2023
07.25

私と朝日新聞 岐阜支局の19 子ども見つけた、の8 スイカ

らかす日誌

スイカ
 つくれたぞ! 70個
  畝から自分たちで世話

この秋、羽島市小熊小学校の尾内弘美先生(44)は体をこわし、ずっと自宅療養を続けていた。学校に行けばいやでも目に飛び込んでくるヤンチャ坊主やおしゃまな子がいないのは、何となく寂しいものだ
   ▇思い出話に花咲く
「早く学校に出なくっちゃ」。そんなことを考えていた11月初め、尾内先生は思わぬ見舞客を迎えた。春に送り出したばかりの卒業生5人。詰め襟の制服を着た男の子ばかりで、先生には成長ぶりがまぶしかった。「そうそう、いいものがあるよ。お見舞いにもらったスイカだけど食べない」。子どもたちは喜んで食べ始めた。ところが、「うまないなあ」「去年ぼくんたがつくったスイカの方がうまかったわ」「あんときはえらきあったなあ」。それからしばらく、6年生の時にみんなで取り組んだスイカづくりの思い出話に花が咲いた。
「スイカがええよ、スイカ」。6年になったばかりのころだ。尾内先生が「何かつくろうか」と呼びかけたら、一斉に声が返って来た。「店で売っとるやつよりうまいのを、腹いっぱい食えるやないか」「ほんで、スカイ割り大会だってやれるで」。立ち上がって、棒をふりおろすマネをする子もいた。
   ▇親から知識得て
前日の大雨がうそのような五月晴れの5月6日、スイカづくりが始まった。学校のすぐそばに借りた休耕地だ。オオバコやカヤツリグサが一面に茂っている。子どもたちは手に手にクワを持って雑草を掘り起こし、土を細かく砕き、小さな畝をいくつもつくっていったスイカ苗の植え付けまですんだのは、翌日の夕方だった。
スイカづくりは、ダイコンやトマト、キュウリなどより数段むずかしい。農家でつくっても時々実がつかない。それを子どもたちの力でつくるのだという。尾内先生だってズブの素人だ。
「先生、こんな畝でスイカができるもんか」。植え付けが終わった翌日、近くの農協職員から声をかけられた。「畝は畑の真ん中に1つだけつくって、ツルの伸びるのに合わせて大きくするんや」。失敗第1号。「これは大変」と、尾内先生は夜、近くの農家のおじいさんを訪ねてスイカづくりのイロハを教わった。子どもたちも、お父さんやおじいちゃんから仕入れた情報をクラスに持ち込んできた。
「ツルは3本にして、あとで出たのは切り取る」「ツルや実は湿り気をきらうので、土につかないようにカヤを敷く」……。こんな知識を得て、みんな懸命に世話をした。草とり、畝づく、受粉、カヤ敷き。ひと雨ごとにツルはグングン伸びた。肥料を持ち込んでくれるお父さん、日曜日に畑の手入れをする親子連れも現れた。70個ほどのスイカが順調に育った。
   ▇スイカ割りも中止
お盆が過ぎて1泊2日の構内合宿の日、子どもたちは初めて畑からスイカを8個とってプールに放り込んだ。ひと泳ぎしたあと、プールサイドでかじりつく。「うめー」「おいしいわ」。あちこちで声があがる。三日月形に切ったスイカは、たちまちのうちに皮だけになった。皮に赤い部分を残している子なんていない。
みんなが食べ終わるのを待って、尾内先生は声をかけた。「さあ、スイカ割りをしようか」。「やろ」。声が1つだけ返って来た。「いやや」「割りたくないもー」。沢山の声だ。「スイカ割りをしたかったんでしょう」と聞いてみた。「自分でつくったんやもん。もったいなくて割れるかよー」もう、スイカ割りをしよう、という声は出なかった。
✖️     ✖️     ✖️
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(教育基本法第1条)

子どもが暴力不感症に陥っている。核家族やアパート住まいで、人や動物の死と接することが少ないし、テレビ、漫画には、死や殺人がいっぱいだ。取っ組み合い、殴り合いのけんかをほとんどしなくなった子どもたちは、人の痛さを自覚する機会がないのでは、との指摘もある。こうした中で、滋賀県で昨年2月に起きた中学生の友人殺しは、大きな衝撃を与えた。

「戦争はいつでも、白い手を持ち、清潔なカラーをつけた連中によって密かに計画される」(H・リード「平和のための教育」)

「生産労働する者は破壊を否定する思想を創造する」(鈴木頼恭小熊小校長)
(1979年1月10日)

いけません。これにも間違いがあります。冒頭、「この秋」とありますが、紙面に掲載されたのは1月10日。であれば「昨秋」とするか、 「3、4ヵ月前」とするか、でなければなりません。
これも謝罪ものです。