2019
01.13

2019年1月13日 総支配人 その5

らかす日誌

さて、ホール経営である。とりあえずスタート地点まではたどり着いたような気がするものの、これから何をしたらいいのか?

私は朝日ホールの先輩支配人を訪ねようとは思わなかった。訪ねてみても、ホールを現状に追いやった人々ばかりなのである。彼らにたいしたノウハウがあるとは思えない。
視野を広げた。これは新聞記者の習い性なのだろう。同じことを聴くのなら、できれば世界でいちばん優れた人に聴くのがよい。叶わなければ日本で一番の人を訪ねる。
私の部下である朝日新聞社員に

「よくやってるなあ、と君が思うホールはどこだ?」

と聴いてみた。いくつかのホールを挙げてくれた。まず、その一つとして名古屋のある音楽ホールを訪ねた。記者時代、名古屋には合計6年半いた。クラシックなど聴く耳を持たなかった当時の私は音楽ホールなどには足を向けたことがなかったが、土地勘だけはある。

お目にかかって、2時間ほど話を聞いた。結論を先に書けば

「同じ悩みを持っているんだなあ」

である。やはり、ホールの運営は親会社の支援がなければ継続出来ないというのだ。

ご説明しよう。
クラシック音楽の公演をやるとする。誰に舞台に登ってもらうかで仕入れ価格が違う。それほど著名でないアーチストでも100万円前後かかる。少し名が売れていれば200万円ほどになる。この中から音楽事務所の取り分、衣装代、楽器の維持管理費用など様々な経費が出ていくわけだから、高いか安いかはよく分からない。
例えば120万円のアーチストを使うとする。音楽事務所に払う120万円の他、ポスター代、チラシ代などがかかるから、総額130万円の費用がかかったとしよう。
このクラスのアーチストのコンサートは、入場料がおおむね3000円検討である。ということは、430人の客が入って初めてトントンとなる。浜離宮ホールの収用客数は552人だから、満席になれば35万6000円の利益が出る計算だ。しかし、このクラスでは300席も埋まれば上出来というのが経験知である。つまり、40万円の赤字となる。
では、もっと知名度があり、集客力があるアーチストにしたとする。仕入れ価格は当然跳ね上がる。例えば250万円とすると、総コストは270万円。400人の集客を見込むと、入場料6750円でトントンだ。6000円にすれば450人入らないと赤字なる。552席が満席になれば61万2000円の利益が出るが、6000円でそれだけの客が呼べるか?

赤字になる要因は数々あるが、利益が出たとしてもたいしたことはない。一つの公演で60万円の利益が出たとしても、50公演で3000万円でしかない。11億5000万円の赤字を埋めるにはほど遠く、目標とした3億3000万円にもはるかに届かない。

「そうですか。ホール経営って難しいものですね」

そう挨拶して東京に戻るしかなかった。

このホールがそうなのなら、他のホールも似たり寄ったりであろう。親会社の支援がなければホールとは成り立たないもののようである。だが、それで本当にいいのか? ホールとは生活保護世帯のようなものなのか?
私が中学生のころ、我が家は生活保護を受けた。酒乱、アルコール依存症であった父が交通事故で入院し、母がその看病に当たった。収入がない。仕方がない選択ではあったろう。が、その屈辱感はいまだに私を去ってくれない。
生活保護ホールはいやである。であれば、自分で考えるしかないではないか。

赤坂にあった東芝EMIを訪ねた。ビートルズの国内盤の発売元である。その広報担当の女性に知り合いがいた。外から見た浜離宮朝日ホールの評価を聞こうと思ったのである。

「ええ、大道さんが朝日ホールの支配人ですか! 面白い。期待します!!」

ま、ここまでは社交辞令であろう。あれこれ話していたら、こんな話が飛び出した。

「浜離宮朝日ホール、ええ、知ってますよ。新人の発掘に熱心なんですよね」

新人の発掘? 熱心? そんな話、社内では見たことも聞いたこともないぞ! そもそも、朝日新聞にそんな見識があったか?
彼女の一言が大きなヒントになってくれるまで、もう少しの時間が必要だった。

そんなことを繰り返しているうちに、ロシアのピアニスト、ミハイル・プレトニョフの公演が浜離宮ホールで開かれた。講演料は破格と思える330万円であった。それも、音楽事務所の指し値を値切って値切った結果だという。それに、当時の支配人、つまり私の前任者であるO君は頭から反対したという。

「そんな高い公演を浜離宮でやれると思ってるのか!」

それを担当者が粘りきった。公演にスポンサーをつけ、何とかトントンに収支が見込めるようにしたのである。

主催公演には支配人は必ず立ち会い、場内に入ってコンサートを最後まで聴く。クラシック音楽が苦手な私であったが、職務とあればしかたがない。午後7時開演のコンサートは午後9時には終わる予定である。わずか2時間の我慢だ。

とりあえず、演奏会は終わった。この後は2度ほどアンコール曲を演奏してお開きになるのがコンサートの通例だ。
2回目のアンコールが終わった。これで今日も終わりだ、と思ってホッとした私に、ものすごいボリュームのアンコールを求める手拍子が聞こえた。1回目、2回目とはまるで違う。聴衆全員がプレトニョフのピアノ演奏に酔い痴れて我を忘れて打ち鳴らしているとしか思えない拍手の量だった。

舞台左手からプレトニョフが登場した。あまりの拍手の大きさに彼も驚いているようである。
舞台中央に進んだプレトニョフは日取り手を伸ばして前に出し、腕時計をむき出しにすると、右手で文字盤を2,3回指さした。何も言わないが、

「もう9時半だけど、君たち、もっと私の音楽を聴きたいのか? 帰りの足は大丈夫なのか?」

私の目にはそう聞こえた。おそらく、聴衆の目も同じサインを読み取ったのだろう。拍手が一段と高まった。

プレトニョフがアンコールの3曲目(書きながら、いや、あの最後の曲はアンコールの4曲目だったかな? という思いもわき上がってきたが、今となっては確かめる術がない)を弾き終えたときだった。聴衆席が波打った。ウェーブが起きたのである。満員の聴衆が思いきり拍手を送りながら、次々と立ち上がり、座る。あのウェーブである。

「へーっ、クラシック音楽でもウェーブが起きるなんてあるんだ」

新鮮な驚きであった。感動したと言ってもよい。「感動した」は小泉語録の一つで嫌いなのだが。
いずれにしても、それもホール運営のヒントの一つになったのである。