01.17
明日は、前立腺のがんが転移しているかどうかの検査をする。
これまで私は、己の前立腺の問題を法廷闘争に例えて書いてきた。初審で負け、控訴した高裁でも有罪判決を受けた。最高裁は、がんの治療がうまく行くかどうかである。だとすると、明日の検査は何に例えればいいのだろう? あまり聞かないが、最高裁の判断の前提となる予審というところか。そんな制度が日本にあるかどうか知らないが。
明日は午前8時45分、桐生厚生病院必着である。なんでも、9時には造影剤を注射し、それが全身に生き割るのを待って午後1時からCTスキャンをする。
造影剤はガンマ線を出す放射性物質を含んでいるとのことである。特定の臓器や病んだ臓器に集まりやすく、集まったところをガンマ線専用のカメラで撮影する、と書いてある。つまり、前立腺のがんが骨に転移していれば、その転移した場所に造影剤が集まる。それがあったら、転移あり、なければ転移は免れたということになる。
この造影剤が出すガンマ線は無害ではないが、極めて微量だとある。ほとんどの場合、人体には無害ということだ。だが、何しろ我が体内に放射性物質を入れるのである。そして、入れた薬剤は完全に体内から排出されるまでは体内にとどまる。つまり、私は微量の放射線を、しばらく放出し続けることになる。そのため、2日間は人と長時間接してはならないのだそうだ。なんだか、ゴジラになるような気分だ。
ま、これも治療の一過程である以上仕方がない。今さらあれこれ考えてみても、現実は変わらない。淡々と流れに乗るしかない。
しかし、流れに乗ってしまうと、同じ流れのずっと先にいる人がたくさんいることを教えられる。今月亡くなった田川の叔父もその1人である。
あのO氏は
「いやあ、多いんだねえ。〇〇さんも△△さんも、重粒子線で治療したんだってさ。なんか、たいしたことないみたいよ」
まあ、励ましなのだろう。
毎年、桃とリンゴを頼んでいる福島の農園は我が息子の友人の実家だが、そのご亭主も前立腺にガンを持っているとのことだ。現在、確か80歳。
昨夜電話してきた息子によると、「グルメらかす」でレシピの監修に当たってくれたカルロス(本名・児玉)も
「児玉さんも、はっきり言わないけど、お父さんと同じみたいだよ。それもずっと前に分かったみたい」
とのこと。ほほう、児玉がいつの間にか私の先輩になってしまったか、と思って今日、電話してみた。
残念ながら、彼は前立腺肥大で、まだ私と同じ域には達していないそうだ。ま、後輩として長幼の序を守ったということか。
「いやあ、小便したくなると、もう止まらなくてさ。すぐにトイレに駆け込まないと漏れちゃうのよ。こりゃあいかん、とおもって医者に飛び込んだら、前立腺肥大だって。だけど、多分、がんになる恐れもあるんだろうね。定期的にPSA値を測りに医者にいってるのよ」
そうか、そうか。いずれは追い付いてくるのだろう。待ってるぞ!
今朝取材に行った縫製屋さんの会長は
「私はステージ4の肺がんでね。医者はもうダメ、みたいなことをいうんだが、ほら、死んでないんだ、まだ。そりゃあ、統計的にはステージ4だったら、ある期間内に高い割合で死ぬんだろう。だから医者は『長くありません』という。『大丈夫です』って言って、1ヶ月後に死んじゃったら笑いものになるからね。統計数字に従うのはあの人たちの保身さ」
なるほど、私の目の前で仕事に関する持論を蕩々と語る会長には、私の目には死の影は見えない。そこで私は、ついつい言ってしまった。
「そうですか。いや、私もつい最近、前立腺にがんが見つかりましてね」
同病相憐れむような言葉が戻ってくるかと思った。ところが。
「何、前立腺がん? そんなもの、あんた。私の肺がんに比べれば、赤ん坊みたいなものだよ!」
恐れ入った。反論ができなかった。
今日は嬉しい知らせが四日市から届いた。次男の嵩悟(しゅうご)が、三重大学附属中学に合格したのだそうだ。
「えっ、嵩悟は受験したのか? 俺、聞いてなかったぞ!」
私が聞いていたかどうかはどうでもいいことである。とにかく目標を突破したことを素直に喜びたい。
ついでに、大学受験中の啓樹に、大学入学共通テストの結果を聞いた。
「新聞にも、問題と解答が載っていた。自己採点はしたんだろ。どうだった?」
「ばっちりだよ。滑り止めはクリアしたから、もう浪人はない。結構点が取れていたので、第一志望の国立大学も大丈夫だと思うよ」
ど誰に似たのか、啓樹は天性の楽天家である。楽天家の
「大丈夫」
はあまりあてにならない。だが、今回は本当に大丈夫であってほしい。
「気を抜くな!」
大丈夫であってほしいと願いながら、それだけ言っておいた。
目を近くに転じると、横浜では璃子が中学受験目前である。
あちらもこちらも、勝負の年を迎えている我がファミリーである。