08.07
西宮、伊勢、四日市を回って昨夜、帰桐しました。
4日から昨日まで、兵庫県西宮市、三重県伊勢市、四日市市を回ってきた。例のO氏、刺繍会社会長のKa氏、タクシー会社社長のKo氏との道中である。
計画を立てたのは1ヶ月ほど前だった。桐生えびす講の責任者であるO氏と、毎年配布している「桐生えびす便り」の今年の記事を検討する中で、西宮神社本社の吉井良英・権宮司とO氏との対談でいこうと話がまとまり、O氏が日程を組み立てた。
同時に、私が桐生で取材している繊維関係の企業に「アライデザイン」という会社があり、そこの特殊技術「絵画織」が素晴らしく、これもO氏との話で
「伊勢にある神路社に、この絵画織を紹介しに行こう」
という話になった。神路社は日本全国の神社に神祭具、記念品、授与品を納めている会社である。
O氏がKa氏、Ko氏を誘い、彼ら3人の間で伊勢神宮参拝が決まった。
そして折角伊勢まで足を伸ばすのなら、私は四日市の啓樹、嵩悟に会わねばならない。
こうして、2泊3日の、高齢者グループによる旅行計画が纏まった。
新型コロナの感染が急拡大したのは、計画を立てた後である。出発日が迫るにつれ、私はやや不安になった。
我々4人は、すでにワクチン2回接種組、つまりそういう年代である。従って、コロナを過剰に怖がる必要はない。だが、訪問先がどうか? 関東から行く我々を忌避されるのではないか?
「ねえ、一度問い合わせた方がいいんじゃない?」
と、このミニ旅行の団長格であるO氏に打診したが、
「問題はない」
ということで決行した次第である。本当に問題はなかったのか?
足は、Ko氏所有のワゴン車である。全員が2泊3日分の着替えを持ち、絵画織売り込み用のサンプルを携え、土産まで積み込んだ。その上、私は啓樹に、私のエレキギターをやる、と約束してあったので、エレキギター、弦、数冊の楽譜まで積み込んだ。結果、
「ああ、これは乗用車では積みきれない荷物だわ」
というほどの大荷物になった。
4日、集合時間は午前6時。O氏が、最近は彼の自慢の一つになった中古のBMW320dで私とKa氏を拾い、集合場所のタクシー会社に向かった。荷物を積み替え、いざ出発である。
運転手は最若年(それでも2回接種組だが)のKo氏。仕事柄か、彼の運転は極めて慎重である。高速でも100km/h以上出すことはまずない。西宮まで約600km。6時間ほどで到着する計算である。
その計算にノイズが入ったのは、O氏の頻尿であった。まあ、我々のような年齢になればトイレは近くなる。ある程度は仕方がないが、それにしても彼に頻尿度合いは想定を超えた。
私が助手席に座り、O氏とKa氏がリアシートに陣取った。車が動き出すやいなや、リアの2人はとりとめのない雑談を始めた。いや、雑談の9割はO氏の主導で、Ka氏は相槌を打つ程度。
「同行者を退屈させてはならない」
というO氏なりの気の使い方なのだろう。
その会話がふと途切れた。ん? 話し疲れたか?
「あのう、パーキングエリアに寄ってもらえると助かるんだけど……」
リアから声が聞こえた。
「どうしたの?」
「いや、俺、最近近くてさ」
まだ出発してから2時間ほどである。1時間半ないし2時間に1回。その後、彼はきっちりとこのペースを守り続けた。
途中、私が運転を交代し、一路西宮神社を目指す。平均速度が20㎞ほど上がる。随分時間を稼いだはずである。そして2時前後に西宮神社に到着した。
対談を済ませ、その日の宿泊場所である神戸のホテルへ。仕事をこなした夜は、酒席で盛り上がるのが常識だが、
「いま、神戸は飲食の規制があるんだって」
町に出ても、午後7時でオーダーストップ、8時閉店。それでは、とホテル内のレストランで食事をとったが、酒類は一切出て来ない。オヤジ4人、酒のない夕食が盛り上がろうはずがない。1時間もしないうちに食事会は終わり、部屋に戻って酒盛り。でも、やっぱりなんだか情けない。たかが酒、されど酒、ではある。
翌日は午前9時前にホテルを出て、伊勢へ。1時間半ないし2時間ごとに休憩を取るペースを守り、正午前に伊勢神宮内宮に到着した。
おかげ横丁を通り、内宮へ。真夏の太陽が遠慮なく照りつける中、まあ、歩いてる、歩いてる、観光客が。これは立派な人混みである。ニアミスだって起きかねない。コロナ前に比べれば減っているのかも知れないが、最近の伊勢神宮の人出を知らない私の目には、
「みんなコロナが怖くはないのかね? これじゃあ感染拡大は防げないわなあ」
まあ、そう思う私が観光客の1人としてそこにいるのだから、天に唾するような感想ではある。ただ、私は好んでその場所にいたのではない。他の3人が
「伊勢に来たのなら、伊勢神宮に参拝するのは常識でしょう」
という方々だったので、やむなく内宮まで足を運んだだけである。だから、私は参拝はせず、内宮への入口の日陰で、参拝を終えた3人が戻ってくるのを待ったのである。
汗だくになりながら、中華料理で昼食を済ませ、神路社で営業活動。終えて私は、近鉄で四日市に向かった。
駅では啓樹と嵩悟が待っていた。すぐに啓樹にエレキギターを渡す。こんな重たいものを何時までも持っているほどの体力は私に残っていない。
その足で書店へ。嵩悟が欲しいという本を買う。加えて、立花隆の「宇宙からの帰還」を買い与える。
嵩悟の宇宙好きはかなりのもので、天体望遠鏡で星空を観測するだけでなく、将来はJAXA(宇宙航空研究機構)で働き、飛行士として宇宙に飛び出したいのだそうだ。であれば、この本は必読書である。小学5年生ではまだ難しいかも知れないが、中学生になれば読めるだろう。それまで本棚に飾っておけばよい。
啓樹宅近くの焼き肉屋で夕食。嵩悟のリクエストである。食べ終えて啓樹・嵩悟宅へ。啓樹は早速ギターを取り出して弾き始めた。
子供の頃からピアノを習い、ピアノの腕はなかなかではないかと思う。しかし、ギター教室に通ったことはない。それなのに、みごとに聞き覚えのあるフレーズを弾きこなす。おいおい、俺はギター教室に通ったにもかかわらず、そんなフレーズは弾けないぞ……。
しかも、である。チューニングマシンを使わず、弦を共鳴させることなく、弦を1本ずつならしてチューニングしている。どうやら啓樹は絶対音感の持ち主らしい。
この日はホテル泊。
最終日の昨日は、午前11時頃、伊勢を発ってきた3人と四日市駅でドッキング。桐生への帰路についた。
途中、名古屋でひつまぶし。熱田神宮そばの「蓬莱軒」である。老舗の鰻屋だそうだが、ここの客数も半端ではない。予約は取らず、来た客を10分ごとのグループに分けて店内に入れる。我々は1時10分組で、同じ組には15人から20人はいたようだ。皆、炎天下、太陽に焼かれながら1時10分が来るのを待つ。
「いやあ、凄い数の客だね」
と案内のお兄ちゃんに聞いたら、
「いや、これでもコロナ前の半分です。テーブル数も減らしてますし」
半分でも
「こんなに密集したら、感染もあるのでは?」
と思わせる客の数。凄い店があるものだ。
食べ終え(私には、やや上品すぎるタレの味であった)、名古屋高速から新東名に乗り、律儀に1時間半ないし2時間ごとの休憩というペースを守って我が家に着いたのは8時半頃。直ちにビールの栓を抜き、インスタント焼きそばを作って食べ、シャワーを浴びて映画を1本。今朝7時過ぎまで爆睡した私であった。
旅は疲れる、と思い知ったのは年齢のためか、強行軍のためか、全体の3割程度は私がハンドルを持ったせいか。
いずれにしても、急速に失われゆく若さを懐かしみつつ、今日は安息日と思い定めた私であった。