2023
07.02

私と朝日新聞 津支局の18 三重県と原爆

らかす日誌

1年間の三重県警担当を離れた私は、市政担当となった。事件・事故の取材も、その背景まで視野を広げれば社会的に意味がある記事にできたのかもしれない。だが、お巡りさんの間を駆け巡って事件・事故を取材することで精一杯で、しかもそんな取材が一面では苦痛でもあった私は、

「これで、ひょっとしたら書きたい記事が書けるのではないか?」

と、ホッとした。

切り抜きをめくると、その連載は1977年8月6日に始まっているから、その端緒を聞き込んだのは6月か7月ではなかったか。

「三重県に被爆者の会ができる」

というのである。

「えっ、三重県にも原爆被爆者がいるの?」

不勉強な私は、原爆被爆者は広島と長崎にいるものとばかり思い込んでいた。考えてみれば、人は移動する。私だって、九州は福岡県大牟田市で生まれ、福岡市で大学に通い、その時は三重県津市で働いている。被爆した方々だけが同じ地にとどまり続ける理由はない。私は愚かな記者だった。

しかも、少し調べてみると、全国で被爆者の会がないのは三重県だけというのではないか。これで最後の空白県が埋まる。これは連載をするに値する、三重県にも原爆の被害者がいることを多くの人に知ってもらいたい、と判断した私は、豊橋支局から転勤してきた朝日新聞同期生を

「一緒にやろうよ」

と誘った。こうしてできたのが

33回目の夏

という3回の連載である。

その記事は、こんな書き出しで始まっている。

 日本が世界で最初の、そして唯一の原爆被爆国になった昭和20年8月から、数えて33回目の夏。いま、「三重県原水爆被害者の会(三友会)」の結成準備が進められている。三重県は、被爆者の会がない全国でただ1つの県である。決して原爆と無縁であったわけではない。が、これまで県下では、被爆者が社会の表面に出ることはほとんどなかった。長すぎた沈黙だったかも知れない。ようやく人間としての権利の叫びを託した1歩が踏み出されようとしている。会規約案はいう。「本会は原水爆被災者が団結し、助け合って、多くの人々の協力のもとに医療・生活・その他の問題を解決し、あわせて原水爆の被害を全国及び全世界に訴えることにより、再びこのような惨事を繰り返させないように努力することを目的とします」。三友会は9月11日、伊勢市の観光文化会館で結成大会を開く予定だ。

第1回は「せん光の中から」。広島で被爆した2人に、被爆時の状況を聞いた。同時に、県内で被爆者手帳を持っている人が642人もいる事実も伝えている。兵隊や徴用で広島、長崎にいいた人、原爆投下後2週間以内に親戚や友人を探しに被爆地に入った人、そして被爆者を看護して被爆した人……。

第2回は「組織化へ」。被爆者への差別が存在する社会で、子どもの結婚や就職に響いては、と原爆手帖の申請をためらう被爆者たち。しかし、全国各地で被爆者が立ち上がり自分たちの権利を主張して活動していることを知って、まず10人ほどが動き始めたこと。

第3回は「まかれた種」である。被爆者たちが沈黙を守っていたため、三重県の被爆者対応は遅れていた。その修正を迫られたが、なかなか進まない実情を書いた。

これだけの大問題で、たった3回だけの連載とは中途半端である、といまは思う。就職差別、結婚差別という現実を切り取る必要もある。差別は全国どこでもあったはずなのに、何故三重県だけ被爆者の会ができなかったのか。三重県に特有の事情があったのかも欠かせないだろう。先進地の被爆者の会の活動状況も知りたいし、それぞれが勝ち取った成果も見てみたい。そして、被爆者への対応を行政に求めるだけでなく、同じ三重県に住む私たちは何をすればいいのかも考えて見たいところである。

若さ=馬鹿さ

がここにも姿を現している。
もっとも、若い記者の視野は狭い。だから、記者として活動した時間が長い支局長、デスクが

「これはどうだ。こんなことも書いた方がいいのではないか」

と助言して中身を厚くするのが新聞社のシステムだと思うのだが、この時の津支局では、そんな動きはなかった。薄っぺらい連載に終わった責任は、私たちライターにだけあったのではない、といまは思う。

9月12日の紙面には、三重県原水爆被害者の会の結成大会が開かれた、との記事が短く掲載されている。が、その後の紙面には、三友会は姿を現さない。
熱しやすく冷めやすいのも新聞記者の習い性かもしれない。

「あ、あれはもう書いたからね。同じことを2度は書けないよ」

とついつい考えてしまう種族なのだ。
1度書いても世の中が変わらなければ、変わるまで書き続けなければならなかったのではないか? 三友会も取材を続けていれば、当時の社会が抱えていた様々な問題を追及することが出来たのではないか?
黄ばんだ切り抜きを見ながら、いろんな思いが湧き出した。

いまごろ反省しても遅いのだが……。