06.21
私と朝日新聞 津支局の11 暇ネタの話
署回りとは、事件、事故を追いかけていれば済む仕事ではない。そもそも地方都市の津市、久居市で大きな事件・事故が発生する頻度は低い。
では、暇な時には何をするのか。読書にいそしんでもよい。映画を見るのも教養を深めるには大切なことである。睡眠不足なら昼寝もありだ。「支局生活」で書いたように、麻雀で時間をつぶす方もおいでになった。
どれを取るかは個々人の勝手である。だが、記者を管理する支局長、デスクから見れば、支局の記者が暇を持て余しているのは見るに堪えないことらしい。
ある日、支局長に言われた。
「毎日大中小5本の原稿を書け」
大は60行の原稿で、これを1本、中は40行で2本、小は20行で2本。これだけ書けというのである。これだけの行数を記者全員が書いたら原稿が紙面からあふれ出してしまうのだが、それは気にならないらしい。
それに、やってみれば分かるが、そんなに書けるものではない。ネタさえあれば書ける日もたまにはあるだろうが、日々の変化に乏しい地方都市である。新人記者の目には、そんなにネタが転がってるものではない。私は、実行したことはほぼない。
ただ、警察関係が暇な時にはネタ探しを心がけてはいた。原稿を書きたくて新聞記者になったのだ。事件・事故がなければ違った取材対象を探さねば原稿は書けない。こうして書いた原稿を「暇ネタ」「まちネタ」という。
記者クラブで一緒だった年かさの産経新聞記者が言った。
「ネタがなきゃ作るんだよ」
ネタを見つけるのではなく、作る。それはこういうことである。
「よく使ったのはバナナの皮だな。神社の境内に誰かがバナナの皮を捨てた。その後で参詣に来たばあさんがその皮を踏み、滑って転んで怪我をした。皆さん、バナナの皮を捨ててはいけません、という記事にするんだ。ホントに転けて怪我をしたばあさんがいたかどうかは知らないが、でも、この記事は世の中のためになる」
彼が本当に、そんなでっち上げ記事を書いたかどうかは知らない。しかし、ちょっと採用しがたい手法ではある。
ギャンブルが好きになれない私は臆病者である。臆病者はそんな危険な手は使えない。朝日新聞にもかつて「伊藤律会見記」というでっち上げ記事を掲載した歴史があるが、余程度胸の据わった記者がやらかしたのだろう、と思うばかりである。
それに、でっち上げはやっぱりまずいだろ?
だから、私はネタを探し歩いた。それには人を知らねばならない。ネットワークを構築しなければネタは手に入らない。
朝日新聞の主筆も務めた船橋洋一さんには、初任地の支局に赴任すると街頭に立って名刺をばらまいたという話がある。
「こんど来ました船橋です。何かあったら、是非私に知らせて下さい」
と会う人ごとに名刺を渡したというのだ。ご本人に確かめていないので真実かどうかは不明だ。しかし、私には逆立ちしてもそんなことは出来そうにないが、船橋さんならやりかねないなあ、と思えるエピソードだ。
そんな奇想天外なことを思いつく能力に欠ける私は地道に話を聞いて回るしかなかった。
手元に私が書いた記事のスクラップがないので、どんな「暇ネタ」「まちネタ」を書いていたのかほとんど思い出せない。
津署の交通警察官の子どもさんが障害者であることを知り、励ましたくて記事を書いた記憶がある。さて、どんな励まし方だったか。ただ、そのお巡りさんからはたいそう喜んでいただいたことだけは覚えている。
合成洗剤は自然を汚染する。合成洗剤をやめて石けんを使おうという運動をしているグループと知り合い、運動に密着するようにして記事を書いた時期があった。当時は公害や環境汚染への社会的関心が高かったし、私も学生時代、合成洗剤の危険性に警鐘を鳴らす本を読んでいたこともあって、力を入れて取材した。
そんなある日、
「合成洗剤の危険性を示す新しい実験結果がまとまった」
と三重大学の先生から連絡を受け、取材に赴いた。資料を頂き、説明を聞いているうちに、資料に致命的な欠陥(どんな欠陥だったかの記憶がないのが残念である)を見つけた。
「先生、このデータだと、先生の主張と矛盾しますが」
と聞くと、
「いいのよ。どうせ大企業なんてろくなことはしてないんだから、少しぐらいデータに間違いがあっても合成洗剤は追放すべきなのよ」
それ以降、石けん運動の取材に余り力が入らなくなったのは仕方のないことである。
暇ネタといえば、くっきり覚えていることがある。
当時、津市では子どもたちに絵本の読み聞かせをするグループがあった。若い主婦が中心で、日曜日にあちこちで読み聞かせの会を開いていた。
日曜日も新聞を作らなければならない。平穏な日曜日、城跡公園で春の日差しを浴びながらの絵本の読み聞かせの会は絶好の取材対象である。何故か、私が日曜出番の時によく開かれ、何度も取材するうちにメンバーの皆さんと打ち解けた仲になった。
そのうちの1、2人から、夜遅く支局に電話がかかってくるようになった。
「いま、このお店で飲んでるんですけど、来ない?」
取材で知り合った方々である。仕事に差し障りがなければ、少なくとも2度に1度は
「行きます」
と答えざるを得ない。記者の武器はネットワークである。細い糸でつながった相手とは、折角つながった糸を太くしなくてはならない。
私よりやや年上、30代の女盛りの方々だ。それなりに魅力的である。そんな女性たちに夜10時頃呼び出されて酒場に向かう。心が浮き立たなかったわけではない。
「俺様は女盛りの女性たちに持てるのだ!」
とニンマリしたこともあったと思う。
だが、時を追って頻度が増すと、だんだん違和感を覚え始めた。
そもそも彼女たちは家庭の主婦なのである。家に帰れば旦那がいる。それなのに、こんな遅い時間に男を呼び出して酒を飲むとは、ちょっと不穏なのではないか?
私にしたって新婚ホヤホヤである。帰宅すれば妻がおり、可愛い盛りの長男もいる。こんなことを続けていていいのか?
ある日、思わず口走ってしまった。
「何で私を呼び出して酒を飲むの? ひょっとして、酒の勢いでベッドまでもつれ込みたいと思っているのなら付き合いますよ」
明瞭な返答はなかった。それ以来、夜の呼び出しはなくなった。まあ、それでも、私が津を去るまでは記者と取材先としての付き合いは続いたのだが。
しかし、あの時、
「ええ、ではお願いします」
と言われていたら、私はどうしていただろう?
うん、歴史に if はないという。考えても仕方がないことではあるが。
そうそう、彼女たちのグループと親しくなったのは私だけではなかった。津支局の先輩記者も、彼女たちの1人とたいそう仲良くなった。
「あの2人、何だか怪しくないか?」
と思っていたら、やがて女性は離婚し、この先輩記者とくっついてしまった。私とは違った道を選ぶ人も記者の仲にはいたのである。