11.02
今年も残り少なくなりました。
あっという間に11月になった。さすがに朝夕はめっきり冷え込み、桐生の我が家ではそろそろストーブの用意をしなければならないなあ、と思い始めている。
それはそれとして、10月の下旬は何となくバタバタして、日誌を書くゆとりがなかった。28日は黒保根まで出かけて取材をし、夜は旧知の友と酒を飲み。29日は間近に迫った桐生えびす講の準備をしつつ、群馬大学関連の緊急会議。30日はその会社の生産計画を指示し、午後から宇都宮出張。1泊して戻った31日は西新井で夕食をしながらの打ち合わせと雪崩を打ったように仕事が目白押し。月が変わった昨日も朝から写真を撮りに動き回るといった次第で、本日も朝から打ち合わせ、午後からは資料の読み込みと、ほんとまあ、現役時代より仕事に追われているのである。
とりわけ、30日から31日にかけては過酷な日程であった。
30日、宇都宮で夕方から打ち合わせをし、終えて飲み会である。2次会には行かないのであるが、ホテルに引き上げて
「大道さん、もう少し飲みますか」
と一緒に出かけた仲間から声をかけられ、
「そうしようか」
と応じて部屋でビールを飲み始めた。最初は和気藹々の会合であったが、やがて酔いが回るに従って飛び交う言葉がきつくなり、
「大道さん、あんた、冷たいよ。それじゃあいけないんじゃないの? 現実を説明するのは結構だけど、じゃあどうしたらいいのかって代案を示してあげなきゃあ、相手だって戸惑うじゃないの。無責任だよ」
「何を言うか。現実を知らせた上で相手がこれまでの方針を貫くのなら、それは向こうの責任だ。マイナス情報もきっちり伝えるのが我々の責任だろう」
「いや、それは責任逃れだ。代案を出しなよ」
「そんなものがあればとっくに出している。ないから、せめて本当の事を知った上で選択してくれというのが俺の話の趣旨だ」
「あんた、そんなことなら、この仕事辞めろよ」
「分かった。お前が辞めろというのなら辞める。それでいんだな?」
と書くと険悪な雰囲気だが、まあ、確かに彼の目が据わってやや危険な目つきになってはいたが、こちらは極めて冷静で、
「こいつ、かなり酔ってるな」
と思いながらの言葉のやりとりである。
「それはいいけど、お前、目が据わってるぞ」
と私が言ったころから再び座が和み始め、それまで会話に加わらなかった3人目が
「うん、僕が聞いている限りではね、2人が言っているのはこういうことで、そうだなあ、僕は大道さんの方に身を寄せたいんだけど」
とホノボノとした口調で発言し始めたころから笑いが漏れ始めて、論争は終わり。再び意気軒昂な
「いいよね、この仕事!」
という会話に移ったところで時計を見ると、何と午前1時半。
「もう寝る。明日の朝食は午前8時」
と確認して自分の部屋に引き上げたのであった。
31日の西新井行きは、だから、寝不足と二日酔いと旅の疲れが重なっての難行苦行となったのである。
それにしても、体力が落ちたなあ。
というわけで、日々疲労が蓄積した。これが日誌を書けなかった理由の1つである。
加えて、頑固な私は、自宅で夕食を取った日は、その後の映画鑑賞は欠かさない。というか、保存価値はないのではないかという映画を選び出す作業を日々続けているのである。このような状況では、日誌を書くゆとりが生まれるはずもなく、心ならずも
「何だ、新しい原稿はねえのかよ」
という皆様の舌打ちの音を聴きつつ、期待を裏切り続けた。申し訳ない。
それはそれとして、決まっちゃったね、マラソンと競歩の札幌開催。となると、2020年のオリンピックは何と呼んだらいいのだろう? 東京・札幌オリンピック? 東京・札幌大会? 異例である。
全くもって、IOCもそれを報じるメディアも口から出任せが過ぎる。今頃になって
アスリート・ファースト
だと? 協議をする選手に8月の東京という過酷な環境を押しつけたのは一体誰だ?
結果として明らかになったのは、アスリートなんて彼らにとっては単なる将棋の駒に過ぎないことである。気温が35度を超えようと、ひょっとしたら今年の台風19号並みの巨大台風が会場を襲っても、そんなこと、わしゃ知らん。オリンピックは崇高なものだのだ、ってか?
アメリカのテレビ局に開催機関まで支配されるオリンピックが崇高か?
金まみれに堕したオリンピックがそんなに大事か?
関係者はしかと反省されるのが良かろう。
「いだてん」なんかでオリンピック景気を煽るNHK、そのシナリオを書くライター、出演してバカ騒ぎをする俳優連も同じ穴の狢(むじな)に見えて仕方がない私である。