2023
09.01

私と朝日新聞 東京経済部の1 浦安というところ

らかす日誌

前回、

「一路東京を目指した」

と書いたが、実際に目指したのは東京を通り抜け浦安市である。転居先は朝日新聞の社員寮で、当時、浦安にある公団のマンションの部屋を新聞社で借り上げ、家族持ちの社員用住宅にしていた。その一部屋に我が家族は移り住むことになっていたのである。
今では東京ディズニーランドで知らぬ人はない都市だが、私が東京勤務になった1982年4月にはまだ建設中である。

東名高速から首都高に乗り、荒川を越えると間もなく浦安が目に入った。浦安市にお住まいの方には申し訳ないが、私の第一印象ははなはだ悪かった

「こんなところに住むのかよ!」

鉄筋か鉄骨か知らないが、マンションが建ち並んでいた。まるでコンクリートでできた町だ。大牟田市という田舎町で育ち、福岡の大学を出ると津、岐阜という地方都市を渡り歩いた私の感性には、砂漠の町に見えた。当時、熱烈なファンだった岡林信康に「俺らいちぬけた」という曲がある。その一節に

ところが町の味気なさ 砂漠のようで
コンクリートのかけらを 食っているみたい
死にたくないから 町を出るんだ
ニヒリズムの無人島
こいつもいちぬけた

とある。それが頭にこびりついているから、そんな思いにつながったのだろう。
どうでもいいが、この曲の歌詞、津支局時代に書いた記事に使わせてもらったことがある。いずれにしても思い出深い曲なのである。

引っ越しを終えると、子どもたちの転校、転園手続きだ。長男は新学期から小学1年生、長女は2つ目の幼稚園で年中さんになった。

私も東京勤務の朝日新聞記者になった。年齢も30代になり、子どもは3人。東京勤務がずっと続くとは思わないが、そろそろ生活基盤を固めなければならない。自分の家を持たねばならないのではないか。朝日新聞の給料で東京23区に自宅が持てる望みはないが、浦安なら何とかなるのではないか?

そう考えた私は、浦安市内の不動産探訪を始める。田舎育ちの私にとっては、マンションという選択肢は考えにくい。やっぱり、大地の上に足を置きたい。
と思って、近くの一戸建て住宅を見て回った。価格を聞いて絶望した。40〜50坪の敷地の2階建てが、6500万円〜8000万円の価格がついていた。おいおい、そんな家を買えるのはどんなヤツらだ? 親の遺産ががっぽり入ったヤツでなければ、給与生活者には手が出るはずがない価格ではないか。

土地付きが無理であればコンクリートの箱でも仕方がない。近くで公団の新築マンションが売り出された。家族全員を引き連れて見に行った。4LDK。約100㎡の部屋は真ん中にリビングがあり、亀の4本の足のように4つの部屋があり、ダイニングキッチンがある。記憶によると、価格は2970万円。
これなら、5人家族でも暮らせるのではないか? しかも、2970万円なら、逆立ちすれば支払えるかも知れない。やや、食指が動いた。うん、これ、買おうか。

ところが、部屋の中を歩き回っているうちに、田舎者の本性が現れた。田舎者の住宅感覚—私が育った大牟田の家は、爺様が建てた。10畳の座敷が2つ連なり、襖を外せば20畳の大広間となる。ほかにも多数の部屋があり、ある時数えたら、畳が80数枚敷かれていた—がムクムクと頭を出した。

「お前、こんなところに住むのかよ? これが家か?」

とささやいた。こんなコンクリートで囲われた空間に3000万円近い金を払うのか? 定年までローンを払い続けるのか?
何だか馬鹿馬鹿しくなったのである。

「おい、帰るぞ!」

4LDKではしゃいでいたファミリーに言い渡した。子どもたちは気にしなかったかも知れない。しかし、妻女殿はどう思っただろう?
かくして私は、何の展望もないまま、浦安で住宅を持つことを断念したのであった。
その賃貸マンションで、

「あのさあ」

と口を切ったのは妻女殿だった。

「なんか、このあたり、差別があるのよねえ」

聞くと、長男が通い始めた小学校には3つの身分があるのだという。最上位にあるのが

「戸建ての子」

である。次いで

「マンションの子」

が来る。賃貸ではなく、買い取ったマンションから通う子どもたちである。
最下位に位置するのが

「賃貸の子」

である。私の子どももたちは「賃貸の子」である。しかも、会社が借り上げ、賃貸料の一部を会社が負担するから比較的安価にマンションに入居しているファミリーである。我がファミリーは浦安では第4身分なのである。

だが、町の評価は違った。日常の買い物をする市場では

「戸建ての人たちはケチですよ。まあ、ローンがきついのかも知れないけど、安いものをほんの少ししか買ってくれない。それに比べれば、賃貸の人たちは金払いがいい」

なるほど、育ち盛りの子どもを3人抱えた我が家は食費をケチったことはない。子どもたちには、出来るだけ美味しいものを、腹いっぱい食べて欲しいと思ってやって来た。住宅を買うと、それができなくなるらしい。

こうして私の東京勤務が始まった。