2023
07.24

私と朝日新聞 岐阜支局の18 子ども見つけた、の7 悲しみの砦

らかす日誌

悲しみの砦
 朝鮮の人を考える
  強制連行の悲劇を劇化

学校へ行くときや学校から帰るとき、いつも朝鮮学校の人を団体で見かける。文化祭前の私なら、怖がって小走りに家に帰っただろう。けど、文化祭後は怖いなんて思ったこともない。彼らは団体で帰る。年の差なんか全く意識しない。大きい子は小さい子のカバンを持ってあげたり、何かわれわれと違うんだな。だから彼らに話しかけてみたいと思った。私は今日、帰る途中にあいさつをした。「さようなら」と……。すると彼らもあいさつをしてくれた。「さようなら」って。さすがにうれしかった!! わかるかな、この気持ち。最高なのだ!!(羽島郡柳津町境川中学校2年7組豊田絵理子さんの生活ノートから)
   ▇旧軍の犠牲の記録
「文化祭では劇をやる」。7組は、9月に入ってすぐ決めた。41人の頭に、1年前の文化祭で3年が演じた劇がこびりついていたからだ。
「消えた国旗」というだしものだった。1936年のベルリンオリンピック・マラソンで、孫基禎選手が優勝した。日本占領下の韓国からの出場だ。胸に日の丸。それを報じる韓国のある新聞で、写真製版工が日の丸を韓国旗にした——
7組はさっそく原作選びだ。7人の実行委員が1ヵ月ほどかかって、2冊の本を選んだ。黒人への偏見、差別を扱った民話と、昭和19年、軍部が朝鮮の人たちを強制連行して松代(長野市)に構築を始めた地下大本営の犠牲の記録「悲しみの砦(とりで)」(和田登著)。10月初め、学級に諮った。
境川中のそばに47年春、朝鮮学校(岐阜朝鮮初中級学校)が出来た。朝と帰り、生徒同士がしょっちゅう出会う。みんなは、自分の学校の生徒が朝鮮学校の子をからかうのを見ていた。それが原因でのけんかも聞いたことがある。そんなこともあってか、みんなは「悲しみの砦:を取った。「訴えるものがある」「問題が身近だ」との意見が出た。「強制連行の事実を初めて知った」という子もいた。反対はなかった。
   ▇激論かわして台本
さっそく実行委員会は台本作り。
第1幕 朝鮮人を強制連行し、地下大本営を築く、と決める参謀本部。
第2幕 夫を日本兵に連れ去られる朝鮮の家庭。
第3幕 強制労働の中で、逃亡を話し合う朝鮮人たち。
教室では戦争の歴史を学んだ。強制連行、南京大虐殺、真珠湾、広島、長崎の原爆……
取り組みは日を追って熱を帯びた。「最後は、朝鮮人の代表が参謀本部に乗り込んでいいたいことをいうんや」「ばかいえ。それじゃぶち壊しだ。逃げ出して1人ずつ死ぬんや。無言の抗議や」。激論を交わし、台本は何度も書き直した。完成したのは11月10日の公演の3日前。
時代考証班は図書館に通いつめた。衣装班は夜明けまでかかって、チョコリを5着縫い上げた。参謀役の直君は公演の前日、夜10時から1人で最後の練習。寝たのは午前3時だった。
   ▇朝鮮学校と交流へ
そして本番——。
11月27日、豊田さんが生活ノートを書いた。それを12月初め、粟野浩二先生(25)が学級通信に載せた。10日ほどして、みんなは「朝鮮学校と交流しよう」といいだした。
柳津町の朝鮮学校で民族教育を受けている子どもたちは約250人。2年7組の思いが実現すれば、ここの朝鮮学校としては初の地域の学校との交流になる。
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県内の在日朝鮮人は約1万1000人。大多数は発電所や地下トンネルの建設、採鉱のために強制連行されてきた人たちやその子息だといわれる。
今、在日朝鮮人の生活はどうか。岐阜市の1人に話を聞いた。
「大学を出ても就職が難しい。で、焼き肉屋なんか、、自営業につく。企業に入れても、今度は帰化の強制でね。『今の国籍では昇進に響く』というわけです。つい先日、県下のある母子家庭で、子どもを朝鮮学校に入れようとしたら、市から『子どもの分の補助は打ち切る』といわれたという話を聞きました」
日本出版労組連合会のレポートなどによると、高校の日本史教科書で、朝鮮人強制連行の記載に対し、文部省は「当時は日本人として扱われたので、国民徴用令の一部として理解した方がいい」と指示した。(1979年1月9日)

いま読み返すと、間違いがある。孫基禎(ソン・ギジョン)選手の下りである。
1936年、朝鮮は日本の単なる占領地ではなく、植民地であった。しかも、当時「韓国」という国はない。大韓民国は朝鮮が南北に分断された後、1948年に誕生した国である。写真製版工が「日の丸」を「韓国旗」にしたはずはない。ウィキペディアによると、
「胸の日の丸が塗りつぶされた表彰式の写真」
とある。恐らく、こちらの方が正しい。
加えて、「チョコリ」は「チョゴリ」の間違いである。

何故こんな初歩的なミスをしたのか? 取材先の話を、何の裏付けも取らずに書いてしまったのか? それにしても知識が浅いといわねばならない。
今さら遅いかもしれないが、頭を深々と下げて謝罪しておく。

スクラップブックを繰っていたら、「朝鮮学校と交流実現へ」という記事が出て来た。2月15日の紙面である。そして2月17日、初の交流会が開かれている。仲良くフォークダンスを楽しんでいる写真が添えられているから、私が取材に行ったらしい。
そうか、境川中学2年7組、がんばったんだな、とちょっとうれしくなった。