09.04
ブラック・ニッカを買って来た。—その2
さて、昨日からの続きである。
アルバイトと読書に明け暮れ、時にはデモに参加する。福岡ベ平連の事務所に出入りし、毎週土曜日はベ平連の仲間と天神に出てチラシを配り、ギターを抱えて街頭フォークを歌う。私の大学生活はそのように進んだ。ベ平連に出入りするぐらいだから、気分は立派な反体制である。体を使った喧嘩をしたことがない私は暴力には恐れと嫌悪感がある。だからゲバ棒を持つことはなかったが、今の世の中は変えねばならない、という思いは強かった。70年安保粉砕、自民党政府打倒、資本の横暴を許さないぞ……。
そして、いつもスカスカの財布にほんのチョッピリゆとりらしきものが出たとき、ハイニッカを買い込んでしみじみ味わったものである。
その暮らしが変わったのは、1年ほど後のことだった。
私の通った大学は、1年半の教養課程が終わると専門課程に進む。弁護士になろうと思って法学部を選択した私は、教養学部からいよいよ法学部に進むのである。
それなのに、
「俺、このまま法学部に進んでいいのか?」
という疑念に取り付かれた。法律という世界、弁護士という職業になんとなく違和感を覚え始めたのだ。当時、学生運動の延長で、法廷を時折のぞくようになった。デモやあれこれで逮捕され、起訴された学生の裁判を傍聴するのが「法廷闘争」と呼ばれた時代である。
そこで目にした弁護士がちっとも輝いていなかった。何となくつまらない仕事に思えた。
「俺、あんなことをしたいのか? このまま法学部に進んだら、俺、きっと勉強なんかしないぞ」
同時に、学生運動の端っこの方でうろちょろしていた私には、抜きがたい労働者コンプレックスがあった。当時崇敬していたマルクスによれば、革命、つまり時の権力を倒し、新しい地平を切り拓く本体は労働者である。じゃあ、学生はいったい何なのだ? 学生なんかやめて労働者になった方がいいってか?
だが、そんな踏ん切りがつくはずもない。
考えた挙げ句、私は1年間、休学することにした。休学し、働く。自ら労働者になってみる。私がコンプレックスを持っている労働者って何なんだ? それが知りたい。そして、残り2年半分の学費を稼ぐ。
月1万2000円の奨学金と、家庭教師や貨物の積み降ろし、ガソリンスタンドの給油員などのアルバイトでかせいだ金で暮らしていた私は、アルバイトをしなくても勉強出来る金が欲しかった。何しろ、疑問を持ち始めたとは言え、目標は司法試験という狭き門なのである。脇目も振らずに勉強に集中出来る時間がいる。
私は、夏休みに運転免許を取った。大学2年の秋に休学届を大学に出すと、福岡、箱崎のちっぽけな運送会社で働き始めたのであった。
暮らしが変わった。朝8時には職場に行き、下宿に戻るのは午後6時過ぎ。昼間はトラックに乗って汗を流す。眠くなった時が就寝時間、目が醒めたときが起床時間、という学生生活とは雲泥の差がある、規律正しい暮らしが始まった。
変わったのはそれだけではない。
「おい、大道君、中洲に連れてっちゃろか? 中州に行ったことはなかっちゃろ?」
職場に慣れた頃、仕事でペアを組んでいた先輩が声をかけてきた。坂井さんと行った。休学して働く私を、貧困家庭出身の苦学生と正しく理解したらしく、であれば、全国に名が轟く夜の繁華街、中洲なんて足を向けたことなんてないだろう、とこちらも正しく推測したらしい。恐らく、それまで「大学生」と呼ばれる連中とほとんど縁がない暮らしをしてきたこの先輩には、休学中とはいえ、現役の大学生である私への興味もあったはずである。
「あ、はい、行ったことはなかですばってん、金はなかですよ」
「よかよか、金は俺が持っとる。心配すんな!」
こうして私は、生まれて初めて夜の中洲に足を踏み込んだ。
連れて行かれたのはクラブである。テーブル席があり、横に女性が座ってサービスする。初体験の私は、何処か隠微な臭いもする華やかな雰囲気に飲まれた。隣の女性の香水が鼻をくすぐる。俺、ここでどうしたらいいの?
私はカチンカチンに固まった。身動きが出来ない。息苦しい。隣の女性が作ってくれる水割りを、黙って口に運ぶだけである。
隣の女性は、固まって口も開けない私に、いろいろと話しかけたはずである。ところが、何一つ覚えていない。ひょっとしたら、隣に座った女性も無口だったのか?
一つだけ覚えていることがある。
私と面と向かう席に座った先輩は、流石に慣れたものである。時には隣の女性の肩を抱き、水割りを口に運び、タバコをくゆらせ、にこやかに談笑している。
そんなさなかであった。先程まで女性の方に会った先輩の左腕が、スーッと下に下がった。
「あれ、何をするんだろう?」
何故かその腕のから目が離せなかった私は、動く先を目で追った。
止まった。止まったのは、隣の女性の臀部である。ふくよかなヒップである。憧れのお尻である。そして、臀部に張り付いた先輩の左手が微妙に動いた。
「えっ、そんなことしていいの? そんなことして恥ずかしくないの? でもずるいよ先輩、あんただけ……」
きっと私の顔は赤らんでいたに違いない。別に私が恥ずかしがる必要はないはずなのだが……。
おっと、またまた話がわき道にそれた。今回のテーマはブラック・ニッカであったはずだ。
あ、先に進む前に一言。
ああ、これが私がコンプレックスを持った労働者というものなのか? 私がコンプレックスから解放された瞬間だったかも知れない。
もう一つ、私の暮らしで変わったことがある。財布が少し膨らんだのである。大半は将来のために貯蓄したとはいえ、財布に残った額もう生まれて初めて持つほどの金額であった。財布に訪れた少しの膨らみは、生活の質の向上を求める。
「あ、もう少しいいウイスキーが買えるわ」
と何故考えたのか、今となっては全く解らない。ハイニッカに飽き飽きしていたわけでもないのだが、とにかく、私はそう考えた。
もう少しいいウイスキー。当時、世でもてはやされていたのはサントリーのオールド、通称「ダルマ」であった。結構高いウイスキーで、確か1本1980円。少し安いサントリーの角瓶があったが、これすら確か1450円だったと思う。そんな高いウイスキー、財布が少し膨らんだぐらいでは手が出ない。
こうして選んだのがブラック・ニッカだったのである。1本1000円。ハイニッカの2倍である。清水の舞台から飛び降りる気分で酒屋に入り、
「ブラック・ニッカをちょうだい」
と胸を張って声をかけ、手にした真っ黒い瓶を抱えて下宿に戻る。夜を待って封を切り、グラス(確か、この頃にはガラスのコップを持っていたようです)に少量注いで口に運ぶ。
「あ、いいわ。ハイニッカとは全く違う! まろやかだ!!」
2倍もする高価なウイスキーである。この程度は喜ばないと元が取れないではないか。
それ以来、ブラック・ニッカは私の愛用酒の地位を独占したのであった。ブラック・ニッカからさらに上のウイスキーに移るのには、朝日新聞入社を待たねばならなかった。
話を学生時代に限ろう。
ちょうど1年、トラック運転手として働いて、私は復学した。1年間も教科書を開いていないと、何故か勉強がしたくなる。まだ、弁護士という職業には納得出来ないものがあったが、私はマジメに大学に通い始め、憲法、民法、刑法、刑事訴訟法、民事訴訟法、国際法、商法など、授業に出始めた。下宿に戻ると法律書を読みふけった。そんなある日のことである。
確か民法の教科書を読んでいた。この頃になると私と酒と間の友情は極めて深くなり、ブラック・ニッカは常に我が傍らにあった。傍らにあるだけなら単なる飾り物だが、ウイスキーを飾る意味はない。私はグラスを取り出すと新しいブラック・ニッカの封を切ってトクトクトクとグラスに注ぎ、民法の本を読みながら飲み始めた。
グラスが空になればまた注ぐ。目は常に活字を追っている。だから、どれくらい飲んだのかは確かめもせず、目には活字、口にはウイスキー、という時間を過ごした。
さて、どれくらい立っただろう。ふと、ブラック・ニッカを見た。
「ん?」
中身が減っている。そりゃあ、ずっと飲んでいたのだから、減るのは当たり前である。だが、減り方が尋常ではない。
「いつの間に半分になっちゃったんだ?!」
法律書が読めるほどである。酔いはほとんど感じない。それなのに、ウイスキーを半分空けてしまった。
「これはいかん。ブラック・ニッカを飲み続けると、俺、破産する!」
あわてて代替品を探した。こんな飲み方ではハイニッカでも破産の危機がある。安い酒、安い酒……。
私は焼酎を買って来た。夜、布団に入りながら飲んでいたら、ふとしたはずみに1升瓶を倒してしまった。中の焼酎が大量にこぼれ、畳と布団、まくらに染み込んだ。しばらく臭いが消えず、臭くて閉口した。
高粱酒(こうりゃんちゅう)を買ったこともある。福岡県市に住む叔父に、
「この酒は美味くてな」
と飲まされた酒である。焼酎よりやや高かったが、アルコール度数が60度ほどあり、口に入れるとトロリと甘い。いや、それが狙いではなく、
「これなら少量で酔うだろう」
と思っての選択である。
そんな暮らしが、我が妻女殿と結婚するまで続いた。結婚したのは23歳、大学3年の終わりであった。
というわけで、50数年前の私には、ハイニッカはとてつもない高級ウイスキーであったことをご理解いただけただろうか? それがいま、1800ccで1735円。しかも、かつては真っ黒のガラス瓶に入っていたのに、昨日買ったブラック・ニッカはペットボトル入りであった。安っぽい。
いまや、焼酎はかなり高額の酒になった。高粱酒にいたっては、Amazonで見ると、300ccで2000円を超す。私が買っていた1升瓶なら1万円以上もする計算だ。焼酎も高粱酒も、当時の私はブラック・ニッカの代替品、それも安価な代替品として飲んでいたのに……。いつの間に地位が逆転したんだ 私の青春って、何だったんだ?
というお話しであった。
ところで、われらがガースー首相が辞めるんだってね。まずは目出度し、目出度し。
とは思うのだが、じゃあ、誰が首相になる?
最初に名乗りを上げた岸田は、朝日新聞の先輩に言わせると、
「あれ、馬鹿だから駄目」
高市のおばさん? 女性が嫌いなわけではないが、この人は東京都知事と同じく勘弁していただきたい。
河野? 新型コロナウイルス感染症ワクチン接種推進担当大臣で男を下げちゃったわな。
野田聖子? 判断保留。
下村? 彼は学校法人を理不尽に弾圧したという話を、被害者から聞いたことがある。
世評では、石破に期待をかける向きが結構あるという。確かに、すべてを事実と理屈で詰めていく彼の思考法は、基本的な哲学は共有出来ないとしても、首相としての采配を見てみたい気もする。中でも、安倍、菅の犯罪を追及してくれるのではないか、との期待を持たせる人物である。
が、一度は総裁の椅子を諦めて派閥を解消した人物でもある。いま、再び表舞台に立てるのか?
かつて自民党は、金権腐敗批判が自民党に向けられたとき、絶対に首相になることはないと思われたいた三木武夫を首相に担ぎ上げて世論の沈静化を図ったことがある。三木氏は、クリーンなイメージを持たれてていた政治家だった。
そういう人材が中にいて、この際はそれを首相にしようという力が働くところが自民党の奥深さであった。今の自民党にそれだけの底力があるのかどうか。
今月末には、今の自民党の力量が解る。