04.24
仕事がはかどりません。
新聞記者になったときから起算すれば、すでに半世紀近く、商品としての原稿を書いてきたことになる。しかし、では物書きの技に習熟したかと問われれば
「いやー、素人に毛だけは生えたような気はするが、習熟したとはとてもとても」
と答えるしかないのが情けない。
かつてに比べれば、いくらかスムーズに筆が運ぶ(いまではキーボードをたたける)ようにはなった。それでも、どの原稿に満足しているか、と自問自答すれば
「それぞれ問題を残した原稿しか書けなかったな」
となる。ああ、俺はいまだにこの程度の原稿しか書けないのか、とうんざりする日々である。
いまも、原稿で行き詰まっている。課題は「織物」である。「らかす」とは別のところで書いているもので、いまのテーマは「桐生の職人さん」。織物産地・桐生を支える技の持ち主を訪ね歩き、話をうかがって原稿にまとめる。1人分は3回に分け、写真もつけておおむね5000文字程度で紹介する。すでに20人ほどは紹介したろうか。
桐生の再生には繊維産業の再興が必要である。そのためには、いまでも桐生で生き続け、発展を続けている繊維関係の技とその持ち主をより多くの人々に知ってもらうしかない、と考えて始めた企画である。私の書いた原稿で1件でも新しい注文が入れば多少のお役に立ったことになるのではないか。いや、例え1件も注文が入らなくても、今いる職人さんたちを記録にとどめるだけでも意義があるはずだ、と自分に言い聞かせながらの取材、執筆である。
ところが、これが難しい。毎日身につける織物、編み物がどのように産み出されているのか。それを支えるどんな技があり、どんな人々が技を受け継ぎ、発展させているのか。
「たかが布っきれを作るだけだろう?」
などと甘く見る気持ちが、ひょっとしたら私のどこかにあったのかも知れない。だが実際に取材をしてみると、それぞれの技がとてつもない深さを持っていて、話を何度聞いても私の理解が追い付かない。私が理解できなければ、あるいは理解した気になれなければ、読者に理解して頂ける原稿が書けるはずがない。自分の出来損ないの頭を殴りつけたくなる悪戦苦闘の連続である。
いま行き詰まっているのは織物の組織だ。織物には「平織り」「綾織り(あやおり)」「繻子織(しゅすおり)」の3つの基本があることは分かった。平織りは経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を1本ずつ交差させる織り方であり、綾織りは経糸が2本、または.3本の緯糸をまたいで表に出る織り方である。表に出る経糸がそれ以上になると繻子織と呼ばれる。
と書いたが、さて、これで理解して頂けるか?
私はここで不安になる。不安になるから図で補うことを考える。この3つの基本組織なら、図があれば誰にでも分かるはずだ。
しかし、数色を使った織り柄のある織物の組織はどうなっているのか、と考えて行き詰まった。
緯糸は、綜絖(そうこう)と呼ばれる装置で上下に分けれれた経糸の間を通る。この時、複数色の緯糸が同じ隙間を通るというのである。
例えば、花柄があったとしよう。端の方から見ていくと、まず地の色の糸が表面に出る。葉の分に行き着くと、緑が表だ。それを過ぎると花びらになり、ここは赤が表に飛び出す。花の雄しべ、雌しべの部分には黄色が必要で、次はまた花びらの赤、葉っぱの緑、そして、地の色と移り変わる。必要でない糸は全て裏に回る。
経糸が明けたたった1つの隙間でこれだけのことが起きているのだ。いったいどのような構造になっているのか? 昨日から何度も図を描いてみようと試みたが、どうにも図にならない。ふむ、私はこの構造を理解していないようである。
さらに「紗織り(しゃおり)」「絽織(ろおり)」など、お坊さんの夏の衣服に使われることが多い透き通った生地なると、
経糸同士を絡ませ、できた隙間に緯糸を通す
というのだから、ますますもって訳が分からない。経糸は平行に張られている。隣り合った経糸の一方が緩んでループを作り、そのループの先が隣の糸の先まで出張って緯糸の通る隙間を作るというが、いったいどうすりゃあそんなことができるんだよ! 目の前で丁寧に実演して頂きながら、私の頭は理解を拒みっぱなしなのだ。
ふっ、とんでもない取材をはじめたものだ! 俺にこんな原稿が書けるのかよ! と嘆いてみても、誰も助けてはくれない。なんとか自分で乗り越えるしかないのである。でも、できるか?
まあ、私の知る限り、織物、編み物の技を解き明かそうと取り組んだ人は、学者さんを除けばこれまでいなかったようである。学者さんの書かれたものは正確かもしれないが、読んでも分からない。だから、多くの人が
「あ、そんなことしてるの!」
といってくれる原稿を何とか書きたいのだが……。
今週は、火曜日、木曜日に取材が入っている。さて、私は目の前に立ちはだかる壁を打ち砕くことができるのか?
ネットも教えてくれない技術の深部に挑み続ける私であった。