12.13
私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の7 敵と味方
私たち、朝日新聞チームの取材が進み、東海銀行の恥部ともいえる話が紙面を飾ることが重なると、敵が増えてきた。東海銀行幹部が朝日新聞幹部に善処を申し入れに来たことはすでに書いた。
それだけではなく、当初は共同作業で事件のあらましをつかもうと協力関係にあった広報マンなども、何となく雰囲気が変わってきた。分からないこともない。いくら事実とはいえ、自分が属する組織への批判を書き連ねられれば、誰だっていい気分ではいられない。
だから、それは気にせずに取材、執筆を続けた。
ある時は、金融担当が記事を書くのを躊躇した。私と力を合わせて取材した内容があまりに強烈で
「ここまで書いていいのかなあ。僕、書きたくない」
と言い始めたのだ。私は彼を説得しなければならなかった。
「書くのが怖い? じゃあ点検してみよう。俺たちはちゃんと取材をしたか? したよな。取材で集めたデータは正しいか? 裏も取った話ばかりだ。これも問題ない。あとは、君がこの事実を東海銀行幹部にぶつけて反応を聞けば記事になるじゃないか」
「そうはいっても、ちょっと中身が強烈なんで……」
「俺たちの仕事は取材をして記事を書くことだろう? せっかくここまで解明したのだ。書くのは君の責任だとは思わないか?」
そして、確か1麺トップを飾る記事になった。
私を批難する怪文書を流されたこともある。しばらく記念に保管し、いろんな人に見せていたが、取材に動き回るうちにどこかに行ってしまった。
確かA3用紙を二つ折りにし、全ての面を活字が埋めていた。東海銀行不正融資事件の書き続ける朝日新聞を、あまり美しくない言葉でやり玉に挙げており、名誉なことに、どう見ても私としか思えない朝日新聞記者が登場していた。文書そのものがなくなったので正確な記憶はないが、なんでも私らしき記者は、東海銀行内の記者室を我が物顔に占拠し、大声で怒鳴り散らして行員の顰蹙をかっている、といった内容だった。
朝日新聞に抜かれ続けるどこかの記者が腹いせ紛れに書いたのか、それとも東海銀行がそのうような仕事をする自称ジャーナリストに金を払って書かせた文書だったのか。そのあたりはよく分からないが、
「へえ、俺も怪文書を流されるようになったか。これでやっといっぱしの記者になったのかな?」
と私たちは面白がった。
姿は見えないが、敵が現れ始めたのである。
だが、敵が現れるということは、強力な味方が登場することでもある。
味方になってくれたのは、まず東海銀行のOBたちだった。名古屋市内にある東海銀行の取引先企業には、元東海銀行副頭取、元東海銀行専務、といった経営者たちがたくさんいた。問題は東海銀行の体質にあると考えた私たちは、こういう方々にも取材攻勢をかけた。銀行を離れたのだから、口は軽くなっているはずだと考えたのである。それに、取引先企業に天下ったということは、銀行内の権力争いに敗れたということを意味する。その意味でも、いろいろな話が聞けるのではないか、と見込んだ。
「いやあ、朝日さん、よく書いてるねえ。もっと書いて下さいよ」
と多くの方々に励まされた。中にはなかなか取材が進まないポイントがあると話すと
「銀行にはまだ、昔私の部下だった人間がいる。信頼できるヤツなんで、私が聞いておきましょう。分かったら連絡するよ」
といってくれる人もいた。
「この際、膿を出し切らねば東海銀行の再生はない」
という考えで、私と一致した人たちだった。
日本銀行名古屋支店長も強力な味方だった。日銀は立場上、東海銀行の内部事情に通じている。新しく知りたいことが生じれば、問い合わせて答を得ることも出来る。そのため夜、支店長宅にしばしばお邪魔した。「定期便」ともいえるほどの頻度で、酒を頂きながら情報を交換し、やがて事件が終わった後は飲み友だちになった。
東海銀行内にも味方がいた。ある専務さんである。事件が起きるまで面識はなかったが、何度か夜回りをするうちにすっかり打ち解け、
「大道さん、朝日さんが東海銀行について書いていることは基本的に正しい。東海銀行は体質改善をしないと先行きが危ない。もっと書いて下さい。できる協力はします」
という言葉を頂いた。この専務さんはそのうち関連会社の社長になった。その後も長く年賀状を交換する仲になった。
新聞が企業のスキャンダルを記事にするのは、その企業にまともになって欲しいからである。外部からの取材を遮断し、表に出したくない情報を隠す風通しの悪い企業は内部の空気が淀み、やがて腐敗を始める。とはいえ、スキャンダルを隠したいのは組織の業だろう。その障害をかいくぐって情報を集め、組織を外の風に当てようとするから、経済記者は存在価値があるのではないか。私はそう考える。
無論、手に入れたスキャンダル情報を金に換えよう、脅しの材料に使用という不心得な記者もいるようではあるが。
組織の恥部を世間の風に晒さなければならない。そう考えるのは私たちだけではなかった。私に協力していただいた方々は、皆私と同じ思いを持っておられたのだと思う。敵があれば味方もある。それを知っただけでも、この東海銀行不正融資事件の取材は意味があったと思っている。