2023
07.04

前立腺がんの近況報告

らかす日誌

今日は群馬大学医学部付属病院の放射線科に初めて行った。ゆえに、私と朝日新聞を中断して近況報告をする。

まず、重粒子線治療の日程が決まった。9月6、7日に準備をする。重粒子線を放射している間(5〜10分、だそうです)体が動かないように、固定具を作る。されに、重粒子線の照射はコンピューターで操作するため、そのデータをとる。CT(コンピューター断層撮影)、MRI(磁気共鳴画像)で前立腺の位置を確認し、そのデータをプログラミングするらしい。前立腺と隣り合っている直腸、膀胱、尿道へのダメージをできるだけ少なくするための作業だと聞いた。

面倒なのは私の準備である。直腸の画像をはっきりさせるために、検査前24時間以内に排便しておかねばならない。便秘で便が出てくれないと、浣腸をして出すそうだ。それは御免被りたいから、その朝は何としてもトイレで気張らねばならぬ。
さらに、看護師さんの指令に従って排尿しなければならない。そのため、この検査の1時間ほど前に300ccの水を飲むように言い渡された。指令された時間に膀胱を完全に空にするためだ。そして、完全に排尿したと思った時の残尿量も測るそうである。

これを終えて、実際に重粒子線の照射を受けるのは9月28日から10月17日までの期間となった。これで前立腺に巣くうがん細胞の絶滅を期す。重粒子線はがん細胞を「焼く」のではなく、DNAを傷つけるのだとは、今日初めて知った。DNAが傷つけば細胞は分裂できず、死滅するしかない。

治療中はかなり暮らしを制約される。

「えっ、ダメなの?」

と思わず口に出したのは禁酒である。治療中と治療終了後2ヶ月は1滴の酒も飲んでは行けないらしい。まあ、健常細胞も重粒子線でやられるところが出て来て、そこが酒で悪化するらしい。
しかし、酒なしの私の暮らしって成りたつか? 考えた末、この間はノンアルコールビールで我慢することにした。

自転車、バイク、馬などに乗ってはいけない。治療中の前立腺を刺激するからである。幸い、いまの私は自転車には乗らない。バイクは持っていない。馬は元々乗れない。
転んではいけない。
便秘になってはいけない。
いけないづくしである。我慢せねばなるまい。

さらに、

「治療中は体重変化を避けてください」

といわれた。体重変化を上下2㎏に抑えよ、と。これは体重が変われば折角作った身体野固定具が役に立たなくなるからである。
これは難しい。体重の変化をコントロールするのは大変、というより、どうしたらいいのか分からないからだ。糖質制限をしながら同じような食事をしているのに、いま私の体重は78㎏〜79㎏を上下している。

「この食事で、何で体重が増えるんだ?」

と思うことも度々である。それに、9月6、7日に向けて

「必ず排便してくること」

を守るため、9月に入ったら糖質制限を緩めようと思っている。米や小麦を食べないと、恐らく「原料」が減るためだろう、便の出が鈍くなる。今朝も7時半に家を出たが、それまでに便意はなく、排便しないまま家を出て、付属病院に着いてからもトイレに行くことがなかった私なのである。ここは「原料」を増やした方がいいのではないか?
そんなことをしながら体重変化を抑える。できるか
あちらを立てればこちらが立たず。闘病とは悩ましい。

もう一つ、検便を命じられた。便に潜血がないかどうかの検査をしろ。
何でも、重粒子線の治療を受けると、それから1年は直腸がんの治療ができなくなるそうである。だから、重粒子線治療に入る前に、直腸がんの疑いがないかどうかを調べるのだそうだ。これは地元でかかっている泌尿器科でやってもらうことにした。

以上が本日のレポートである。

ついでに、最近の私事を書いておこう。
まず、私のPSI値。5月24日に採った血では2.176。完全に正常値の範囲内である。6月28日の採血では、恐らく1.0以下に下がっているのではないか。

「だったら、重粒子線の治療は不要では?」

と私も思ったが、そうはいかないそうだ。ホルモン注射によるPSI値低下は一意的なのものであり、そのうち効かなくなるという。
では、なぜホルモン注射をするのか。前立腺を小さくするためなのだそうだ。前立腺が小さくなれば重粒子線の焦点合わせも楽になる。それが狙いなのだという。

いま、額の左半分に傷がある。6月27日夜についた傷だ。ずいぶん薄くなったが、まだ下弦の月に似た赤みがある。額の中央にある半月の月なら旗本退屈男を気取ることもできそうだが、この傷はそれもできない。

会う人ごとにいわれた。

「どうしたんですか?」

私は素直に答え続けている。

「泥酔して転んじゃってね」

27日、手がけている事業の細部を詰めるための寄り合いがあった。親父の寄り合いには酒がつく。事業を進めるために寄り合うのか、酒を飲みたいが故に事業を進めるのかが不分明になるのが親父の世代である。
その場に、

「これ、越乃寒梅の蔵元が造っている焼酎なんだけど」

と1本ぶら下げてきたヤツがいた。飲んでみると、実に飲みやすい。すっかり気に入って、まるで冷酒を飲むかの勢いで杯を空けた。
あとで聞けば、その焼酎のアルコール濃度は40度。日本酒の3倍以上である。それを冷酒と同じピッチで飲み続けたからたまらない。

額を擦りむく事故の全容はいまだに分からない。私としては希有のことだが、記憶が飛んでいるのである。傷を負っていることに気が付いたのは翌28日朝、目覚めた時であった。何だか額がヒリヒリする。何があったんだ?
幸い、ほとんど出血しなかったらしい。布団にも枕にも血の跡は見えない。

様々な反応があった。

「お父さん、ちょっと年齢を考えなさいよ」

とは、確か次女の口から出た言葉である。考えてはいるんだけどなあ。
桐生で付き合いのある親父どもからは

「あんたもそんな歳になったんだから、気をつけなよ」

何、あなた方にそんなことを言われる覚えはない。あなた方こそお気を付け下さい。

妻女殿はおっしゃった。

「きのうの夜、何だか下であなたがガサガサ音を立てていたから目が醒めた。私は眠りが浅い。その眠りの邪魔をしたのだから謝罪しなさい!」

ふざけるな! 痛い思いをしたのは俺だ!! といい返した私であった。

そうそう、6月30日には、東京・蒲田で、かつでデジキャスで一緒に働いたキヤノンの仲間と酒を酌み交わした。キヤノンのデジキャス出向組は、しばしば酒を酌み交わしているらしい。その場に、キヤノンではない私がお招きに預かったのは我が名誉である。

しかも、

「あんたは高い交通費を払って来たんだから」

と金を払わせてくれなかった。
いい友を持つ。それも人生の醍醐味であると思い知った。