2023
06.03

私と朝日新聞 入社試験の2 40数日の戦い

らかす日誌

昨日までは落ちることしか考えていなかった入社試験を、今日からは乗り越えるべき目標にする。ゼロからの出発とはこんなことをいうのだろう。

入社試験の1次は一般常識と英語、それに作文だという。
では新聞社が求める一般常識とはどのようなものか? 考えても見当がつかない。だからといって立ち止まっているわけには行かない。
新聞社が求める一般常識なら、まず世の中の出来事だろう。そこまで思い至って唖然とした。何しろ、新聞なんて全く読んでいないのだ。
書店に出かけた。人づてに、毎月の主なニュースをまとめた雑誌があると聞いたからである。「新聞ダイジェスト」。月刊で、1ヶ月のニュースがまとめてある。バックナンバーまで含めて1年分を手元に置いた。12冊。だけど、試験日までに全部読み通せるか? 読み通せたとして、記憶できるか?

朝日新聞の入社試験に出た過去の問題を集めた本があったのかどうか、記憶にない。念の為にAmazonで検索したが、「マスコミ入社試験問題集」というのはあったが、朝日新聞の問題に限った本は引っかからなかった。考えてみれば、そんな問題集を必要とするのは毎年5、6000人である。そんな本を出版してもたいして利益にはならないから、恐らくなかったのだろう。
であれば、便りは「新聞ダイジェスト」しかない。しかし、朝日新聞って、どんな問題を出すんだ?」

大学入学以来、英語なんてまともにやった記憶がない。テストは高校までの蓄積で何とかこなせたが、あるものを使うばかりでは進歩がない。だけでなく、単語なんてどんどん忘れているのである。この錆びついている英語から錆を落とす道具は、確か対訳付き天声人語を買い求めたと思う。左のページに英訳された天声人語があり、右のページにもとの天声人語がある。これを闇雲に読む。

。妻女殿と手紙をやりとりしていたぐらいだから、手紙はそこそこ書いていた。しかし、作文なんていつ以来だ? 前にも書いたが、褒められたのは小学校6年生が最後。高校では書いた記憶はないし……。
勝手にテーマを設定し、原稿用紙3、4枚にまとめた文章を持って、小倉の朝日新聞社会部長さんをお訪ねしたような記憶がある。

「書いてみました。読んで批評して下さい」

どんな作文を書いたのか、全く記憶にない。だから、どんな評価を頂いたかも闇の中である。しかも、時間はわずか40日ほどしかないわけだから、作文を見ていただいたのも多分1回限りである。

時間のある限り、以上3点に集中した。なんとしても朝日の記者になる。加えて、すでに私は妻帯者である。だとすれば、私が仕事を持たねば家庭が成立しない。生涯を貫く仕事を手に入れることと、家庭の生活基盤を構築することは、当時の私にとっては同じことだったのだ。

7月1日。入社1次試験は、北九州市小倉区の朝日新聞西部本社が会場だった。同時に、東京、大阪、名古屋の各本社でも行われて、全体の受験者は5、6000人というところか。

定刻に間に合うように会場に到着した。いる、いる、受験生が。ざっと見回しただけで数百人に上るだろうか。試験要項によると、採用人数は「若干名」とあったらか、ここにいるほとんどが討ち死にするわけだ。私も討ち死に組? それは御免被る。
しかし、あんなにポーッとしたヤツや、キャピキャピした女の子の集団も受けるのか? そういえば、「記念受験」という言葉があったな。連中はその組だろう。不合格になることしか考えなかった1ヶ月少々前の私も、そのままだったら「記念受験組」だったか。しかし。いまは真剣勝負である。

実はここから先は記憶がない。覚えているのは、一般教養試験の奇天烈さだけである。おいおい、そんなことまで知っていないと新聞記者にはなれないってか?

先ほど、過去問の本がないかと探していたら、「50年前の朝日新聞入社試験問題」というのが見付かった。この記事がいつアップされたのか分からないので、いつの入社試験問題かは不明だが、参考に書き写してみよう。

(A)つぎの問いに答えてください。

  ① 民主主義と民本主義・その意味のちがい?
  ② 「田中メモランダム」は偽書だというが、その田中とは誰か?
  ③ Asia is One・誰の言葉として著名か
  ④ 寒山拾得・一体、なに?
  ⑤ 則天去私・誰の信条か
  ⑥ 条例・とはなにか
  ⑦ 公共企業体・いかなる企業体か
  ⑧ 六対七・いまの国際関係にあらわれたこの対立は?
  ⑨ エリート・どんな意味に用いるか
  ⑩ サンチョ・パンサ?

(E)つぎの書物の著者を答えてください。(外国の著者名は片カナでよろしい)

  ① On Liberty 1859
  ② The General Theory of Employment, Interest and Money 1936
  ③ Imperialism, A Study 1902
  ④ The Wealth of Nations 1776
  ⑤ An Essay on The Principle of Population 1798
  ⑥ Du Contract Social 1762
  ⑦ Reden an die Deutsche Nation 1807
  ⑧ 学問のすゝめ(一八七二年)
  ⑨ 善の研究(一九一一年)
  ⑩ 一年有半(一九〇一年)

これぐらいでよかろう。いかがだろう? こんなことまで頭に仕舞い込んでおかないと務まらないのが新聞記者という仕事なのか?

ちなみに、後に聞いたところでは、一般常識問題は25点満点で、足切りは13点。12点以下だと英語の答案も作文も目を通してもらえない。
この話を聞いた年、東京本社の編集局長室(編集部門のトップと、準トップが巣くう部屋)で

「おい、最近の入社試験はどの程度のレベル問題を出してるんだ?」

と話題になり、その場にいた5、6人でその年の試験問題を解いてみたのだそうだ。
結果は、13点が1人。残りは12点に届かなかった。前に書いたように、編集局長室とは、記者の集まりである編集局で、功成り名を遂げた偉いさんが集まる場所である。いってみれば、記者間の競争を勝ち抜いていまのポジションを手にしたエリート中のエリートの集団なのだ。
それが、足切り基準の13点をやっと取れたのが1人だけ。あとは雁首を並べて討ち死にである。

彼らが青くなったかどうかは聞き忘れた。恥じ入って職を退いたという話は聞かない。翌日からも彼らは編集局長であり、編集局次長だった。ヒラ記者である私の頭上に君臨を続けたのである。
その年。もちろん新入社員は入社してきた。彼らは一般教養で軽々と13点以上をとり、英語、作文でも高い点数を得たのである。だとすれば、朝日新聞記者は入社時が最も実力が高く、年をふるに従って阿呆になる組織だということになりはしないか?

ここまで書いてきたら、もうお察しだろうと思う。一般教養の難問・奇問に目を白黒させた私が、英語の解答や作文を読んでもらえたかどうかは分からないまま福岡に戻ったのである。そして我が家に合格通知が来ることはなかった。

「あれまあ、落ちちゃったか。確かに40日ぐらいの勉強で間に合うのなら、難関とは言えないもんな。だったら、もう1年大学に残って来年再受験するか」

噂に聞いていた「朝日浪人」の覚悟を固めつつあった頃である。

できちゃったらしいの」

ある夕、妻女殿がそうおっしゃったのだ。できちゃった。もちろん、おできではない。健康な男と女が夫婦として健全な暮らしをしていれば、多くの場合できるものができちゃったのである。
長男は1974年8月の生まれだから、告げられたのは19736年の9月か10月だったはずだ。

できちゃった。おいおい、俺がパパになる? であれば私は、もう1年大学生を続けるなんてできないよな……。

それまで、あちこちに頭をぶつけながらではあったが、それなにり順調だった私の人生に、暗雲がたちこめた。