2023
05.29

私と朝日新聞 記者以前の9 出会っちゃったのです

らかす日誌

たまたま今日、岡林信康の「金色のライオン」というアルバムを聴いていたら、「ホビット」という曲が流れ出した。

♪ホビットにいくのは死んでももう嫌だ
ホビットにいくのは死んでももう嫌だ

誰でもいいから会いたくなって ふらりと外へ出た
ゴールデン街に出かけるうようなそんな気分で
うろつき廻っているうちにホビットの前に出た
ドアを開けると様子がおかしいワイワイのガヤガヤ
裸電球がいっぱい灯った店の中
男はみんなゲバ棒手に持ち頭にゃヘルメット
なんでも内ゲバ騒ぎで昨日店がおそわれて
これから金沢大学にしかえっしの殴り込み
ヘルメットに身をかためゲバ棒肩に抱き
可愛い娘ちゃんらの黄色い声に送られて
どんより曇って薄ら寒い風の中を
金沢大学めざしてみんなは消えてった

と始まる曲である。このあと可愛い娘ちゃんに

「岡林さんも行ってくれはるとほんまに嬉しいわあ」

とおだてられた岡橋もその気になってゲバ棒をひっさげると金沢大学へ。
恐らく、学生に叩き出されたのだろう、大学からお巡りさんがよろめき出て、岡林に助けを求める。
おいおい、俺を誰だと思ってるんだ? お前はもぐりの警官か?
岡林がゲバ棒を一振りし、相手が倒れたところに脳天唐竹割りをお見舞いすると、お巡りさんはピストルをガバッと抜く。さて、岡林はどうなるか……。

という歌である。

えっ、ほびっとが襲われた? それも内ゲバのあおりで? 俺、そんなこと聞いてないぞ!
そもそも、「ほびっと」はひらがなであり、カタカナではないんだけどなあ。それに、岩国からどうして金沢大学までゲバ棒を持って行かなきゃいかん? そもそも、金沢大学の奴らがわざわざ岩国まで来て「ほびっと」に殴り込むか?!

一種のギャグソングである。岡林信康も「ほびっと」の開店には一口噛んだと聞いているが、なんでこんな歌を作ったのかねえ……。

さて、その「ほびっと」である。

大部屋で雑魚寝をして、誰かが作ってくれた朝飯を食べ、私は2階に昇る。大工仕事の始まりである。大きな部屋を壁で区切ってアメリカからやって来る2人の寝室を作る。桟を組み、両面にベニヤ板を貼り、間に吸音材を入れる。あの音が外に漏れるのはやっぱりまずかろう。

あれ、この壁、何だか変だぞ?

「この壁さあ、何だか曲がってない? 湾曲してるような……」

「いいんだよ。とにかく仕切りさえできれば役に立つんだから」

まあ、いわれてみればその通りだが……。でも、壁が湾曲している部屋でアレをやったら、何だか目まいがしないか? そうか、あっちに熱中しているからそんなことは気にならないか。そもそも、相手を見て目まいがするからアレをやっちゃうんだもんな……。

疲れると1階に降りる。そこは喫茶店である。

「あ、お疲れさん」

とマスターが私に声をかけ、コーヒーを淹れてくれる
客も来る。どういうわけか、若い女の子が多い。

「君、やっぱり岩国の人?」

何となく、女性に声をかけやすい店である。順平、真智子さん……、知り合いが毎日増えた。住み心地はなかなかいい。

ベトナム戦争に抵抗しようという反戦喫茶である。夜になると米兵も来る。
中でも黒人は格好良かった。店に入ると誰彼かまわずエールを交換する。彼らのエールは拳を作った右手を真っ直ぐ差し出すことから始まる。差し出された私も同じように拳つき右手を差し出す。すると拳同士を軽く打ち合わせ、お互いが拳同士をくっつけたまま回転させて最後は握手に持ち込むのである。

あ、何だか、俺も反戦米兵の同士になれたんじゃない?
そんな風にも思ってしまいそうな格好いい挨拶なのである。

夜、客がいなくなった11時頃からミーティングが始まる。脱走したいという米兵がいる。どこで受け入れてどうやって逃がすか。毎日ではないが、そんな話も出たような記憶がある。もっとも、大工としてやって来た私は、ただ聞いているだけだったが。

何日目の夜だったか記憶は定かでない。すでにミーティング時間に入った「ほびっと」のドアを叩く音があった。誰かが開けに行った。入ってきたのは若い女性2人である。なんでもただいま旅行中で、これから萩に行く。萩行きの汽車が出る時間まで置いてもらえないだろうか。
それに、東京を発つ時に、友人に

「岩国を通るのなら、『ほびっと』に寄ってきなよ」

とも言われたらしい。

このような不意の客をすげなく追い出すような喫茶店では、「ほびっと」はなかった。

「ああ、いいよ。ゆっくり休んでいって」

2人はすでに始まっていたミーティングの席に連なった。たまたま私の隣に座った女性との会話が始まった。BGMにJohn Lennonが流れていた。

「あのさ、俺、John Lennonが大好きなんだけど、あなたは?」

「好きです」

「えっ、そうなの。そしたら、一番好きな曲は何?」

「やっぱり、Loveですね」

「えーっ、俺も! 気が合うね」

まだこの時、私は彼女の名前も知らない。

ミーティングが終わり、今度は私は2人を雑魚寝の部屋に案内した。

「ここでしばらく寝てればいいや。汽車のシートじゃ寝にくいだろうからね。俺たちは遅くまで起きてるから、汽車の時間が来たら起こしてあげるから、大丈夫だよ」

その時間になり、私は2人を起こし、玄関ドアまで送った。歩きながら、1人の女性がいった。

「あのう、住所とお名前を教えてくれませんか? お手紙を出したいので」

John Lennonで意見が一致した女性である。私は気軽に

「ああ、いいよ」

と手近にあった紙に、住所氏名を書いて彼女に渡した。2人は

「ありがとうございました」

といいながら「ほびっと」を出ていった。

それっきりで済むはずだった。たまたま2時間ほど一緒にいて、少しばかり話をし、John Lennonで好みが一致した。それだけのことである。もう2度と会うこともないだろう。何しろ、彼女は横浜に住んでいると言うし、私は福岡の住人である。会うはずがない。何度か手紙のやりとりはあるかもしれないが、それだけだろう。

そのはずだった。それなのに、この出会いが私を朝日新聞に導いたのである。縁とは、出会いとは不思議なものである。