2023
10.16

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の5 内外価格差

らかす日誌

「Tokyo Money」の旅は、私にとって「内外価格差」の実情を知る旅でもあった。取材が入っていない時間、私は香港のデパートに出かけ、アクアスキュータムが陳列されているコーナーに足を運んだ。トレンチコートを見る。
香港ドルで表示された価格を円換算すると、約11万5000円。わずか4時間ばかりの空の旅で、5万円ほど価格が下がった。おいおい、そりゃあロンドンから見れば、日本は香港の先にある。運賃も多少は余計にかかるだろう。だが、1着5万円も運賃が嵩むか? おかしい。

それだけ確認すれば、とりあえず目的は達成された。何故そうなのかは、店の人に聞いても分かるはずがない。
デパートを出ようと歩いていると、靴コーナーがあった。何気なく見ていると、バリーの靴がある。私にとってバリーは高級靴の代名詞である。何かで読んで読んだこんな話が頭に残っていたからだ。

スイス人のバリーさんはある日、フランス(だったと思う)に商用に出た。フランスで何とも美しい女性用の靴を見たバリーさんは、奥さんへの土産に1足購入して土産にした。すると、奥さんの喜び方は尋常ではなかった。喜んで跳ね回る奥さんを見たバリーさんは

「こんなに喜ばれるのなら、私も靴を作ってみよう」

と思い立った。靴メーカー、バリーが創業されたのは1851年である。

バリー。そういえば、通産大臣だった山中貞則さんがバリーの靴を履いていたなあ。できることなら、私も一度履いてみたい。だが、日本でバリーのビジネスシューズを買おうとすれば、当時でも6、7万円した。とても私に買える靴ではない。

香港でバリーの靴はいくらで売られているのだろう? 「内外価格差」に関心がある私は、値札を見た。日本円に換算すると、2万円ほどである。ああ、ここにも「内外価格差」がある。怪しからん!
と思っているところへ、売り子が寄ってきた。

「いい靴でしょう。一度お試しになってみませんか?」

と売り込まれたのかどうかは、英語が不自由な私にははっきりとはわからなかった。しかし、売り子はこんな時、そんな勧め方をするものだという知識はあったから、きっとそう言っているのだろうと思って履いてみた。少しきつかった。

「靴は履いているうちに皮が伸びます。最初はきついぐらいの方がいいんです」

といわれたような気がした。気が付くと、私は

「ああ、そうなの」

といいながら、その靴を買ってしまっていたのである。多分、

海外出張手当が出るから、少しぐらい買い物をしたって大丈夫なはずだ。2万円で憧れの靴を買えるなら儲けものではないか」

と決断したのである。
なお、これは後日談になるが、取材旅行中も帰国してからも、私は何度もこの靴を履いた。履くたびに足が痛んだ。特に右足の甲の部分が痛かった。早く皮が伸びて足にピッタリ合って欲しと我慢し続けた。それなのに、皮は伸びてはくれなかった。痛みはますます強まる。これでは履けない。この部分の皮を伸ばそうと、治具を買った。治具を使って皮を伸ばそうと試みたら、底がはがれて履けなくなった。DIYの店で皮の接着剤を買って試したが、役に立たなかった。私は2万円をドブに捨てた。
もう1つ。香港を出た私はロンドンに行くのだが、リーゼントストリートで靴屋に入ると、バリーの靴が並んでいた。ゴム底のビジネスシューズの値札を見ると、日本円で約1万円。

「こんな値段で買えるんだ!」

と思ったが、すでにバリーの靴は香港で買っている。2足はもったいない、と見るだけにした。香港で買ったバリーの靴を捨てるとき、

「こんなことなら、ロンドンでも1足買っておけばよかった」

と後悔した。

「ああ、私はケチな性分に生まれついたのだなあ」

と思い知らされる思い出の1つである。

さらに香港では買い物を続けた。アタッシュケースが欲しかったのである。
経済部の取材対象は、企業人、霞ヶ関のお役人がほとんどである。その方々に会うと、アタッシュケースを使っている人が結構いた。今になって思えば

「何でそんなバカな憧れを持った?」

と苦笑いするしかないのだが、.彼らが持ち歩くアタッシュケースが、前線で颯爽と活躍する有能さの象徴に見えたのである。中身が伴っていない私のような者に典型的に現れるのかもしれないが、形を整えれば私も有能な記者に見てもらえるはずだ、という思いにとらわれていたのである。つまり、仕事に対するコンプレックスの裏返しとして、有能さの象徴と思えたアタッシュケースへの憧れが生まれていたのだ、と思われる。

香港のどこで購入したかは忘れた。そこそこ値のはるアタッシュケースを私は手に入れた。とにかく、「内外価格差」である。日本で買うより遙かに安く買ったことは間違いない、と思っての購入だったが、裏付けは取っていない。本当にそうだったのかな?

ホテルに戻ると、仕事道具(ノートやボールペン、カメラ、史料など)をアタッシュケースに移した。さあ、これで私も世界を飛び回る有能な記者の1人である!

アタッシュケースを下げて、確か公園の柵を乗り越えようとしたときだった。大事な大事な、買ったばかりのアタッシュケースが

ゴツン!

と柵にぶつかった。あっ、と思ったがもう遅い。恐る恐る調べると、アタッシュケース表面の皮の一部がめくれている。ここがぶつかったらしい。濃い茶色の皮の一部がめくれ、チョロっとベージュに近い裏革が顔を覗かせている。外が1枚皮で覆ってあるからカッコよかったアタッシュケースである。使い込んで色が褪せてくるのならそれなりの重厚さが加わるが、一部がめくれて違った色が出ている? まるでつや消しである。アタッシュケースへの夢が覚めた。
それでも、取材旅行中は使った。帰国してからも使っていたが、やがて興味をなくし、

「もっと軽いカバンがいいな」

と違ったカバンを使い始めた。私の憧れ、こだわりなんてその程度である。41日間世界一周の取材旅行は、己の軽薄さを思い知らせる旅でもあったのである。