09.10
私と朝日新聞 東京経済部の10 天下りをしない官僚
Saさんは私が通産省担当になった当時、貿易局総務課の課長補佐だった。東大卒が掃いて捨てるほどいる通産省で、珍しく京都大学法学部出身。大学3年で司法試験に合格した。羨ましくなるほどの俊才である。
弁が立つ。頭の回転が速い。知識は博覧強記といいたくなるほど豊富である。自分で論理を組み上げ、相手が誰であろうと自分を曲げない。どこにも隙を見いだせない。これほど「優」が揃ってしまえば、敬して遠ざけたい人格になりかねない。ところがSaさんは、何故か馴染みやすかった。
そのSaさんに私は何度も議論を挑んだ。挑むたびに跳ね返された。まるで鋼鉄の壁に挑むかのようにどうしても歯が立たないのである。そして、時間が許す限り議論の相手にはなってくれるが、ネタをもらったことは一度もない。
「大道君、ペーパーが欲しい?」
などとは口が裂けてもいわない人であった。つまり、記者に媚を売らない。記者と馴れ合わない。
ネタをくれない取材先に時間を費やすのは、新聞記者にとっては無駄の極みである。こんな人と時間をつぶすぐらいなら、ほかを回った方がはるかに効率的に取材が出来る。記事が書ける。
それなのに、私は足繁くSaさんの席に足を運んだ。その人柄に魅力を感じたのか、それとも
「今度こそ、議論でやり込めてやろう!」
という壮大な挑戦だったのか。しかし、どう論理を組み立てても、最後は私が
「なるほど。それはそうだよね」
と頭を下げるしかない。実に腹立たしい男なのだが、でも、足が向いてしまう。私はきっと、彼の明晰な頭脳に敬服していたのだろう。いや、人間として好きだったのか。
見方を変えよう。Saさんから見れば、私は粗雑な論理を振りかざし、物事を、世の動きを知らないまま無謀な論戦を挑む記者である。こんな男に理を説くのは面倒だろう。時間を費やしても得るものが何もない、こんなヤツに付き合うより、仕事の1つでもこなした方が遙かに生産的だったろう。
ところがSaさんは、私を拒絶しなかった。時間があれば、必ず付き合ってくれた。それどころか、いつしか2人で飲みに行くようになった。ついには、赤坂にある彼のマンションにまで誘ってくれた。
誰しも、無駄な時間は持ちたくないものである。彼にとって私と過ごす時間は無駄の極みだったに違いないはずなのに、彼は何故私と付き合ってくれたのか。いまもって謎である。
自宅に押しかける仲になったから、当然奥様とも知り合いになった。桃ちゃんといった。もと国鉄総裁の娘さんである。家柄は「超」がつくほどなのに、極めてフランクな方だった。
その桃ちゃんから
「大道さん、今晩あいてる?」
と電話を頂いたのはずっと後年のことだ。私は証券業界担当で兜町にいた。
何事? まさか、〇〇のお誘い? とは思わなかったが、しかし、桃ちゃんから突然電話をもらう理由が思いつかない。
「ま、あいてるといえばあいてますが」
首をひねりながら答えると
「だったら、今日、サントリーホールの音楽会に一緒に行かない?」
とのお誘いである。なんでも、招待券を2枚もらって同行者を探しているとのことだ。
「だったら、旦那と行けばいいじゃないですか」
当然のやりとりだろう。
「ダメなのよ。旦那は忙しくて時間がないの。だから、誰かに一緒に行ってもらいたくて大道さんを思い出したの」
彼女の世界では、新聞記者とは霞が関官僚より暇な職種らしい。
「だけどね……」
と渋る私に、彼女は言った。
「頂いたチケットは2万円もするのよ。こんなに高いんだから、きっと夕食がついているのよ。ね、あなたも食事はするでしょ? ご飯を食べる感じで行きましょうよ」
私は逃げ場を失い、サントリーホールにご一緒した。
お読みいただいている方の中には、サントリーホールでクラシック音楽を楽しまれる方もいらっしゃるかも知れない。その方々は、サントリーホールが夕食付きの音楽会を催すなどありえないことはご存知のはずだ。日本のクラシックファンは演奏中の雑音を極度に嫌う。食器が触れあう音があちこちでするホールで音楽を楽しもうという人は希有である。サントリーホールが夕食付きの音楽会を催すなどありえないことは常識だろう。第一、あの座席構成で、どうやって食事を出すというのか(ずっと後、朝日ホール総支配人になった私は、サントリーホールに数回出かけた)。
しかし、当時の私は全くのクラシック音痴である。サントリーホールには足を向けたこともなかった。桃ちゃんも、元国鉄総裁の娘であるにもかかわらず、クラシック音楽のコンサートを楽しんだ経験はなかったらしい。
「へーっ、夕食付きの音楽会か。面白いね。行ってみようかな?」
2人はサントリーホールの入口で落ち合った。中に入る。座席は指定である。
「ここよ」
2人隣り合って座った。椅子の並びは映画館と変わりない。食事を置くテーブルなどどこにもない。
「本当に夕食が出るの?」
「うーん、違ったみたいね」
やがて演奏が始まった。曲名は忘れたが、バイオリンの音が不快だった。何だかヒビが入っているような音で、神経に障る。退屈になって、入場口で受け取ったパンフレットを袋から引きだし、眺め始めた。
隣の席から首がニューッと突き出された。目を向けると、私をハッシと見つめた男性が、閉じた唇の前で人差し指を立てている。
「あ、雑音を立てるな、ってか」
パンフレット鑑賞も諦めた。
1時間ほどで休憩になった。桃ちゃんがいった。
「大道さん、出ましょうか」
どうやら桃ちゃんもクラシック音楽は好きではないらしい。時計の針はすでに8時を回っている。期待してきた夕食にはありつけず、腹の虫がなっている。
「飯食べようか」
2人で赤坂のスペイン料理店に入った。たいした味ではなかったが、まあ空腹感は消えた。支払いは、コンサートに招待していただいた私が受け持ったのは当然である。
さらにずっと時間がたって、私はまた桃ちゃんから電話をもらった。
「うちに塩野七生ちゃんが来るんだけど、大道さんも来ない? 奥様もご一緒してよ」
塩野七生。ローマに居住し、「海の都の物語」「ローマ人の物語」など、重厚だが読みやすい歴史読み物を書いた作家である。いまではすっかりファンで、彼女が書いた本はほとんど読んだ。だが、当時は未知の人である。
「塩野七生? それ、誰よ」
「えっ、大道さん、知らないの? ローマに住んでる有名な作家よ。自分でインテリだと思っている人はみんな読んでるわよ」
ま、私はインテリだと思われたいと思ったことはあっても、自分でインテリであると思ったことはない。読んでいなくても当然か。
この時もお誘いに乗り、赤坂のSaさん宅で塩野七生さんを囲んで食事をした。かなり意気投合したのだろう。その後、塩野さんの本を読むようになり(きっかけを作ってくれたのは野村證券だった。のちに触れることになるはずだ)、彼女が日本に戻ってきた時に数回、食事をした。
お世辞にも「美人」とは言い難いが、素敵なおばさまだった。彼女からは、小さな島で1000年王国を築いたベネチア人の知恵と行動、世界帝国を築いたローマ人の合理的な思考法を学んだ。先に挙げた著作は、2度ずつ読んだ。面白い。
話がわき道に入って長くなった。本筋に戻ろう。霞が関官僚Saさんのことである。
Saさんは確固とした自己を持つ人とはすでに書いた。こうした人は誰に対しても自説を主張して譲らない。
自ら省みて縮(なお)くんば 一千万人といえども我いかん
を絵に描いたような人である。往々にして、このような人は組織内では浮き上がる。目の上のたんこぶとして排除される。私が知る中で最も頭脳明晰であるSaさんでも、それは避けられないだろう。だから私は通産省担当を離れても
「Saさんは出世出来ないんじゃないか? さて、どこまで上昇するか」
と心配していた。しかし、杞憂だった。Sさんは通産官僚のNo.2、通産審議官になった。
通産審議官になれば、天下り先が用意される。行き先は大企業である。
「Saさんはどこに天下るんだろう?」
私はそんな目でSaさんを追っていた。
「Saさんが国際弁護士になるんだって」
という話は、誰から聞いたのだったか。冒頭に書いたように、Saさんは大学3年で司法試験に合格していた。通産省を退官したSaさんは司法修習生になり、2年間の修習期間を終えれば国際弁護士になるというのである。
「ん? 天下り先を紹介されなかった? そんなことはないはずだが」
という疑問が解けたのは、私が朝日新聞を最終的に退社したあとである。たまたま国際弁護士としての彼の意見が聞きたくて電話をした。そのついでに持ち続けていた疑問を問いただしたのである。
「いや、それはあったさ。〇〇(国際的な大企業)の副社長になれ、っていわれたんだけど、僕はずっと前から、通産省を退官したら弁護士になると決めていたから、『必要ないよ』と断ったんだ。脅されたよ。僕がその天下りを受け入れなければ、天下りルートが1つ減って後輩が困る。何としても引き受けてくれ、というんだわ。そんなことは知らないよ、といってやった」
誰もが羨む天下りを拒否したキャリア官僚。ネタを1つもくれなかったSaさんに、それでも私が惹かれ続けた理由が分かったような気がした。
その後Saさんは国際弁護士として仕事をこなす一方、2009年には民主党政権の総理秘書官に就任した。
「鳩山は危なっかしいが、Saさんがいるんだから優れた政権運営をするだろう」
と安心していたのに、多くの国民の期待を集めた民主党政権は脆くも瓦解した。それだけでは済まず、
「政権を担えるのは自民党しかない」
という負の資産まで残した。
「おいおい、Saさん、どうしちまったの?」
と問いただしたい私だが、いまだにその機会がない。一度酒を飲もうという約束はしてあるのだが、なかなか東京まで出てSaさんに会うチャンスに恵まれない。
話が聞けたらご報告するつもりだが、さて、いつになることか。あまり期待せずにお待ちいただきたい。
以上が通産省で知り合った快男児の話である。
今回で通産省担当時代を終える。
思い返せば楽しい1年間だった。通産省の若手官僚と議論を交わす中で、私は何となく世界が何故、どんな力学で動くのかがボンヤリと分かった気がした。マルクスではないが、歴史を動かす原動力は経済である。世界中を相手に日本の経済的国益を守り、拡大しようと奮闘する彼らとの議論は、多くのものを私に残してくれた。その後、何を担当しようとそこそここなすことができたのは、この1年間の経験があったからだと感謝している。