2023
05.31

私と朝日新聞 記者以前の11 朝日新聞もよかばい!

らかす日誌

「私たちの仲人をしていただけませんか?」

当時、後の妻女殿は卒業を間近に控えた大学4年生、私は大学3年生である(なぜか、年齢は私が1歳上)。そんな2人の依頼を飛永さんはどう受け止められたのだろう。

「ほう、あんたたち、結婚すっとね。ばってん、仲人は俺でよかと? よかなら喜んでやらしてもらうたい」
  (ほう、君たちは結婚するのか。しかし、仲人は私でいいのか? いいのなら喜んでやらせていただくよ)

あっけないほど簡単に引き受けていただいた。当時、上村一夫の漫画、「同棲時代」がちょっとしたブームだった。しかし、学生結婚となるとあまり聞かない。私のまわりには1人もいなかった。それなのに、飛永さんは二つ返事で引き受けてくれたのである。

肩の力が抜けた後は雑談になる。

「あんた、いつ卒業すっと?」
(君はいつ卒業するのか?)

「はい、あと1年半ぐらいです」

「そん間、どげんして暮らすとね?」
(その間、どうやって暮らしを立てるのか?)

「私がアルバイトをして、彼女もどこかで仕事を見つけます」

「卒業したら、なんばすっと?」
(卒業したら何をするのか?)

「弁護士になろうと思っていましたが、結婚するとなると、現役で司法試験に通るというわけにも行かないだろうと思います。それで、とりあえずは県庁にでも入って、30蔵までに司法試験に通ればいいかと思っています」

ここまでは、会話はスムーズに進んだ。だが飛永さんはこの後、私の人生行路を一変させることをいった。

「ふーん、そうね。ばってん、朝日新聞もよかばい。あんた、朝日の記者にならんかね。あんたにその気のあっとなら、俺が朝日新聞の偉いさんば紹介してやるけん」
(ふーん、そうか。でも朝日新聞もいいぞ。君、朝日の記者にならないか。君のその気があるのなら、俺が朝日新聞の幹部を紹介する)

ん? 朝日の記者? 小指の先ほども考えたことはないぞ。俺が新聞記者? それはないでしょう。

「いや、俺が紹介して朝日に入ったヤツが、ある日会社に行ったら、机の上に立って赤機ば振り回しよっとやもん。こら、お前、なんばしよっとか、ちゅうたら、『あ、飛永さん、いま会社と戦いよっとですよ』ちゅうとたい。あげんかヤツばっかしじゃ朝日新聞も心配やもんね」
(いや、私が紹介して朝日新聞に入ったヤツが、ある日会社に行ったら、机の上に立って赤旗を振り回していた。こら、君は何をしてるんだ、といったところ、「あ、飛永さん、いま会社と闘っているんですよ」というんだ。あんなヤツばかりでは朝日新聞が心配だ)

ふむ、私に朝日新聞に入って安定勢力になれってか。私も過激派ではないものの、とりあえず新左翼と呼ばれる学生運動の端っこでチョロチョロしているんですけどねえ……。
そもそも、朝日新聞はブル新じゃあないですか。私は労働者大衆と供にいたい。そんな私がブル新に入る。ありえないって!
それに、ですよ。朝日新聞は極めて入りにくい会社だと聞いている。朝日の入社試験に落ちて大学を卒業するのを辞め、「朝日浪人」をするヤツまでいるそうではないですか。そんな難関を私が乗り越える? 無理、無理、ありえないって!

そんな言葉が脳内を駆け巡った。
が、相手は急なお願いにもかかわらず仲人を引き受けて下さった飛永さんである。脳内で発生している言葉をここで口にするわけにはいかない。

「はあ、そうですが。これまで考えたこともない仕事ですが、少し考えてみます」

と答えざるを得ないではないか。
私が動揺を見せると、飛永さんは次の屋を放ってきた。

「そうね、そんなら小倉(現北九州市小倉区)の朝日新聞西部本社の社会部長に話しとくけん、来週ぐらいにあんたから電話をして会いに行ったらよかたい。親切な男やけん、いろいろ聞いてみたらよか」
 (そうか。それなら小倉にある朝日新聞西部本社に社会部長に話しておくから、来週ぐらいに君から電話を入れて会いに行ったらいい。親切な男だから、いろいろ聞いてみたらいいだろう)

※朝日新聞では、輪転機があるところを「本社」といいます。東京、名古屋、大阪、西部の4本社制です。各本社は一定の編集権を持ちます。そのため、4本社で発行する新聞はそれぞれに違っています。
定款上の本社は大阪、実質用の本社は東京です。

おいおい、話はそんなに急に進むのかよ。それに、一販売店主が社会部長に頼み事ができるほど昵懇? 飛永さんって何者なんだ?

相撲に例えれば、私は立ち会いの瞬間に仕切り線からずいぶん押し込まれてしまった。土俵際まではまだあるとしても、当たった瞬間に受けた圧力からして、このままでは押し切られかねない。何とかしなければ。

飛永さん宅を辞して帰路についた私は考え込んでしまった。