2023
11.05

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の24 ブラックマンデーに飛び込んだ

らかす日誌

私がニューヨークに着いたのは1987年10月18日の日曜日である。この日付は明瞭に記憶にある。ニューヨーク証券取引所で株価の大暴落が起きたブラックマンデーの前日だったからだ。

ニューヨークには経済部からニューヨーク支局員になっていた同期生、O君がいた。朝日新聞のニューヨーク支局は「All the news that’s fit to print.」を社是とするニューヨーク・タイムズ社の中にある。両社は提携関係にある。
その日、映画によく出て来るタイムズスクエアからほど近いニューヨークタイムズ社の中でO君に会ったのか、日曜日なのでO君が空港前迎えに来てくれたのかは記憶の外である。いずれにしても彼の家に泊めてもらうことになった。翌朝は彼とともにニューヨーク支局に足を運んだ。

初めて体験するニューヨーク、初めて見る朝日新聞ニューヨーク支局に私は目をぱちくりしていたに違いない。見るもの聞くものが初めてのものばかりである。
支局に向けて歩きながら、

「タイムズスクエアって思いのほか汚いところだなあ」

と思ったについては、O君が

「おい、水たまりは避けろよ。小便が混じっているから」

といったことが多分に作用しているだろう。道路のあちこちに水たまりがあり、ごみも沢山落ちている。私は、ごみ1つない街並みというのはどうにも気持ち悪く、適度にタバコの吸い殻などのごみが散らばり、道路に面した商店が毎朝掃き掃除をすといった、人が生きている香りがする街並みが好きなのだが、タイムズスクエアは「適度」の範囲を越えていた。
このころ、アメリカは経済が不振でニューヨークに住む人たちの心が荒れていたと聞いた。私は被害に遭わなかったが、治安も悪いと聞いた。

ニューヨークタイムス社内の朝日新聞ニューヨーク支局に腰を落ち着けて何をしていたのかは記憶にない。あれは確か昼前だったと思う。

「おい、大道」

とO君がいった。

「ちょっと、ウォール・ストリートまで取材に行ってきてくれないか」

ん? ニューヨーク支局員はお前だろう。ニューヨークでの取材はお前がするのではないのか? 俺は単なる旅人であるぞ。

「何か、朝から株価が暴落しているようだ。ちょっと話を聞いてきてくれ。俺はここでとりあえずの原稿を書くから」

いや、といわれても、お前はニューヨーク支局にいるぐらいだから英語は堪能なのだろう。だが私は、これまでの海外取材でずっと通訳に頼りっぱなしだ。私に取材に行けって、どこかに通訳がいるのか?

「心配しなくていいよ。取材先は日本人だから」

とまでいわれれば重い腰を上げざるを得ない。いわれてみれば、このころ日本の多くの金融機関がウォール街に出先を持っていた。

「とにかく、朝から株価が下げ止まらないようだ。ひょっとしたらこれは大変なことになる。1929年の株価大暴落の再来になるかも」

1929年10月24日木曜日にウール街に端を発した株価の暴落は、ブラックサーズデー、ブラックフライデー、ブラックマンデー、ブラックチューズデーと4営業日連続し、その後も1ヵ月ほど下げ続けた。これが世界恐慌の引き金になったことは広く知られていることである。

タクシーでウォール街を目指した。1929年、ウォール街では飛び降り自殺が相次いだと聞いたことがある。今日、それが再現するのなら、ウォール街では今日、空から人が降ってくるのか? タクシーを降りた私はまず上を見上げた。落下物、いや落下人はないか? 我が身を防衛するための基本動作である。幸い、そんな危険な落下物はなかった。外見上、ウォール街は落ち着いていた。騒ぎはどこにあるの? という感じである。

何を聞いたか忘れたが、支局に戻って原稿にまとめて東京に送った。その原稿が紙面に掲載されたかどうかは確認していない。
その間も、株価は下がり続けていた。世界一周の取材旅行の付録として、ワシントン、ニューヨークで羽を伸ばそうと思っていた私は、何と、後にブラックマンデーと呼ばれる株価大暴落のど真ん中に飛び込んでしまったわけだ。

ニューヨーク株の暴落は世界中の株式市場に激震を起こした。ニューヨークに続いて開く東京株式市場では10月20日、平均株価が25746円56銭から21910円08銭と、3836円48銭、率にして14.90%下がった。

「いやあ、焦ったよ、あの日は」

と帰国後の私に話したのは、株式欄担当の同僚だった。

「だって、株価が下げ続けてほとんどの銘柄に値がつかないんだぜ。夕刊の株式欄(株価を掲載しているページ)は真っ白さ。おいおい、こんな真っ白な新聞を配るのかよ、ってね。ああ、そうなんだ、大ちゃん、君はあの日、ニューヨークにいたんだ。いい体験をしたね」

いや、私は単にあの日ニューヨークにいただけで、ホンのちょっと取材の手伝いをしただけで、いい体験と呼ばれるほどの体験はしていない。

私のニューヨーク滞在2日目は、株価暴落騒ぎの中で右往左往するうちに暮れていった。