2022
01.18

年末年始と仕事の話です、の4

らかす日誌

1981年も12月20日を過ぎた。間もなく年が変わる。なのに、東京モーターショーから懸命に続けてきた合併取材は、いまだに何の成果も生み出せない。体内では例の弱気の虫の活動が活発化する。

「俺、記者として無能なのかな?」

救いは、ほかのメディアもまだ報じていないことだけである。トヨタの首脳は相変わらず、

「いまは考えていない」

と金太郎飴の台詞をほかの記者にも話し続けているのだろう。

それなのに、何故か合併ムードは高まった。記者仲間では、トヨタ自動車工業、トヨタ自動車販売の両社が合併することはまるで既成事実であるかのような空気が濃く漂った。あとは、いつ、どの社が報道で先陣を切るかだけのようだった。先陣を切るのは私でありたいのだが、取材は行き詰まっている。このまま行けば、

「トヨタ工・販んぼ合併を抜かれた男

との入れ墨をしょった記者になりかねない。一生ついて回りそうなレッテルは願い下げだが、じゃあ、どうすればいい?

あれは、確か12月24日か25日だったと思う。思いあまった私は名古屋経済部のデスクに申し出た。デスクとは記者が書いた原稿に筆を入れ、商品としての質を持つものにする役職である。当時の私の直属の上司である。

「東京に出張したいのですが」

年末が迫る中での出張の申し出に、彼はいぶかった。

「どうした?」

と聞いてきた。ここは丁寧に説明しなければならない。

「例の自工、自販の合併ですが、報告しているように確認が取れません。他社も書いていないので、みんな確認が取れずに困っているのだと思います。でも、何となく、確認が取れなくても年明け、元日の朝刊で見通し原稿(確認が取れないまま、「合併する見通しである」などと書く原稿)を打ってくるような気がしてなりません。でも、私は確認が取れない記事は書きたくない。そういう形で抜かれる(他社にスクープを許す)のなら、甘んじて抜かれ記者になろうと思います」

ここでデスクが口をはさんだ。

「それはいいが、何故東京なんだ?」

「はい、これまで名古屋と豊田で取材を続けてきましたが、取材先はみんな金太郎飴で何ともなりません。だから、まだ当たっていない東京の取材先に行きたいのです。それで確認が取れなかった諦めます。最後のあがき、みたいなものです。お願いします」

「分かった。行ってこい」

こうして私は、その日のうちに新幹線で東京に向かった。

東京での宿は、妻女殿の実家である。当時の朝日新聞の出張費は実費精算ではなく日当制だった。ホテルに泊まればこの日当から宿泊費を出すのだが、妻女殿の実家だから金はかからない。つまり、ホテル代がまるまる浮く。だから東京出張は小遣いを増やす機会で、実にありがたかった。毎日でも東京に出張したいほどだった。
だが、今回に出張には、そんなよこしまな思いはみじんもなかった。なにしろ、

「抜かれ記者」

という入れ墨を入れられてしまうかどうかの、まあ、天下分け目の出張なのである。

その夜、朝日新聞東京本社からハイヤーを回してもらい、狙った取材先の自宅に向かった。着いたのは午後9時半か10時だったと思う。門のドアホンを押す。家の中でチャイムが鳴っている音がかすかに聞こえる。だが、応答がない。もう一度押す。やっぱり無反応だ。

この取材先はかなり高齢の方であった。高齢者とはこんなに早く寝付くものなのか? それとも、夜回り取材は受けないということなのか? あるいはたまたま夫婦で留守なのだろうか? 数多くの取材先から思った言葉を引き出せず、最後の頼みの綱と思って東京まで出て来たのに、私は運命の神に見放されたのか?
年末の夜はしんしんと冷えていた。

やむなく、私はハイヤーに乗り込んだ。車内の暖かさはありがたかったが、気持ちは萎えたままである。妻女殿の実家に向けて走るハイヤーに揺られながら、次の手を考えた。しかし、どう考えてもこの人に会わねば、会って話を聞かねば先には進めない。なにしろ、最後の頼みの綱なのである。

「よし、明日の朝、もう一度行ってみよう」

会社に電話を入れ、翌朝6時にハイヤーを妻女殿の実家に回すよう頼んだ。明日は朝駆け取材をする!

翌朝、きちんとスーツを着こなし、ネクタイまで締めた私は前夜に続いてハイヤーの人となった。向かうのは昨夜と同じ取材先である。
6時半には到着したと思う。前夜反応がなかった家を門前からのぞき込む。まだ早朝ゆえか、動きがない。しかし、この時間である。ドアホンを押すのも憚られる。さて、どうする?

10分ほど待ったろうか。やにわに玄関のドアが開いた。あ、いたんだ、この人。じゃあ、何故昨夜は反応がなかったんだ?
ま、それはいい。やっと最後の頼みの綱に会えそうである。

玄関から姿を現した彼は、年末の早朝にかかわらず、スポーツウエアの軽装である。右手にはテニスラケットが握られていた。

「お早うございます!」

門扉の前から、できるだけ大声で呼びかけた。

「おう、君か。どうしたんだ?」

「いえ、正月が迫ったのでちょっとお顔が拝見したくて」

「そうか。ちょっと、待っててな」

そう言い残すと、私の最後の頼みの綱はラケットを持ったまま私の前を横切り、庭にしつらえられたゴルフゲージの前に立った。何をするんだろうとみていると、ゲージに向かってテニスのサーブ練習を始めた。

「ほう、この人、テニスをするんだ」

1本、2本……。

「朝からのサーブ練習は健康法の1つなんだろうな。元気だもんな、このじいさん」

そんな事を考えながら待った。

「待たせて悪かった。さあ、入りなさい」

そう声をかけてもらえるまで、さてサーブ数はいくつだったろう? 取材先の額には薄らと汗が光っていた。
私は門を通り、ガラス張りのテラスハウスに誘われ。さあ、関ヶ原決戦の幕が開いた。

 

というわけで、やっと年末に到達しました。年始目前です。読み継いでいただいている方々、もう少しの我慢ですぞ。