02.25
いやあ、大変な仕事を約束してしまったものである。
お約束通り、桝谷さんが雑誌に書かれた原稿の「復刻版」の掲載を始めた。シリーズ1はすでに今日3回目を迎えて終わった。2回目も間もなくアップする予定である。
しかし、である。簡単に考えて踏み切ったのだが、やってみるとこれ、気が遠くなるほど大変な作業である。
シリーズ1の
「きびしくもアマチュア気質を重じて」(ねえ、これは「重んじて」ですよね)
だけでも7000文字を超す。これを一文字一文字、手入力する。シリーズ2にするつもりの
「世の中は……音は世につれ 世は音につれ……とよくいうが! マニアに進言する」
は約3300文字。
シリーズ3からは製作記事になる予定で、その1回目
「作りやすくて性能のよい 12AX7×4、12AU7×2 ステレオ・プリアンプの製作」
は何と1万4300文字である。これに写真や図、表が23枚つく。すべてスキャナで読み込んで画質を整えなければならない。
昔はもっと使いやすいスキャナ・ドライバーがあったという記憶があるのだが、今使っているキヤノンのプリンタにくっついてくるドライバは使い勝手がこの上なく悪い。プレビュー機能がないため、狙っている写真や図が間違いなく収まっているかどうかは、スキャンしてみるまで解らない。その結果、一部が欠けていたりすると、もう一度スキャンのやり直しである。
こうして取り込んだ jpeg 画像を、Mac付属の「写真」というアプリに取り込み、角度を修正し、トリミングして画質を上げる。実に根気の要る作業だ。
加えて、掲載された雑誌の編集機能がかなり弱かったように思われる。意味の通じない日本語が時折現れ、同じ言葉が漢字で書いてあったり、ひらがなだったり、多分、桝谷さんが書かれたもの、書き間違われたものをそのまま掲載しているのである。「いい」とあったり「良い」とあったり、また「きれい」「綺麗」も混在する。
パソコンで文字を書かれる方にはお解りの通り、「よい」が「よい」で一貫していれば、入力作業は楽である。スペースバーを叩けば、いつも同じ「よい」が最初に出てくる。しかし混在していると、そのたびに「よい」にするのか、「良い」としなければならないのか、原稿を見ながら何度もスペースバーを叩く羽目になる。
それでなくても、私には基礎知識が欠けている分野の原稿である。桝谷さんが書かれていることの、どうだろう、3分の1程度しか理解できず、必死に活字を目で追いながらの入力作業なのに、この日本語の乱れは追い打ちを掛けて労働を強化する。
今月22日、今回のプロジェクトを予告する原稿をアップした。すると読者のお1人から
「手伝います!」
というメールを戴いた。PDFなどで原稿をお送りすれば、Wordに打ち込む作業をやって下さるという。嬉しかった。世間は捨てたものではない。
しかし、この申し出を私はお断りした。
これは、私と桝谷さんとの、久しぶりの対話であると思うからだ。
桝谷さんには大変仲良くして戴いた。神戸までお邪魔し、中華料理をご馳走になったこともある。桝谷さんのテナーサックスも聴かせて戴いた。私に、心を開いて下さった。
それでも、よく喧嘩をした。まだ朝日新聞に勤務していた私は、桝谷さんに連載コラムをお願いしたことがある。桝谷流の合理主義を1人でも多くの人の共有財産にしたいと思ってのことである。
新聞記事とは、高校生以上なら誰でも読んで理解できる日本語になっていなければならないというのが原則である。だから、記者ならぬ桝谷担当編集者となった私は、桝谷さんの原稿に遠慮なく直しを入れた。直した原稿を桝谷さんに送り、了解をもらって掲載する。
ある日のこと、桝谷さんに電話を戴いた。
「あんた、何してくれますのや!」
受話器を取るなり、桝谷さんの怒声が響いた。
わけが分からず、
「はあ?」
と間抜けな返事をした私に、桝谷さんは言葉を重ねた。
「これ、私の書いた原稿と違います。あんさんの原稿や。こんなやったら、私、降ろさせてもらいますわ!」
遠慮なく赤ペンを(実際は、新聞社は青ペンを使いますが)入れた私への怒りだった。それだけ心血を注いでお書きになっていたのだろう。
しかし、こちらもプロである。読者には一読して理解できる記事を届けなければならない。私は売られた喧嘩を買った。怒鳴りあいにはならなかったと思うが、それからしばらく、2人の間には険悪な空気が流れた。
それでも、時間は流れ、わだかまりを押し流してくれる。いつしか前のように、いや前以上に親しくなったのは、喧嘩をするほど仲がいい、ということだろう。
だから、私は桝谷さんの原稿を入力しながら、いま私は桝谷さんと対話をしているのである。
「桝谷さん、なんでもっと、俺にも解るように書いてくれなかったの?」
「桝谷さん、ここの日本語、間違ってるって!」
「この糞オヤジ! 何でこんなに原稿が長いんだ? 俺の身にもなって見ろよ」
問いかけなら、教えながら、罵倒しながら、桝谷さんとの会話を続けるのである。
と格好良く書きすぎたかもしれないが、いや、この作業、本当に大変です。スキャナで全体を取り込んでOCRを掛けてもみましたが、アプリの性能が悪いのか、とても使いもにならない文書しか出力されませんでした。だから手入力を続けるしかなく、ひょっとしたら今年の年間プロジェクトになるかもしれません。気を長く持ってお待ち下さい。
また、活字を目で追いながらの作業ですので、ミスが頻発すると思います。できるだけミスを減らす努力はしますが、そこは人間の業。
To err is human, to forgive, divine.
過ちは人の常、許すは神の業、といいますものねえ。
ところで、隣町の栃木県足利市の山火事がなかなか鎮火しない。自衛隊のヘリが消火活動に当たっているそうだが、陳会の見通しはいまのところ立たないそうだ。
だからだろう、我が家の上をヘリコプターが何度も往復する。午前7時頃から始まり、日がとっぷりと暮れた後もブルブルブルブルという、ヘリコプター特有の音が我が家に響いてくる。外に出て足利方面をながめても煙すら見えないので、こちらまで火が回ることはないと思うが……。
コロナに山火事。何かと落ち着かない世の中である。