2023
09.08

私と朝日新聞 東京経済部の8 バッティング

らかす日誌

通産省担当になって、夜回り取材はほぼ習慣となっていた。昼間は通産省を廊下トンビして取材(議論も含めて)し、記者会見に出て原稿を書いてFAXで経済部に送り、夜になれば近場で軽く酒を飲みながら夕食を済ませ、会社からハイヤーを回して通産官僚の自宅を襲う。

休日を除けば、そんな毎日である。軽く酒を飲みながらの夕食だから、それなりに金がかかる。全てが自分の財布から出て行く金だから、外食費だけでも毎月かなりの額に上る。朝日新聞の給与は世間水準より高いといわれたが、そんな暮らしだから、金なんて残るはずがない。毎月いくらかでも貯金できるようになったのは60歳が迫ってからである。

さて、今回の話は夜回りである。
通産省のお役人が自宅に戻るのはかなり遅い時間である。だから、その自宅を我々記者が襲うのもかなり遅い時間だ。10時、11時というのもザラである。

昼間働き、疲れて帰宅する。やっと入浴して疲れを洗い流したと思ったら玄関のチャイムが鳴る。新聞記者らしい。あなたならどうします? 私が取材を受ける立場だったら、お断りする

「俺は疲れている。話があるなら明日役所に来てくれ」

それが普通の感情だと思う。
それなのに、夜回りで玄関払いされた記憶がない。チャイムを鳴らせば必ず玄関のドアが開き、在宅であれば招き上げられた。時間が時間だから、酒が出る。ウイスキーがほとんどだが、中には

「大道さん、この酒飲んだことある?」

と日本酒が出ることもある。恐らく、他社の記者も同じもてなしを受けたはずである。

いったい何故、私たちはこれほどまでの厚遇を受けたのか。考えてみれば不思議である。
記者に悪い印象を与えれば、役所内で悪口を広められ、出世に響くかも知れない、という打算もあるだろう。何しろ記者クラブに巣くっている連中は、1日中役所内のどこかで油を売りながらネタを拾うのだから、その口に戸を立てるわけにはいかないのだ。
情報交換、という狙いもあったのかも知れない。記者連中は役所内の隅々まで顔を出し、話を仕込んでくる。他の局は、他の課はどんな動きをしているのか、記者の口から聞けるかも知れない。

だが、記者と官僚の間に、何となく「共働」という感覚もあったのではないか。私の目には、通産省のキャリア組は、何だか日本を背中にしょって仕事に邁進しているように映った。

「俺がやらなきゃ誰がやる。背中の桜が泣いている」

みたいなオーラを発している人が多かった。彼らは国を経営する術を必死で考え、関係先と交渉して、日本をさらに豊かにし、国際的な地位を高め、一歩でも社会をより良くしようと考える。そのとき、メディアの協力も得なければならない。いや、彼らからすればメディアを利用し尽くさなければならないということかも知れないが、記者も、取材先の熱気に感じるところがあれば、筆に力が入る。そんないい関係があったのではないか?
もっとも、「共働」というのは、ともに力を合わせて悪事をなすこともあるが。

さて、今どき、記者と霞ヶ関の官僚の関係はどうなっているのだろう?

夜取材先を襲うのを「夜回り」といい、朝取材先を襲うのを「朝駆け」という。この朝駆けも必要に応じてやった。

「あら、大道さんじゃないの」

玄関のチャイムを鳴らすと、まず奥様が出てこられる。

「あなた、朝ご飯食べた?」

チャイムを鳴らしたのは午前7時か7時半である。自宅をハイヤーで出たのは6時か6時半。車中で握り飯にかぶりつくことが多かったが、朝食抜きで車中の人になることもあった。

「だったら、主人と一緒に朝ご飯食べなさいよ」

奥様とて、記者に悪い印象を与えれば、ご主人の仕事に差し障りが出るかも知れない、とお考えになったのだろう。夜討ち、朝駆けという取材方法はご家族にもご迷惑をかける。人々の迷惑を顧みずに走り回る記者とは、実にけしからぬ職業である。

特許庁長官のご自宅を襲ったのは、なんだか昼間だったような気がする。とすると、土曜か日曜日だったか。休日に取材しなければならないほど緊急に取材しなければならない話が何であったか、まったく記憶にないのは情けない限りだ。
だが、奥様と交わした雑談は、何故かはっきりと記憶に刻み込まれている。

長官は大蔵省から来た人だった。

「あなたねえ、うちの主人がどんな人間かご存知?」

いや、時々仕事でお目にかかるだけですから。

「変わってるのよ、うちの人」

どんな風に?

「先日ね、庭の木を少し切って下さい、って頼んだの。分かった、といったから待ってたのよ。そしたら主人、何をしたと思う?」

何を?

「まず本屋さんに行ってね、『庭木の剪定の仕方』みたいな本を3冊買って来たの。休みの日にそれを読み出したから、『いつになったら切ってくれるの?』って聞いたら、『3冊読み終えるまで待て』ですって。たいした木じゃないから、余分な枝を切り落とせば済むのにね。頭のいい人って、みんなこんななのかしら?」

何だか、私のスキー初体験のような話である。もっとも、頭のできは向こうがずっと上だが。

夜回りで困ったのは、夜回り先で他社の記者とバッティングすることだった。記者とはみんな情報乞食である。そして、その時々で欲しい情報は各社共通となる。その情報を握っている官僚は限られるから、夜回り先でぶつかるのだ。

そんな時、先に入った記者が出て来るまで、あとに来た記者は屋外で待つ。ところが時々、

「いいよ、一緒に上がりなよ」

と取材先に誘われることがある。誘った方は悪意はないのだろうが、これが実に困った事態を招く。席を立てなくなるのである。
私にしても、バッティングした相手にしても、このネタを特ダネにしたいと思って夜回りをしているのだ。だから、他社の記者が同席していては、質問ができないのである。聞きたいことの片鱗でも口にしようものなら、

「こいつ、そんな話を取材しているのか」

と悟られることになるからだ。
勢い、当たり障りのない世間話に終始する。勧められるウイスキーをチビチビと嘗めることになる。実に時間の無駄である。
と思っても、席を立つわけにはいかない。私が先に辞去すれば、その後、ライバルが重大な話を聞き出すかも知れないという疑心暗鬼に捕らわれるからだ。私がそう思うほどだから、目前に座ってウイスキーを飲んでいるライバルだって同じ思いのはずだ。午前1時になっても1時半になっても腰を上げることが出来ない。

「さあ、そろそろお開きにしましょうか」

と取材先の官僚が言い出すまで、延々と腰を落ち着けざるを得ないのである。

よくバッティングしたのは日本経済新聞の記者だった。他社の記者と取材先で会った覚えはない。きっと、日本経済新聞と私(朝日新聞と書きたいが、さて、朝日のほかの連中はそんなに取材していたのだろうか)が一番熱心な記者だったのだろう。その割に私はたいした記事を書いた記憶に乏しいのだが。