2023
12.14

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の8 最高権力者の出処進退

らかす日誌

長期戦だった東海銀行不正融資事件もほぼ終幕が見え始め、朝日新聞は連載を始めた。事件の総まとめである。取材チームがそれまでに集めた情報をまとめ、全体像を描くのが主旨だったと記憶する。

朝日新聞の連載開始と歩調を合わせたように、東海銀行も事件の幕引きを図った。連載が始まった頃、事件の責任者の処分を発表したのだ。処分の内容を見て、私は

「それはないだろう!」

と思った。総責任者として引責辞任したのが、東京在勤の副頭取だったからである。日本銀行から天下ってきた人だった。

私たちは一連の取材で、事件の背景には東海銀行の体質があることを描き続けていた。私たちの味方になってくれた東海銀行専務、東海銀行OB、日銀支店長なども口をそろえて当時の東海銀行の体質が問題だ、と指摘していた。そして、異口同音にその体質を作ったのは、当時の会長だといったからだ。
この人は1980年に頭取になり、86年には会長も兼ねた。88年には頭取の座は譲ったが会長職に留まり、90年からは名古屋初稿会議所の回答を努めていた。人も羨む経歴である。誰の目にも東海銀行きっての実力者であり、名古屋財界の重鎮だった。
そして、そんな人にありがちな性癖があった。多くの人が

ワンマン

と評価していたのである。この人に逆らえば、東海銀行では絶対に浮かび上がれないということである。であれば、彼の眼鏡にかなった人々が東海銀行の上層部である。つまり、東海銀行の体質は、この人が作ったことになるのではないか?

「日銀から天下った副頭取が東海銀行の体質を作れるはずがない。銀行としての体質が問題なのなら、責任を取るべきはこの人ではないか。そうでなければ東海銀行の体質が変わるはずはない」

と私たちは考えた。

一連の事件を取材中、東京経済部の先輩からお褒めの電話をもらったことがある。

「やってるね。ほぼ完勝じゃないか。大道君、この事件は報道し続けるべきだ。頭取か会長の首を取るまでは手を緩めるなよ」

首を取るとは、報道の力で辞任させることである。折角のお褒めの言葉、励ましの言葉だったが、私に

首を取る

という考えはない。一民間企業の記者に過ぎない私に、取材先の会長、頭取を辞めさせる権利などあるはずがない。取材、報道とは勝った負けたのゲームではない。いったい何が起きているかを正確に、素早く読者に届けるまでが仕事のはずである。その結果、事件の責任をどう取るかは、取材先の自由な判断に任されるものである。

それに、この人が嫌いだったわけでもない。朝日新聞とは友好的な関係を続け、ある年の正月企画で学者や財界人に懇談してもらって記事にした際は、経済界を代表して出てもらったこともある。事件が起きてからも、よく取材に応じてもらった。ご自宅を襲って話を聞いたこともある。ワンマン経営者にありがちなことだが、自分の会社で不祥事が起きた時、悪いのは事件を起こした本人で、監督責任はその上司にある、言い換えれば最高権力者の自分には何の責任もない、と考えるタイプの人なのだろう、悪びれもせずに記者を請じ入れる人だった。だから、ある時までは、事件の真相を解明する協力者でもあった。

彼がワンマン経営者であろうとなかろうと、それは東海銀行内の問題である。ワンマン体制に問題があるのなら、内側から改革しなければならない。たかが新聞記者が介入する類の話ではない。

だが、不正有事事件の幕の引き方は間違っている、東海銀行のためにも許してはならないと思った。すぐに、名古屋の財界人の反応を聞いて回った。ほとんどの人が、この幕引きに違和感を持っていた。

「日銀からの天下り組みを親戚辞任させるなんて、これはトカゲの尻尾切りだね」

そんな反応が集まった。
そのうちの1人がこうおっしゃった。

「いいすか、大道さん。会長とか頭取と会って威張っていられるのはなぜだか分かりますか?」

いや、そう言われても見当がつきません。

「銀行が不祥事を起こした時、責任を取るためです。平時は偉そうな顔をしていてもいい。偉そうにしているから、不祥事の責任を取って辞めれば、ああ、この銀行は本当に反省しているんだなあ、と世間が納得するのです。それが経営者の矜持です」

私は、連載の最終回を急遽差し替えた。上の談話を引用しながら

「東海銀行が本当に反省しているのなら、引責辞任するのは日銀から天下った副頭取ではない。最高責任者が責任を取るべきではないか」

という原稿を書いたのである。
これも、書いてはならないと私が考える「首を取りにいく」原稿だったかもしれない。しかし、東海銀行がトカゲの尻尾切りを試みたのであれば、ここは銀行としての責任の取り方の正しいあり方を書いておかねばならないと思ったのである。

それでも、私が東京に転勤する時、この方は私を料亭に招き、送別の宴を張って下さった。あのようないきさつがあったから、何となく顔を合わせるのはおっくうだったが、招かれれば出向かざるを得ない。
宴も半ばを過ぎた頃、この方はおっしゃった」

「大道さん、私はあなたを許します。東京でもご活躍下さい」

許す? 私、許されねばならないようなことをしたか?

とは思ったが、ここで事を荒立てても仕方がない。私は曖昧な返事をして酒を飲み続けた。

そして、いま思う。あの人は、私の書いた原稿の主旨を理解していないのではないか? あの事件の責任を取るべきなのは最高権力者である自分であるとは、爪の先ほども考えていないのではないか?

そんな感性の持ち主でなければ、ワンマン経営者にはなれないのかもしれない。名古屋時代の忘れがたい想い出である。