07.23
私と朝日新聞 岐阜支局の17 子ども見つけた、の6 事件
事件
他人の痛み知った
作文や話し合いが効果
この冬のある日、中津川市南小学校5年1部(組)で、算数の授業が始まっていた。「4÷12=」と黒板にある。小木曽正夫先生(48)がいった。「これ、できる人」。さなちゃんが手を上げた。とたん、全員が「まさか」とでもいいたげな顔つきになった。先生の胸中も、それに似ていた。
彼女は、考え考え、答を書いた。合っている。みんなの驚きは二重になった。
▇まるでばい菌扱い
全員に先生が尋ねた。「さなちゃんが手を上げたとき、本当に出来ると思った人」。だれも手を上げない。「出来るわけがないと思った人」。今度は、1人残らず手を上げた。
すべてが先生にはうれしかった。もう本物だ。彼女をまだ特別に見ているなら、わだかまりがあるなら、とても正直に意思表示できなかっただろう。
それまでのさなちゃんは、こんな子だった。勉強がわからない。宿題もできない。授業中、あてられると、首を縦か横に振るだけ。「そばへ行くと、菌がつく」。まるでばい菌扱い。いつも、いじめっ子たちの“えじき”になった。それでも、耐えていた。
彼女にしてみれば、学校は「怖い所」。小木曽先生はみんなに何度もいった。彼女を「守ってあげよう」。が「差別」はなくならない。
▇意地悪に復しゅう
「事件」が起きたのは10月25日だった。その日、先生は出張、2時間目から自習になった。
彼女は課題の本を読んでいた。わからない字が出てきた。聞くと「あの子に……」といって教えてくれない。何人かがたらい回し。あげくに、イスで通せんぼされた。それでも我慢して感想文を書いていたら、今度は筆箱を隠され、鉛筆をとられ……。悪口も聞こえてきた。突然「みんな、きらい」。さなちゃんが叫び、泣き出した。
“復しゅう”が始まる。いじわるをした女の子をたたいた。泣きわめきながら机の上のものを片っ端から落として回った。
先生が戻り、学級会が開かれた。「さなちゃんが勝手に騒いだ」「ボクんた、何もしていない」。みんな、自分だけがいい子になった。
数日後、彼女が先生に申し出た。「あのことをつづり方に書く」。文章は苦手。本格的な長編はまだ1本もない。
2週間後にできた。1行20字、114行。「事件」の発端、経過、心情がつづられていた。「みんなにさべつされてたるかった」
——みんなでわたしをばかにして、たるかった。「みんなにおかえししたろ」とおもった。……わたしのいうこともきいてくれんもんで、いつももんくをいう、かよちゃんのとこへいって、つくえのものをおとした。……すごくたるかった……。
彼女が初めてモノをいった。これが学級通信11月16日号に載った。みんな、彼女の心の痛みにやっと触れた。他の子も競うように「事件」をつづった。
▇説教控え考えさす
ちさとちゃんは書いた。「私たちは、そんなにさなちゃんにきらわれているのか、と思った」「さなちゃんの気持ちが前よりわかったような気がした」
先生はなるべく押しつけや説教を控え、1人ひとりに考えさせた。そのために学級会は計5回開かれた。
「からかうつもりでも、やられた方はひどい痛みになる」「それはやられた者でないと、わからない」「黙って見ているのも、いじめたのたのと同じこと」。つづり方や発言を通して、みんなが「差別」に気づいてゆく。
さなちゃんが、さなちゃんでなくなった。見えなかった白い歯が見える。そして、授業中によく手が上がるようになった。
✖️ ✖️ ✖️
「みんなの気持ちが大事にされていると思うか」。この質問に「大事にされていない」と2割が答え、「わからない」が3割を占めた。理由は、差別がある、気持ちなんかわかってもらえん、考えたこともない、などである。
一方「自分が大事にされていると思うか」には、1割強が「バカにされている」と答えた。のけものにされる、人に無視される、などを理由にあげていた(中津川市の先生たちが実施した生活意識調査。対象・幼稚園、小中学校の1500余人)
受験体制下、学力ばかりが叫ばれる中で育った子どもたち。人の気持ちなどわかるはずがない。
また、他人はどうでもいい、という“木枯し紋次郎型”が増えている。(1979年1月8日)