06.01
私と朝日新聞 記者以前の12 不合格志願
困り果てた。
私は朝日新聞の記者などになる気は全くない。しかし、私を朝日派米少年に押し込んでくれたことを始め、飛永さんには大恩がある。その飛永さんを裏切るわけには行かない。
二律背反。 どこかに逃げ道はないか……。
とりあえず、朝日新聞西部本社の社会部長さんに会いに行った。余程飛永さんとの関係が深いのだろう。部長さんは私を夕食に誘い、酒まで飲ませて歓待していくれた。
「いや、その、私は記者などになる気はないので、そこまでしていただかなくても……」
とはとても口に出せない雰囲気である。明日になれば、この部長さんから飛永さんに
「大道君が来ましたよ」
という報告が入るに違いないのである。それなりに振る舞わねばならない。
そんな落ち着かない気持ちで酒まで飲んだから、その日どんな話を伺ったのが、ほとんど記憶がない。
ただ、一つだけくっきりと覚えていることがある。
「朝日新聞の入社試験は、一次が一般常識と外国語、それに作文です。この試験に通らないと、面接に進めない。だから、何とかしてペーパーテストをクリアしなければ話は始まらない。中でも重視されるのが作文であるのは、まあ新聞社だから当たり前だがね」
はあ、そういうものですか。
「だから、私が入社試験を受けた時は、作文に一番力を入れたんです」
なるほど。
「作文ってね、どんなに上手く書いても読んでもらえなければ何にもならない。だから、私は採点官が絶対に先を読みたくなる文章をお書こうと思った」
ほう、そんな凄いテクニックがありますか?
「いいかい、どんな文章でも、書き出しがつまらなければ先を読もうという気が失せるものだ。だから書き出しの文章は極めて大事で、文章を書く人は、書き出しに全力を注ぐんだ」
なるほど。
「私はそれをさらに進めて、書き出しの文章の中でも最初の文字で採点官を惹きつけようと思った。どんなテーマが与えられても『血』という文字で始めようと決めたんだ。『血』って字が目に入ると、人間、ギョッとするだろ。ギョッとすれば次に何が書いてあるか知りたくなる。私はそれで朝日に通ったんじゃないかと思ってるんだ」
なるほどねえ。知恵って、絞れば出るものなんだ。採点官に自分の文章を読ませるために「血」で始める、ねえ。
という話を聞きながら、でも私は朝日新聞の記者になる気はないのである。何となく不思議な会合ではないか。
社会部長さんにはお目にかかったが、私の根本的な問題はまだ解決されていない。飛永さんのメンツをつぶさずに、いかにして朝日新聞から逃げるか?
1973年3月、私は結婚した。飛永さんの媒酌で、大牟田で式を挙げた。新婚旅行に行く金なんてない。式が終われば日常が戻ってくるだけである。
そして、結婚しても根本問題は残った。どうする?
これだ!
という解答にたどり着いたのはいつだったか、記憶にはない。しかし私は、根本的な問題の根本的な解決法を思いついたのだ。
入社試験を受けて落ちればいい。
飛永さんには
「申しわけありません。私の力不足でご期待に添えませんでした」
と挨拶する。それで総て解決するではないか!
そもそも、である。朝日新聞の入社試験は天下の難関で知られていた。前にも書いたが、「朝日浪人」が出るほどなのである、浪人したって次の年に合格するかどうかは不確かなのである。
そんな試験に、私が通るはずがないではないか!
英語? 高校まではなんとか勉強していたが、大学になってからは放りっぱなしである。錆びついている。
一般常識? 確かに本は沢山読んだ。しかし、一般常識を養わなければなどというけちくさい思惑を持った読書ではない。第3者が見れば偏向が過ぎているといわれかねない読書である。一般常識に助けになるはずがない。
それに、だ。大学に入って以来、新聞なんて読んでない。テレビなんて下宿に備える金はないので見ていない。私はいま世界で何が起きているかなんて知らない。一般常識なんて、私にあるはずがない。
作文? 褒められたのは小学校6年まで。中学生になると、作文コンクールでも、読書感想文でも、賞には無縁な日々が続いた。私の作文力なんてその程度である。
こう見てくると、朝日新聞の入社試験に通る可能性はゼロである。朝日新聞に入りたいという連中は雲霞のごとくおり、入社試験に焦点を合わせて勉強を重ねているはずなのだ。まったくなんの準備もしてない私が、そんな奴らと張り合って入社試験に合格するはずがないではないか? それが一般常識ではないか?
安心した。よし、私は朝日新聞の入社試験を受ける。そしてみごとに落ちてみせる。
これから受けようという試験に
「落ちてみせる!」
などという輩が私の前にいたのかどうか、不明である。
だが、私の心に、やっと平安が戻ったのは事実だった。