2023
10.15

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の4 香港・Excelsior Hotel

らかす日誌

私が世界一周の旅に出かけたのは1987年9月のことだった。香港からロンドンに向かい、アイルランド・ダブリンへ足を伸ばす。再びロンドンに戻り、取材が終わればアメリカ・サンディエゴ、メキシコシティ、カリブ海に浮かぶグランドケイマンに赴き、ワシントン、ニューヨークと回って帰国する。41日間で世界を一周したから、「80日間世界一周」の上を行く駆け足旅行である。

狙いは4つあった。

1つ目は、国際金融市場に姿を現し始めた中国
2つ目は、日本国内に溢れかえった金が、競うように海外の大型事業に流れ込んでいる現実。
3つ目はタックスヘイブン。いわゆる租税回避地、である。課税を逃れるため、企業や資産家が使う手法である。
最後はキャピタルフライト。国外に逃げ出す金の話である。

これらを、「論」としてではなく、「具体的な動き」として描き出す。それぞれがどんな問題なのかはおいおい説明するかもしれないが、この連載の主眼は私の珍道中である。

旅に出る頃、私は「内外価格差」が気になっていた。日本では20万円以上する東芝の大型テレビが、アメリカでは10万円で買える。日本で20万円はするバーバリーのトレンチコートが、ロンドンに行けば7、8万円で買える。そんな話を沢山耳にしていた。いったい何故、そんなことが起きるのか? 日本人はなぜ高い買い物をしなければならないのか。「内外価格差」は何とも理解しがたい現象だった。

当時、欲しかったものがある。アクアスキュータムのトレンチコートである。その頃は、確か丸善で扱っており、16、7万円した。よし、この価格を行く先々で追跡してみよう。そして、ロンドンで1着買うことまで予定に入っていた。私は香港に旅立った。

羽田から香港国際空港まで約4時間の空の旅である。当時の朝日新聞は景気が良く、海外出張はビジネスクラスを使った。エコノミーに比べて座席が大きく、座席の前後が大きく開いているので深いリクライニングもできる。一言でいえばである。

着いて、タクシーを拾った。目的地はExcelsior Hotelである。さて、ここは英語が通用する国である。不得意だが、ここは英語で運転手さんに話しかけねばならない。

早くも珍道中が始まった。この時の情景は、「グルメに行くばい! 第35回 :番外編1 香港」に詳述している。クリックして頂く手間を省くために街当分部分だけコピペすると、こんな具合だ。

「空港に到着し、とりあえずタクシーを拾ってホテルに向かった。Excelsior Hotelである。

“Excelsior Hotel, please”

普通なら、これで済む。あとは、初めて目にする香港の風景を車窓から眺めて異国情緒に浸っていれば、ホテルに着く。
はずである。

ふと、窓外に目をやる。ん? 先ほどと同じ風景である。どうしたんだ?
私が乗ったタクシーは動いていなかった。4つのタイヤが地中に根をおろしてしまったがごとく、断固として慣性の法則に従い、同一地点にとどまり続けていた。仕方なく、前を向く。運転手の怪訝そうな目線があった。

“Pardon?”

何? 分からないって?
おかしいなあ。「E」はちゃんと「い」と「え」の中間の音を出したし、「l」は、立派に上顎に舌の先をくっつけて発音したではないか。こいつ、耳が悪いのか?
いやいや、ひょっとしたらイントネーションが間違っていたのかなぁ。英語というものは、個々の母音や子音の音より、全体の流れ、特にアクセントがある場所で聞くものだというもんなあ。
これは失礼した。私のミスであったかも知れない。

 “Excelsior”

 “Pardon?”

 “Excelsior”

 “Pardon?”

 “Excelsior”

 “Pardon?”

 “Excelsior”

 “Pardon?”

匙を投げた。ポケットから、旅行会社が用意してくれたホテルの案内パンフレットを取り出し、運転手に渡した。

「Oh, えくせるしあ!」

「sior」は「しあ」であった。中間母音も、下を上顎につける作業もいらなかった。

前途多難である」

コピペは以上である。いずれにしろ、やっとホテルに着いた。前途多難な旅を思わせる幕開けだった。