2023
08.10

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の7 さて、私が経済記者ねえ……

らかす日誌

松本経済部長は時折、記者クラブに私を訪ねてくれた。あれほど経済部を嫌っていた男のその後が気になっていたのだろう。
すぐ近くの喫茶店で話をした。

「どうかね、仕事は」

といった当たり障りのない話しから始まるのが常だった。
だが、私には問いただしたいことがいくつかあった。何度目に2.人でお茶を飲んだ時だったか、それがつい口に出た。

ネクタイって、どうしてもしなくてはいけませんか?」

岐阜県知事と1対1で会う時も、セーター、サファリジャケットを着用した私である。スーツにネクタイという、いまの体制の象徴のような服装には抵抗感を持ち続けた。体制に組み込まれてなるものか、という青臭さが何時までも残っていたのだろう。

「ネクタイがそんなにいやかね」

「ええ、そもそも首を締め付けて息苦しいじゃありませんか。それに、人は外見ではない。中身がしっかりしていれば、何を着ていてもいいのではないですか?」

「うん、それはそうだ。しかし、どうだろう、ネクタイもおしゃれの1つとして楽しんだらどうかな」

「私、おしゃれには全く関心がないんですよ」

「まあ、経済部員として取材をする相手はみんなネクタイをしているからな。こちらがノーネクタイでは失礼にもなる」

「そうでしょうか……」

その程度の、他愛もないといえば他愛もない話である。しかし、部長さんが一介の平部員と議論をする。なかなかいい職場ではないか。

それで図に乗ったわけでもないが、しばらくしてこんな議論をふっかけてみた。

「朝日新聞は、原子力発電に関してはイエス、バット、ですよね。原発は認める。しかし、原発を稼働させるには厳しいルールがなくてはならない、という姿勢です」

「うん、そうだな」

朝日が新本大震災、富木島原発事故の後、朝日新聞は原発への姿勢を「ノー」に切り換えた。しかし、当時はまだ、「イエス、バット」であった。

「でも、事故というのは必ず起きます。事故が起きる確率は絶対にゼロにはなりません。いくら注意しても起きるのが事故です。原発が1度事故を起こせば、被害は惨憺たるものになります。どうして、原発はノーだと言えないのですか?」

「大道君、いま日本の電力のうち、原発が占める比率は知っているかね。いま原発を止めれば、暮らしが一変する。エアコンも冷蔵庫も使えなくなるかも知れない。いや、火力で賄う手もあるが、電気料金が跳ね上がる。各家庭も困るが、日本の製造業はコストが急上昇して競争力を失う。そりゃあ、原発は怖いだろう。だが、原発なしには現代社会は維持できない。だから、イエス、バットなんだよ」

「九州に、松下竜一さんという作家がいて、『暗闇の思想』を唱えています。無尽蔵にエネルギーを使う社会から抜け出そう、と本も書いています。電力に頼り切った社会は、自然を破壊する社会でもある。日本の夜はもっと暗くなってもいいではないか、というのです。

「それも1つの考え方だろう。みんなが我慢をして安全な世の中にする。しかしね、世の中とはそうは動かない。いま以上の便利さを求め続ける。いまより生活水準を落とすなんてまっぴら御免、というのが世の中だ。どう考えても原発は止められない」

「しかし」

「いいかな。そんな世の中で、みんなが『原発はなくした方がいい』という理論を君が見つけたら、原稿にしなさい。朝日新聞に掲載しなさい」

「社論と違う原稿を、朝日は載せますか?」

説得力がある原稿なら載せるよ。そんな新聞だ」

これは1980年前後の会話である。残念なことにその後、日本の原発は事故を起こした。いまだにその処理すらできていない。そして私はいま、原発やむなし派になった。当時の松本部長と考えを同じにした。世の中、先のことは誰にも分からない。

そんな開放的な職場は心地よかった。仕事を終えた夜、先輩たちと飲む酒も美味かった。

「おい、ちょっと囲もうよ」

としばしば誘う先輩たちと麻雀に興じたのも楽しかった(結構負けたが)。
それなのに、私の気持ちが晴れなかった。

「俺、やっぱり間違った部に来ちゃったのかな」

経済の取材が、何とも肌に合わないのである。俺は、こんなことをするために新聞記者になったのか? という思いが抜けなかったのだ。何を書いても、結局、企業のお先棒担ぎではないか?
加えて、取材先が高齢者ばかりであったのもストレスだった。当時の私は30歳前後。取材である人達はほとんどが60歳以上で、50代の取材先は「若手」といってよかった。
私が古い人間だからかも知れない。倍も年の違う相手の前に出ると、何となく威圧されてしまうのだ。3尺下って影を踏まないことはなくても、萎縮してしまう。この高齢者たちは、私より遙かに社会経験を積み、知識も豊富である。それを知ってますます縮こまってしまう。

「松本部長に、『申しわけありませんが、社会部に異動させていただけませんか』と頼もうか」

そんなことを何度も考えた。考えて、考えて、結局実行には移さなかったのだが、さて、実行していたらよかったのか、それともいまの方が私らしかったのか。いまだに答えが出ないままだ。

もっとも、時間を巻き戻すことはできないから、考えても無駄なのだが。