06.05
私と朝日新聞 入社試験の4 fake information
私は単に頭がいいのか、狡猾と評した方が適切なのか、あるいは一言の元に狡い、陰険と切って捨てた方がいいのか。
大卒者の採用を決めるペーパーテストを作成せよ、ととんでもない課題を与えられた私は一計を案じた。とてもじゃないが、私1人でできるかどうか分からない大変な仕事である。であれば、いや、だからこそこの機会を活用することはできないか?
朝日新聞再受験に向けて私は勉強を続けていた。しかし、人間の頭とは誠に不便なもので、何度やっても覚えられない漢字がある。漢字の読みがある。時事用語がある。ほんと、何回、何十回と繰り返して覚えようとしても、なかなか頭に入ってくれないものがある。
「であれば、それを採用試験問題に出したらどうだ?」
テスト用紙を回収すれば、私が採点することになる。同じ漢字を、同じ読みを、同じ時事用語を何百回と読んで〇✖️をつける作業を続ければ、いくら覚えの悪い私の頭とはいえ、なんとか染み込んでくれるのではないか?
こうして私は試験問題を作成し、採点し、60人の採用者を1人で決めてしまった。大丈夫か、西鉄?
次は、私の朝日新聞受験である。不合格の憂き目を見た日から1年。できるだけのことをやってきた。作文の最初の1文字で採点官を惹きつけるような技は思いつかなかったが、作文もそれなりに書き散らしてきた。英語は、大学を受験した時の8割程度にまでは戻すことができたろうか? どうしても記憶できない漢字、読み、時事用語はとんでもない裏技で頭に染みつかせた。
驚くべきことに、なんと2回目の挑戦で朝日新聞の一次試験に通ってしまったのである。これを現代の奇跡と呼ばずに何を奇跡と呼ぼうか。
作文のテーマなどは忘れてしまったが、一般教養の試験で頭にこびり付いている1題がある。
音符を書き込んだ五線譜が、並べてあった。下に曲名が同じ数並んでおり、この2つを結びつけよ、というのである。
「俺、音楽大学を受けてるんじゃないんだけどな」
とぼやきながら書き込んだ解答はきっと間違っていたに違いない。それでも通ってしまったのだから、不思議なものである。私は一般教養の足切りラインを越えられなかった東京編集局長室の面々よりも成績がよかったわけだ。それなのに、朝日の社員として、私は編集局長室に机を持たせてもらうことはなかった。世の中とは何だか変なものである。
小倉で受けた1次試験をクリアすると、東京での2次試験である。これで合否が決まる。
喜びにワクワクしながら、私はとんでもないことに気が付いた。2次試験の日取りが平日なのだ。私は福岡の西鉄本社に勤めるサラリーマンである。である以上、平日は会社に出勤しなければならない。いまなら、そんな受験生を想定した日程の決め方もあるだろうが、当時は一顧だにされなかった。受験生は皆学生、あるいは無職、と決めつけた日程である、配慮を欠いた措置、といっていい。
だが、私はこの2次試験に出なければ朝日の門はくぐれない。おいおい、どうする? 会社をずる休みするか? しかし、最終試験で朝日に落ちれば、私は西鉄で働き続けなければならない。ずる休みがばれたらとんでもないことになるだろう。では、どうすれば?
悪知恵が働くのはこのような時である。
1974年7月、出産を目前に控えた妻女殿は横浜の実家にお帰りであった。
「これを使うしかない!」
使い方はこうである。
臨月で実家に戻っている妻女殿が、不注意で階段を滑り落ちた。本人はたいしたことはないというが、なにせ初産である。母親が心配して私に来てくれないかと電話をしてきた。
「課長、お話しがあるのですが」
と課長席に近づいた私は、淡々とこのfake informationを語った。さて、課長がどう出るか。ダメなら他の手を考えるしかないが……。
「えっ、大道君、それは大変じゃないか。奥さんも口では強気でも、きっと心配を募らせているはずだ。すぐに横浜に行きたまえ!」
課長の日頃の言動から、恐らくそう反応してくれると思っていた私の狙いがズバリと当たった。実にいい人である。まさに嘘も方便である。
その頃、福岡の板付空港と羽田空港を結ぶ「ムーンライト」とい深夜割引便があった。飛行機はYS11。私は久々に飛行機に乗って横浜に向かった。
当時、朝日新聞東京本社は有楽町にあった。いまのJR有楽町駅から歩いて数分。現在はマリオンが建っている場所である。
2次試験は面接と集団討論だった。まずは面接である。部屋に入ると、いかめしい顔をしたおじさんがこちらをにらんでいる。負けてなるものか。
※正確なやりとりは記憶が薄れています。記憶の断片から当時を再構成するため、できるだけ正確を期しますが、事実に反することがあるかもしれません。あらかじめお断りしておきます。
おじさんの1人が口を開いた。
「君は作文で、大阪に行った時のことを書いているね」
はい、大学2年の時に知り合いに会いに行きました。
「その中に、早朝の大阪駅のシーンが出てくる。君がホームに向かって歩いていると、電車を降りた人たちが集団になって君の方に押しかけてきた、とある。その勢いに、いまの日本経済のエネルギーを感じたというのはうまい表現だね」
おっ、俺、作文を褒められてるよ。何年ぶりに聞く褒め言葉だろう!
「なんで新聞記者になろうと思ったのかな?」
はい、民主主義の基礎は正確な情報だと思います。正確な情報が国民に生き渡らなければ、国民は正確な判断ができません。正確な情報を的確に読者に届けるのが記者の使命です。民主主義をしっかりと根付かせ、社会をより良く変えていく仕事につきたいと思いました。
「しかし、もし君が朝日新聞に入社しても、最初は地方勤務だ。東京で力を発揮するには時間がかかるけど、それでもいいのかな?」
地方とおっしゃいますが、私も地方で生まれ育ちました。地方にも人は生きています。人が生きて生活している以上、必ずニュースはあるはずです。読者に伝えなければならないことはあるはずです。楽しく仕事ができると思います。
「何だか模範答案を聞かされているような気になってきたな」
と言われましても、私の思いを正直に申し上げているだけなのですが。
そういった瞬間、面接官が全員笑った。私は
「これはなんとなるのかもしれない」
と思った。
面接が終わると集団討論である。10人ほどの受験生が一室に集められ、テーマが出る。それについて議論するのである。私のグループのテーマは
アルバイト
であった。
何者かが、私を朝日新聞に導き入れているような気がした。だって、私は朝日新聞を5年も配達し、朝日派米少年の一員にもなったのである。朝日の入社試験で最大のアピールポイントになるではないか!
それに、大学時代はアルバイトに明け暮れたと言ってもいい。自分の暮らしを自分で立てるために、せっせとアルバイトに励んだ。自力で大学を出た。これだってアピールできる。
ほくそ笑んだ私が、どんなことをしゃべったかは記憶が飛んでいる。だが、驚いたことがある。
グループに一言も発言しない受験生がいた。採点官が、
「君、間もなくタイムアップだが、君は一言も話していない。何かいうことはないのかね」
水を向けると
「はい、私はアルバイトというものをやったことがありません。だから発言する資格はないと思って黙っておりました。特に発言することはありません」
と答えたのである。
正直、といえば正直な人である。アルバイトをせずにこれまで生きてこられたのなら豊かな家庭で育ったのだろう。羨ましくはある。
しかし、ここは朝日新聞の入社試験会場である。
「俺を選べ!」
と自分をアピールせずしてどうする? やったことがないのならやったことがないという立場でアルバイトを論じたらいいではないか。アルバイトをしていた友人の話でもいいではないか。
欲がないのか、知恵がないのか……。
こうして2次試験を受けた私はその日のムーライトで福岡に戻った。
出産を目前に控えた妻女殿は大きなお腹を抱えて
「通ってればいいね」
といいながら私を送り出した。