11.16
初日はぼちぼちでした。えびす講の話です。
昨日の日誌でお伝えした通り、今日から桐生えびす講である。公式カメラマンである私は、ほぼ半日、重い一眼レフを肩からぶら下げて桐生西宮神社の境内、並びにその周辺をうろついた。
一言で言えば、参拝客の出足は鈍かった。公式カメラマンである私はレンズの向け先がなかなか見付からず、ほぼ手持ち無沙汰で過ごした。
「14日から開いた去年は、初日は結構人が出たけどね。特に午前中は石段の下まで人の列ができていたもんなあ」
世話人の1人がそうつぶやいた。確かに、そんなシーンが1年前はあった。それに比べ、今年の初日は、人の列が出来ることはなく、終日閑散としていた。
何故だろう? 世話人さんたちと雑談をした。皆が何となく納得したのは、今年は昨年出なかった露店が出ることである。それも19、20日に出るため、
「どうせえびす講に行くのなら、露店が出て賑やかな19、20日にしよう」
という人がほとんどなのではないか?
私たちはそう考えた。ということは、あれか? 18日まではこんな状況が続くのか?
あまりに人出が少ないので、私は午後4時を目途に引き上げ、自宅に戻った。パソコンに向かいながら、ふともう一つの理由を思いついた。
昨年、みんなは初めてコロナ禍を体験した。コロナにビクビクしていたら、えびす講は開催期間を1週間に延ばし、141日に始まるという。狙いは参拝客を分散して、コロナ感染の原因と指摘された三密を避けること。それを知った参拝客は考えた。
「なるほど、コロナは怖い。しかし、えびす講には行かねばならぬ。そして三密は避けねばならない。以上の条件を満たすののは、人出が一番少ないと思われる初日の午前中ではないか?」
どうせ露店は出ないえびす講である。いつ桐生西宮神社に足を運んでも同じである。であれば、初日の午前中に。
そんな心理が働いたのではないか?
そして今年はコロナの勢いに陰りが見えることに加え、学習効果が働いた。
「人出が少ないだろうと思った初日だったのに、人出は結構多かった。だったら、いつ行っても一緒。どうせなら露店の出る日まで待つか」
というのが今日の結果に結びついたのではないか? まあ、大衆心理学には疎い私の頭に浮かんだことだから、あまりあてにはならないが。
それにしてもである。傷む、腰が。別に重い荷物を持ってうろついたわけではない。腰にはそれほど負担をかけた覚えはないのに、この痛みは何だ?
だるい、足が。そう歩行数は4000歩程度。石段の上り下りは10回程度か。それにしては、足から腰にかけての筋肉が結構悲鳴をあげ始めているし、何よりだるい。
おいおい、まだ初日だぞ。これから4日間、乗り切れるのか?
なんだか自分の体が心配になった私であった。