで書いてきた「らかす日誌」をお読みいただいている方々には周知の事実だと思う。
天の邪鬼の私にとって、1月1日は12月31日の次の日でしかなく、12月31日は30日の次の日である。大晦日、元日、などと特別扱いする気は毛頭ない。先日も誰かに話したが、現役時代の12月31日は、
抜かれ
を警戒する日であった。
年あがけると、元旦に1月1日の新聞が配達される。そのあと新聞は休刊に突入し、1日の夕刊、2日の朝夕刊は発行されない。次に出る新聞は1月3日の朝刊である。
だから、元日の朝刊でどこかの新聞に抜かれると(私が記事にしていない大きな事件を報道されると)、それに追いつけるのは早くても3日の朝刊になる。抜かれるだけでも記者としては恥ずかしいことなのに、丸1日以上追いつけないというのは、恥の上塗りになる。それに、追いつくためには、世間全部が正月気分に浸っている1月1日、1月2日に取材をしなければならない。そんな時に抜かれた事件の取材をするのもいやだが、取材を受ける方だって
「正月気分が台無しじゃないか!」
と気分を大いに損なうのは目に見えている。
だから、毎年12月31日の夜は遅くまで仕事をすることになる。会社を離れるのは、朝刊の締め切りが過ぎた午前1時半過ぎ、というのもザラではなかった。
まあ、酒を飲みながら漫然と締め切り時間が過ぎるのを待っていたことも多かったが。
話が少しずれたが、そんな私である。
「今年はもう、12日とわずかな時間しか残っていないんだよ」
といわれたって、
「だってすぐに来年が始まるじゃないか。それがどうした?」
受け答えてしまうのである。天の邪鬼の補雲量発揮というところだ。
それなのに、なのだ。このところ、仕事に埋没している。昨夜は飲み会があったが、それも仕事の延長として飲み会である。そして飲み会に出かけるまで、ずっとパソコンとにらめっこをしながら仕事をしていた。起業したとはいえ、まあ、年寄りの冷や水に近い仕事である。根を詰めて働く体力、気力はすでになく、周りの方々の温情でもって仕事らしきことをさせていただいているに過ぎないと思っている。だから、
「今度飲もうよ」
という話が出たら、私は必ずこういう。
「日程はあなたが決めて下さい。私に比べればあなたの方がはるかに忙しいはずで、私はいかようにも会わせることができると思いますので」
そんな私がいま、何となく仕事に浸っている。その上、あろうことか、
「年内に、この仕事には片をつけておきたいな」
と、天の邪鬼らしくないことを思ってしまったのだ。
いまの仕事といえば、原稿を書くことである。だから、残りわずかになった年内に、書ける原稿はすべて書き、見直し、書き直し、Webで公開していい水準まで煮詰めておこうというのである。
いや、締め切りが迫っているわけではない。当面、数ヶ月ぐらいは何もしなくていい程度の原稿はすでに用意している。年が明けたら大きな仕事が待っているわけでもない。それでも、何故か、多くの人と同じように、年末年始を一つの区切りにしたいと考えている私。これは天の邪鬼を自認する私ではない。どうしちゃったんだろう? これも、老いか?
それはそれとして、だ。
昨日、久しぶりにフグのひれ酒を飲んだ私は、帰宅して酔ったまま布団に入り、いつものように読書を始めた。いま読み進んでいるのは、
「日本精神史」(長谷川宏著、講談社)
である。確か朝日新聞の書評で興味を持ち、アマゾンの古本がやっと納得出来るまで下がったので買った本である。
不覚にも、この本の一説を読みながら、昨夜の私は涙してしまった。詠んでいたのは「第8章 『万葉集』——多様な主題、多様な表現」である。
万葉集に山上憶良の歌が多数収録されている。下級官人であったとはいえ、庶民ではない。いわば、上から数%の特権階級に属する人である。だが、彼の歌はなぜか、目線をずっと下に下げて、貧窮の苦しみを歌う。その山上憶良の歌だった。
世間(よのなか)を 憂しとやさしと 思へども
飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
何故かは不明だが、この歌がストンと私に中に落ちてしまった。そして千数百年前の、遣唐使にも選ばれたエリートがこんな世界を見続けていたことに、胸が震えてしまった。
決して、いまの私がこんな思いを抱えているわけではない。余り深いことは考えず、今日の次は明日が来る、程度の生き方しかしていない私がなぜこの歌に惹かれたのか。惹かれながら、良寛さんの
裏を見せ 表を見せて 散るもみじ
という句を思い浮かべていた。
うん、ひょっとしたら、人間なんて所詮その程度のものさ、という哀しみに囚われてしまったのか?
ま、そんな変なことが起きている私の年末の一風景であった。