10.08
関西電力はそろそろ見放した方が良さそうだと思い始めた。
そもそも関西電力を擁護するいわれは全くないのだが、あまりにも少ない情報を元に関西電力を叩きまくる報道に嫌気がさして、これまで関西電力問題を冷静に見ようと努めてきた。しかし、そろそろ見放した方がいいのではないかと思い始めた。
まあ、結果的には報道が正しかったことになるが、少なくとも、ジグソーパズルのジグソーの2、3片が手に入ったからといって、パズルの完成形を
「この絵は根本から狂っている!」
と騒ぎまくる愚を指摘したことだけはご理解いただきたい。
かつては騒ぎまくる方の一員で、「愚」であった苦い経験もある私である。後に、
「記者とはどうして正義の味方面をしたがるのだ?」
「世の中を正義と悪に単純に2分してグレーゾーンを認めないのは人としての成長がないからか?」
「何の権限で、この場で判決を下す。誰がそのような権限を賦与したのか?」
とわきまえるにいたり、記者会見に臨んだ人たちを「犯人」と決めつけて質問を繰り出す若い記者たちをぶん殴ろうかと思ったこともある。
しかしながら、だ。今回の関西電力はいけない。50万円のスーツ仕立券を
「儀礼の範囲内」
と言ってのける感覚を
「そうだよな」
と受け入れる人はまずいまい。
そりゃあ、仕事をしていれば金品の授受は付随するものである。新聞記者もそのような誘惑に触らされがちで、すべてに対して
「ノー」
という立派な先輩もいたが、私はそれほど頑なな姿勢は取れなかった。向こうも仕事でやっているのである。頑なすぎれば誰とも親密になれなず、取材も浅いものに終わってしまう。だから、それこそ
「儀礼の範囲内」
と判断すれば、受け取ることもあった。儀礼の範囲内とはお返しが出来る範囲内という意味である。だから、ご馳走されたらポケットマネーでご馳走し返した。もちろん、向こうは社費を使ってのご馳走だから、とてもではないが同額のお返しは出来ない。ために、ポケットマネーの範囲内で相手に喜んでもらえる店を探した。
私の対応は、黒ではないが白でもなかろう。いってみれば、その中間にあるグレーである。世の中を白と黒だけで割り切ってしまっては味気ないのではないか。
「あのね」
と話し始めたのは、大会社の広報マンであった。かなり酒を飲んだ後のことだ。
「私たち、仕事で皆さんをご接待するでしょ。それはいいんだが、お返しをする、っていうのは朝日さんと日経さんぐらい。ほかは、ご接待したらご接待したまま。はい、お返しなんてありません」
いまはずいぶん評判が落ちた朝日新聞だが、名誉のためにこれだけは書いておきたい。
この対応は朝日新聞経済部の伝統であろう。もっとも、そのためか、私は現在貯蓄が悲しくなるほど少なくて、
「死ぬまで生きていけるか?」
と心細い思いをしているのも事実だが。
仕事の発注額を漏らしていた、というのも、これは受け取った金銭への見返りと解釈するしかない。何もなければ、そのような内部情報は絶対に外には出ないはずのものだからである。
それでも、金品を押しつけられて
「会社で預かってもらえないか」
といった幹部もいたそうだ。誰に相談したのか知らないが、
「会社の規定にありませんので、ご本人が保管して下さい」
といわれて、やむなく個人で保管したそうな。
まあ、この話の真偽はわかないが、いわれている通りだとすれば、この会社、社会的な常識を持った人間は然るべきポストには就けないらしい。
そもそも、ルールとは原理原則を定めたものである。ところが現実は、原理原則から離れたところで起きることも多い。だとすれば、今回のような場合、少なくともルールを類推解釈して対応するのが法治社会の常識である。あるいは、類推解釈が出来るような条項がなければ、新し現実に適応したルールを新しく作れば済む話ではないか。
「会社に規定がない」
の一言で、会社としては完治していないことにしようとしたこの幹部が今回の騒ぎを大きくしてしまった。不明を恥じるべきである。
もう、関西電力については当面沈黙を守る。
右肘に水がたまっている。先週整形外科で抜いたが、2日後ぐらいから再び膨らんできた。半年ほど前、酔ってご帰還の途中、派手に転んで右肘を打った後遺症らしい。
この水、いずれは身体が再吸収するのだが、漏れ出す量と再吸収の量のバランスが取れていないため、その差額分だけ貯まってこぶを作ることになる。医者には
「右肘はできるだけつかないように」
といわれているが、患部が患部である。この原稿を書いている今も、右肘は椅子の肘置きに触れたり離れたりしている。触れると、なんだかフワフワした感じがして不思議だ。ひょっとしたら、身体全体が膨れている人は全身でこのような感触を楽しんでいるのか?
いずれは再吸収量が漏れ出す量を上回り、こぶは引っ込むはずである。さて、どれほどの日時がかかるのか。それまでは、この不思議な感覚と付き合わざるを得ない私であった。