09.07
私と朝日新聞 東京経済部の7 IBM産業スパイ事件
とんでもない事件が起きたのは、私が通産省担当になって3ヶ月もたたない1982年6月のことだった。何でも、日立製作所と三菱電機の社員が、IBMに対して産業スパイを働き、逮捕されたというのである。
今なら中国、ロシアの企業、政府が盛んに産業スパイを働いて最先端技術を盗み出しているというのは、ほぼ常識となった事実である。しかし当時、私にとって産業スパイとは、小説の中での出来事に過ぎなかった。それが現実に起き、しかも日立の社員5人、三菱社員が1人、計6人の日本人がFBIに逮捕された。さらに、日立9人、三菱3人に逮捕状が出ているともいう。驚天動地の出来事だった。
いまでもそうだが、日本はコンピュータ後進国だった。自力でコンピューターを開発できない日本のメーカーはIBMなどアメリカの先進企業から基礎技術を買い、互換機をつくって巨人IBMに追いすがるのが精一杯。それでも日本のメーカーはコストダウンが得意だから価格で勝負して成長し、70%の世界シェアを誇っていたIBMは日本メーカーに追い上げられてシェアが50%台に落ちて危機感を募らせていた。その対策としてIBMは、新しいOSでしか動かず、互換機がつくりにくい新機種、3081Kを発表した。
最初のニュースはアメリカ特派員から届いたのだったろう。それはすぐに国内の担当者に知らされる。
「取材せよ!」
というのである。
メディアとしてまず取材すべきは、逮捕者を出した日立と三菱だから民間企業の担当だが、通産省は産業政策を進める役所である。通産省の反応も記事にしなければならないのだ。
日本はコンピューター後進国だったと書いた。互換機を国産していたのだからどこかにはあったのだろうが、私の周りにコンピューターなどなかった。だから、見たことも触ったこともない。コンピューターに関する知識はゼロである。大型コンピューターをメインフレームと呼ぶことも、コンピューターはOSがなければ動かないことも知らない。
「いったい何が起きたんですか?」
アメリカからの一報しか情報はない。通産省なら、もっと詳しいことを知っているのではないか。
「それがねえ、我々にもまだよくわからないんですよ」
それは困る。記事が書けないではないか。そのそも、何を盗み出そうとしたんですか?
「IBMの3081K を動かすOSらしいんですがね」
OS? それって何?
「オペレーティング・システムの略です。これがないとコンピューターが動かないんです」
それはどんなものなの?
「コンピューターは人の命令で計算をする機械ですが、その人が出した命令をコンピューターが理解できる言葉に置き換えるソフトウエア、っていったらいいかなあ。とにかく、OSがなければ、コンピューターはただの金属のかたまりなんですよ」
しかし、国産のコンピューターもあると聞いています。それも動いているのだから、OSはすでに日本にもあるのではないですか?
「今動いているコンピューターにはOSが入っています。ところがねえ、OSって機種毎に違うんですよ。IBMが新しいコンピューターを出した。その新しいコンピューターはそれ専用のOSがいるんです。どうやら、日立はそれが欲しかったらしい」
この程度が当時の私の知識水準だった。普通考えれば、そんな基礎知識で取材など出来るわけがない。しかし、事件は起きたのだ。取材せざるを得ない。記事を書かねばならない。基礎知識がなければ、基礎知識から学ぶしかない。
泥棒を捕らえて縄を綯(な)う、という。まさにそんな状態だが、泥棒を捕らえた人は、捕らえようという意思があったから捕らえた。ところが私は、何の意思もなかったのに、突然ゼロから学ばねばならなくなったのっだった。
私の記憶によると、取材を始めた時の通産省の認識は、もっぱらOSの話であった。ところが、いま「IBM産業スパイ事件」で検索すると、日立が欲しかったのは3081Kにかんする技術情報全般だったらしい。もちろん、その中にはOSも入っている。
そして、日立には情報を盗む意識はなかったことも明らかになっている。当時、日立は3081Kの技術文書の一部を、アメリカの半導体メーカーから手に入れていた。その日立へ、米国で使っていた調査会社が3081Kに関するレポートを持ち込んだ。日立はすでに技術文書の一部が手元にあることを伝え、残りの部分も欲しいと調査会社に伝えた。日立はIBM 互換機を、IBMより安く売って市場を開拓してきたのだ。IBMが新しい機種を出したのなら、互換機をつくるにも技術情報がすべて必要なのである。
ところが、なのだ。この調査会社が、日立が技術文書の一部を持っていることをIB|Mに通報したのである。IBMが3081Kを開発したのは、うるさいハエのような日本メーカーを蹴落とすためである。3081Kの互換機が日を置かずに出ては困る。こうしてFBIの捜査が始まったという。
当時は大騒ぎした。通産省の担当課は午前0時を過ぎても情報収集に追われ、記者もそこに張り込んで新情報を待つ。少しでも新しいことが分かると、会社に報告する。
ところが、スクラップブックをくって出てくる私の記事は1本だけだ。
「IBM産業スパイ事件」
「基礎技術遅れ露呈」
「応用・改良に偏る」
「問われる自力開発」
「険しい技術立国」
の5本見出しの記事で、スパイ事件そのものというより、事件が起きた日本産業の問題点を指摘することに重きを置いている。そして、事件の続報はスクラップしていないから、恐らく、事件取材そのものの取材はアメリカ駐在記者、産業担当記者が進めたのだろう。
それまでも、経済は国際的に動いているのだとは思っていた。トヨタの合併、GMとの提携も背景にあったのは国境を越えて脈動する経済の動きである。
しかし、それは国内だけの取材で対応できた。太平洋を越えたアメリカで起きた事件が、リアルタイムで日本に飛来し、日米合同で取材を進めるという経験は初めてだった。世界を繋ぐ経済のダイナミクスを身をもって体験した気がした。