07.12
何で私がゴルフ場に?
昨夜、おかしな夢を見た。まあ、夢というものはどこかおかしなものではあるが、それなりに個人の記憶や願望、つまり脳みそのどこかに蓄えられたファイルがバラバラに構成されて上映されるものだと思っていた。ところが、昨夜の夢はとんでもないものだった。
私が、ゴルフ場にいたのである。しかも、一風変わったゴルフクラブを持って。
確かに、ゴルフ場に行ったことはある。学生時代のことである。絵に描いたような貧困学生だった私は、何かで見たアルバイトに飛びついた。福岡市内にあるゴルフ場のキャディである。そう、重いゴルフバッグを担いで、
「君は大学生かね。どこの大学?」
なんていわれながら、
「あ、ラフに打ち込んじゃった。ボール探してきて」
なんて命令されながら、芝生の上を歩き回る。1日がかり、しかもかなりの重労働である。それなのに、ああそれなのにそれなのに、夕方受け取ったバイト料は記憶によると、確か700円。もう50年も前の話だ。この間、物価が上がり続けたのは承知している。しかし、いかにものの値段が安かった50年前とはいえ、1日働いて700円は
「馬鹿にするな!」
という額でしかなかった。このバイト、1日だけでケツをまくって辞めたのはいうまでもない。
その後は、仕事でゴルフ場に行ったことはある。しかし、仕事だからグリーンには出ない。事務所でボソボソと商談をするだけである。
クラブを持ったことは1度だけある。あれはウッドの何番だったろう?
「ゴルフ、やったらどうだ?」
といったのは、すでに故人となった義父であった。そう、我が妻女殿の父上である。確か習志野カントリーかどこかのメンバーで、こよなくゴルフを愛していた。
「いや、やったことないし、やる気もないので。ほら、私、釣りが趣味じゃないですか。釣りとゴルフは趣味として両立しないんですよ」
と逃げに逃げたが、追っ手の方が足が速かった。やむなく私はクラブを手にした。場所は、義父宅の庭先である。
ゴルフケージがしつらえられていた。日常の練習用らしい。正面に的がある。その的を狙ってボールを飛ばすらしい。
「簡単だから、ほら打ってみな」
仕方なくクラブを振りかぶった私は思いきり振り下ろした。クラブを振ったのはこの時が始めてである。フォームがどうの、肩の回し方がどうの、という段階のはるか手前にある私は、
「確かにボールは小さい。しかし、止まっている、当たらぬはずはない」
と力任せにクラブを振った。
当たった。確かにクラブヘッドはボールに当たった。が、何となく感触が悪い。ボールを野球のバットの芯でとらえたときの快感がない。
「ん?」
と思った瞬間、どこやらで
ビシッ!
という音がした。おかしい。ボールの行き先はネットの中のはずだ。ネットに当たったボールがそんな音をたてるはずはない。ボールはどこだ?
探す私の目に、ケージの外を転がるボールが見えた。
「いやあ、危なかったなあ」
と義父がいった。
「もう少しでガラスが割れるところだったぞ」
どうやら私がハッシと打ったボールはわずか1mほど先にあったケージを外れ、そばの義父宅の壁にぶち当たって派手な音を出したらしい。当たったと思える場所の10㎝下はガラス窓。
あれ以来、私はクラブに触ったことがない。
で、そんな私が見た夢である。
私はどこかのゴルフ場にいた。すでにグリーンに出ており、手にはクラブを1本持っている。どうやら、このクラブで第1打を放つため、ティグラウンドに向かっているところらしい。
同行者は2人。いずれもおじさんである。見たこともない顔である。だが夢の中の私は
「こいつら、誰だ?」
という当然の疑問が頭に浮かばない。それどころか、10年来の知己でもあるかの如く、
「いやあ、天候に恵まれてよかったですな。まさにゴルフ日和だ」
「握ります? 今日はまけませんよ」
とにこやかに会話を続ける。ふむ、見知らぬ同伴競技者と10年来の知己のように会話を交わす。私も70を過ぎて豊かな世間知がついたようである。
歩きながら、不思議なことに気がついた。ずっと持ち歩いているゴルフクラブのグリップのところが、雨傘の柄のようにくるりと曲がっているのである。そう、曲がった部分を腕にかければ、英国紳士としてロンドンを闊歩できるような形状なのである。
「おかしいな。ゴルフクラブのグリップって、真っ直ぐになってるんじゃなかったっけ?」
と疑問を持つ程度の知性は、夢の中の私も持ち合わせていた。そして、同時にもう一つの知性も持ち合わせていた。すべてを合理化する知性である。
「ああ、そうか。私がゴルフの初心者だから、こんな変形グリップのクラブを持ってるんだ。これだとグリップの握り方が自然と身につく。そう、幼児用の箸に指を入れるところがあって、底に指を差し込むと自然に正しい箸の持ち方身につくようなもんだ。こんなクラブを作った人は賢いなあ」
いや、笑っていただいても結構である。とにかく、夢の中の私は、グリップの曲がりをそのように解釈して満足したのである。
が、知性とは恐ろしい。起きているときは鬼神をも打ち負かさんばかりの冴えを見せる私の知性は、夢の中でも健在だたったのだ。
「ん? 確かに右手で、グリップの曲がった部分の本体部分を握れば、曲がったところが右手の甲にに来て具合が良さそうだ。これなら正確にボールを打てるだろう。しかし、そう握ってしまうと、左手はクラブのどこを握ればいいんだ?」
私は、そんな難問を抱えながら歩く。
「ハンデ、どうします?」
などといいながら歩く。
「あれ、そのクラブ、新しいでしょ? またお買いになった? 具合の良さそうなクラブですなあ」
とおべっかを使いながら歩く。
歩きながらポケットを探る。
「おかしいな。ボールがない。俺は何を打つんだ?」
「ゴルフティーもないぞ。ボールが見つかったら地面に置いて打つのか?」
あまり考えすぎたためか、一打も打たないまま、そのあたりで目が醒めた。
人生、夢を持てという。昨夜の私は夢を持った。夢を見た。しかし、私の夢はゴルフ?
違うよなあ。もっと、この、…………が夢に登場して欲しいと願いながら毎晩寝ているのに、何で雨傘の柄のようなグリップを持ってゴルフ場に行かねばならん?
と、今朝目覚めた私は考え込んだのであった。
なお「…………」の部分は、お好きな言葉を入れて楽しんでいただければと願っております。