2023
09.09

私と朝日新聞 東京経済部の9 釣り仲間

らかす日誌

東京経済部の3 またまた引っ越しました」で書いたように、のちに横浜市鶴見区の義父の敷地に家を建てる私であるが、通産省担当のころはそんなことは考えてもみなかった。もっぱら

「首都圏で自分の家を持つのは至難の業であることよ」

と、高騰する一方の住宅価格と毎月のお給金を見比べながら嘆くばかり。だから、真面目に働いても家一軒持てないという首都圏の住宅問題は国政の問題であるばかりでなく、己の問題でもあった。勢い、住宅問題の取材に力が入る。

通産省は当時、産業構造審議会住宅・都市産業部会で「住宅産業ビジョン」の策定を進めていた。当時、住宅産業は構造不況に陥っているといわれていた。その再建策をまとめようというのである。
住宅産業がふるわないのは家が建たないからである。なぜ家が建たないのか。地価がべらぼうだからである。この土地問題を解決解決しなければ住宅産業の再建は覚束ない——私の個人的問題意識とまったく同じだ。さて、「有識者」(嫌いな言葉です。知識を持つ者? あんた誰だよ? とは思いませんか?)はどんな解答を書いてくれるのか。

個人的な事情がからんだ取材だったからだろうか、1982年5月27日、私は特ダネを書いた。

「土地は『利用』重視を」
「住宅産業ビジョン 素案まとまる」
「家建てねば重税」
「供給促進へ債権化も」

という見出しがついた記事は、こんな書き出しだ。

「産業構造審議会住宅・都市産業部会(通産大臣の諮問機関、部会長・沢田俤前日本住宅公団総裁)が、構造不況に陥っている住宅産業の再建策を探るため策定作業を進めている『住宅産業ビジョン』の素案が、26日明らかになった。素案は、住宅問題の最大のネックである土地に力点を置き、土地の『所有』から『利用』へ、市場や国民意識を変えることを基本的解決策として掲げ、①土地関係諸税の適正化によるコントロール②土地所有権の見直し③土地の債権化、などの具体策を提言している。同部会はこの素案をもとに、6月下旬をめどに中間答申をまとめるが、提言の内容が大蔵、建設、国土などの各省庁、地方公共団体の所管事項にもまたがるうえ、かなりの財源措置も伴うものであることから、広く論議を呼ぶことになろう」

この審議会を担当したのは、確か住宅産業課、といったと思う。着任間もない私があいさつをかねて各課を回った時、M課長に

「いま、何をやってるんですか?」

と尋ねたことから取材が始まった。

「いやねえ、住宅産業ビジョンを作ろうと思ってましてね」

「なんですか、それ?」

「いまねえ、プレハブメーカーとか住宅産業が行き詰まってましてね。とにかく家が建たない。地価ですよ。特に首都圏では我々みたいに真面目に働いている人間に自分の土地を持つなんて夢のまた夢でしょう。土地がなければ家は建てられない。だから、土地問題を何とかできないか、と思いましてね」

「だけど、地価問題は通産省の仕事なんですか?」

「本来なら建設省とか国土庁の仕事なんでしょうけどね、連中がやらないから。通産省ってだぼはぜみたいに何にでも食いつくんですわ」

そんな会話を交わしたのではなかったか。
それから少しずつ話を聞き出し、最後は

「大道さん、素案がまとまったんだけど、ペーパーいる?」

という流れでこの記事が生まれた。
なるほど、なかなか考えられた提言で、なかでも値上がり待ちで放って置かれている土地の税金を上げ、利用されている土地の固定資産税は下げる、というのは気に入った。こうすれば、空地を持っている地主は重税に耐えかねて土地を放出するだろう。沢山の土地が市場に出てくれば需要と供給の関係で地価は下がるに違いない、というのである。

だが、である。あれから40年以上がたった。さて、首都圏の土地は真面目なサラリーマンの手に入る価格になったか? 東京の新築マンションの平均価格が1億円に迫っている現状を見る限り、

「あの提言は何だったの?」

という気がする。提言にある税制改革を阻んだのはどんな力学だったのだろう?
ちなみに、横浜の我が家を設計したのは、この部会の委員だった設計事務所長である。

さて、そんな取材からの付き合いで、M課長とはすっかり仲良くなった。

「大道さん、鯛釣りに行こうよ」

と誘われたのは初夏だったのではないか。雑談をする中で、釣りが共通の趣味であることを見出していた私たちだった。目的地は外房の大原。そこで釣り船に乗り、外海で鯛を釣る。

「近くに公務員用の施設があるんですよ。釣り船は朝の3時半頃に出るそうだから、こに泊まって翌日海に出ましょう」

M課長の下で課長補佐をしていたO君と3人で出かけた。

前夜はもちろん酒宴である。その酔いも醒めやらぬ翌朝3時半、まだ真っ暗な中を乗船した。港を離れた船はまず網を投げた。エサにするエビを捕るのだという。そうか、エビで鯛を釣るのか。満足のいく量のエビを捕るとポイントに向かって走り始めた。揺れる。
やがて太陽が姿を現し、周りが見えるようになった。少し先に、同じポイントを目指す釣り船が見える。波が高い。隣の船が波の向こうに隠れてまた姿を現す。

「船頭さん、凄いうねりだね。今日は海が荒れているね」

「何いってんの。外海ってこんなもんさ。今日はべた凪に近いぜ」

それまで湾内での釣りはしたことがある。しかし、外洋に出るのは初めてだ。外海とはそんなものか。

針にエビをつけ、海に投げ込む。

「底を2mばかり切るんだよ」

と船頭さんがアドバイスをくれる。重りとエサを一度海底まで降ろし、そこから2mほど巻き上げて当たりを待てということだ。素直に従う。だが、海底を泳ぐ鯛たちはただいま満腹なのか、ちっとも当たりが来ない。おい、俺のエビに食らいつけよ!

「おえっ!」

隣で不穏な音がした。M課長である。見ると、船べりから頭を突き出し、胃から逆流してくるものを吐き出している。

「あれまあ、船酔いしちゃったのか」

0君を振り返る。バケツに入ったエビをつかもうということろだ。それなのに、顔は上を向いている。

「どうしたの。目で見ないとエビをつかめないんじゃない?」

「いや、下を向くと吐きそうなんで……」

あれまあ、通産省のキャリア官僚2人は船が苦手なのかよ。

この日、無事鯛を釣り上げたのは私だけ。2人は1匹も釣れなかった。

「大道さん、この前の釣りのリベンジをしたいんだけど」

と言い出したのは、またしてもM課長だった。実家が福島にある。すぐ近くの川でアユの友釣りができる。今度こそ私が釣果であなたを凌いでみせる。一緒に行こう、というのである。
釣りは息子に付き合わされて以来の私の趣味である。挑戦されて逃げるわけにはいかない

「行きましょう」

鮎の友釣りは生きたアユ(おとりアユ)にハナカンをつけ、それにつながった逆針を尾びれの当たりに仕掛ける。川の中に入って竿を振る。おとりアユを泳がせると、目的のアユが

「俺の縄張りに不法侵入するな!」

と体当たりするらしい。体当たりしてくれればこっちのもの。おとりアユに仕掛けた逆針が目的のアユに引っかかって釣れる、という釣り方である。

まず、おとりアユへの仕掛けの取り付けに苦労した。苦労して時間がかかるとおとりアユが弱るから釣果が望めなくなる。だから、何とか素早く済ませたいのだが、なかなかうまく行かない。
やっと仕掛けを作り、川に入る。

「アユは岩陰にいることが多いから、そんなところをめがけておとりアユを泳がせるんです」

とM課長はいうが、なにせ相手は生き物である。私の思い通りにはなかなか泳いでくれない。
それに、である。真夏だというのに、川の水はけっこう冷たい。20分も足を入れていると痺れてくるほどである。やむなく川辺に上がって足を温め、再び川に入る。

この日は私の大敗であった。釣果はわずか1匹。ずっと多い数を釣ったM課長はみごとリベンジなってご満悦であった。

取材をして記事を書く。それが記者の仕事であり、楽しみである。しかし、仕事から始まり、接待ではなくお互いにポケットマネーで遊んで豊かな人間関係を構築する。それも、記者という仕事を選んだ結果の醍醐味であると思う。